2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧
名曲「荒城の月」は土井晩翠作詞、 滝廉太郎作曲ですが、それぞれ思い描いていた城は別でした。 土井晩翠は、故郷の青葉城を想い、 滝廉太郎は幼い日を過ごした大分の 岡城址で、廃城令ですべて取り払われて、 石垣だけを残し荒れ果た姿を曲にしています。 …
三重県伊勢市の伊勢内宮前にあるおかげ横丁は、 観光客で賑わう所です。 その真中で、2階建ての家屋がありました。 何処も昔風の建物ですから、 中に入らないと、何屋さんか解りません。 看板には神路屋(かみじや)と書いてありました。 神路屋さんは、お…
千葉県の東北部にある香取市の佐原には、 小野川の川沿いに古い町並みが残っています。 江戸時代東北の物資が利根川経由で入ってきて 小野川両岸に土蔵造りの商家が形作られました。 そんな小野川沿いに大きな邸宅がありました。 入り口のガラス戸に東海と書…
幕府の譜代大名奥平氏の居城のあった中津は、 大分県の周防灘を望む山国川の河口の城下町です。 お城は、黒田如水が造り、細川忠興が手を入れました。 その城下町に、のちに慶応義塾を創業した、 教育者の福沢諭吉先生の旧宅が城の東側にあります。 大坂の蔵…
江戸の昔、幕府の天領として、 備中の物資の集積地となり、 豊かな商人の邸宅や蔵が 建ち並んでいました。 特に倉敷川の畔には、白壁なまこ塀の邸宅や土蔵の立ち並び 天領時代の面影を残しています。 旅館鶴形 倉敷川の河畔にある旅館鶴形は、倉敷の最も古い…
冬場は雪に閉ざされる、 白川郷を5月の終わりに訪れました。 季節は、田植えの時で、 村は大忙しでした。 白川郷は、観光地である前に、 農村である事を再確認しました。 白川郷
京都の堀川通りにある西本願寺から 正面通りを通って東本願寺向かうと 金寶寺というお寺に出ました。 東本願寺はこの寺の向こうですが、 この通りには入り口がないので、 北に向かい迂回すると、 花屋町通りに出ました。 この通りは東本願寺の北側の通りでし…
長浜の北国街道上に安藤家はありました。 元々安藤家は室町時代からここに移住した旧家で、 秀吉の賤ケ岳の合戦に協力して、 長浜十人衆として町衆文化を担いました。 江戸時代には、三年寄りの一家 として町の発展に尽力しました。 明治以降は、呉服問屋と…
岡崎城から八丁(870m)離れた 矢作川沿いの旧東海道に八丁蔵通りはあります。 カクキュウの八丁味噌の工場の味噌蔵沿いに 高い味噌蔵の建物が立ち並んでいました。 八丁蔵通り 八丁味噌は、大豆と塩を原料に、 杉桶に仕込み、河原の丸石を山ほど積み上…
大分県の国東半島の山の中にある、 両子寺(ふたごじ)は両子山の 中腹にある天台宗のお寺です。 奈良、平安、鎌倉の昔より宇佐八幡の庇護 と影響下に、神仏習合の独特の信仰と寺院が形成され、 国東半島一円に185の寺院と800の仏塔石仏が点在する、 …
木曽郡南木曽町にある旧中仙道の宿場町、 妻籠宿は木曽路11宿の一つです。 岐阜県中津川市にある 馬籠宿から2里の山道を歩いて到着します。 妻籠宿 寺下の街並み 江戸時代の宿場の街並みが保存されています。
倉敷の美観地区から北上すると、 道の途中、五重の塔が姿を現しました。 ここは、聖武天皇が全国に建立した国分寺で 廃寺になっていたのを、太閤の水攻めで有名な備中高松城で、 切腹した清水宗治が再興しました。 備中国分寺 今は真言宗御室派の寺院になっ…
高山の三町伝統的建物群保存地区から 国道158号線で東に進むと浄土宗大雄寺に出ます。 この国道を先まで進むと 長野県の松本市に出るのですが、 何せ歩いて回っているので 大雄寺の大きな山門の両側に 一対の仁王様を見て引き返しました。 道の途中、古橋…
不動明王を祀る成田山新勝寺は、 JR成田線か京成成田の駅を降りて 参道を歩いて15分ぐらいで総門まで着きます。 途中の参道には、沢山のお店が軒を並べています。 お店を覘いたりしないで、参道に人出が多くなければ もっと早く到着します。 新勝寺参道 総…
京都の東山区と言っても、四条通りから賑やかな花見小路を 南に進むと、建仁寺の庫裏の大瓦屋根が見えてきます。 一昔前は四条通りから建仁寺までの花見小路は、 建仁寺の敷地でした。 建仁寺は、臨済宗の大本山で、源頼家の開基、 臨済宗の祖、栄西の開山で…
岡山県南西部にある矢掛町は、 旧山陽道の尼崎から数えて18番目の宿場町でした。 矢掛の中心部には往事の街並みが残っていました。 宿場町には、本陣や脇本陣が備わっています。 本陣には大名や幕府の役人が宿泊しました。 矢掛本陣旧石井家 石井家は酒造業…
伊勢内宮前にあるおかげ横丁の南の入り口に、 海老丸と看板を掲げたお店がありました。 昔風の家屋が印象的なお店でした。 おかげ横丁 海老丸 幟にあるように手捏ね寿司や伊勢の 新鮮な海の幸を提供してくれる 漁師料理のお店でした。
白川郷に入って駐車場を探していると、 駐車場のご案内があり、信号から右折すると いきなりトンネルに入りました。 これは違うとUターンの場所を探していると、 左側に合掌造りの民家が田んぼの向こうに見えました。 白川郷 民家園 ここは、合掌造りの古民…
小野川沿いに古い町並みを残す、 香取市の佐原に2月の寒い時期に訪れました。 当日は、朝早くからホテルを飛び出し、 小野川に架かる共栄橋に出ました。 余り早かったので、お店も営業してなく、 高校生の通学の声が川沿いに響いていました。 高校生達は川沿…
松本城を出て、南に下る大通りを歩いて行くと、 田川に出ました。 その手前に四柱神社という社がありました。 「しちゅうじんじゃ」と読んでいましたが 「よはしらじんじゃ」でした。 4柱の神様を祀る神社でした。 その先を、善光寺西街道と地図にある中町…
京都の東山に、豊臣秀吉の菩提を 弔うために妻の寧々が建てた寺が、高台寺です。 東大路通を東山安井で、バスを降りて東に進むと 料理屋と旅館の立ち並ぶ細い路地(石塀小路)をくねくねと曲がり 高台寺公園に出ました。 この奥が高台寺で、昔は、伏見城から…
天守が国宝に指定されているのは姫路城、 松江城、彦根城、犬山城 そして、信州松本の松本城です。 戦国時代の永正年間に築城され、 豊臣秀吉の家臣になった 石川数正によって天守、城郭の整備が行われました。 松本城 国宝になるかなれないかの関門は、維新…
興福寺と言えば、奈良にある法相宗の大本山を 思い浮かべる方が多いと思います。 長崎の寺町にある東明山興福寺は、 日本最古の黄檗宗のお寺です。 寺町の細い路地を高い石垣沿いに進むと、 石垣に切れ目に、赤い山門が印象的なお寺です。 本堂も軒が跳ね上…
飛騨高山を流れる宮川を南に進むと、 元の幕府の陣屋に行き着きますが、 その途中、一刀彫の看板を掲げた、 店舗に行き当たりました。 ここは、創業天保14年の看板の津田彫刻のおみせでした。 外から覘くと、、木彫りのお面が掛けられていました。 飛騨の…
琵琶湖の北東にある長浜市は、 北陸の北ノ庄(福井市)に至る 北国街道が城下を通っていました。 長浜駅に行く大通りを、過って北国街道が 横切っていました。 旧北国街道 北国街道をこの先に進むと、札の辻で、街の中心でした。
高知城から南へ、太平洋を望む、 桂浜には、戦国大名として四国制覇を 目指した長曾我部元親が建てた浦戸城がありました。 もともと岡豊城が長曾我部氏の本拠でした。 関ケ原の合戦で敗れ、 山内家が掛川から入り、高知城に 城を移しました。 桂浜 長曾我部…
三州街道は、昔の三河の国と 信州塩尻を結んでいました。 三河湾で出来た塩や海産物を、 岡崎、足助を通って信州塩尻へ 運んで、塩の道と呼ばれていました。 足助宿 運ばれた荷物を、足助でお馬さんの背に積み替えて塩尻まで運びました。
川越の蔵造りの町並みに行く途中、 連雀町の中央通り(昭和の町)の一本東の通りが 大正浪漫通りで、レトロな店舗が並んでいました。 過ってはアーケードのある銀座商店街でした。 突き当りの角には、昔の銀行の建物がありました。 ここは、旧武州銀行で、今…
京都の九条通りを、東寺の五重の塔を見ながら 西に進むと、南大門がありました。 ここから、中に入ると、 金堂の大きな建物が目に入ってきました。 東寺金堂 東寺は空海に下賜された 平安時代から今日までには、 土一揆や天災があり、 焼失して、無くなって…
もう2年前になりますが、中央道を中津川インターで降り、 岐阜の馬籠宿から旧中仙道の山道に入りこんで、 お隣の長野県の妻籠宿まで、車で辿りました。 江戸時代の旅人は、自分の足だけを頼りに、 峠を越えて行ったのだなと思うと 山道の途中にある茶屋が有…