#埼玉県
川越の県道39号線の仲町交差点から北に少し行くと、 2階建てのビルと3階建てのビルのが隣同士で立っている 所に出ました。 ここはもう蔵造りの街並みに入っていると思うのですが コンクリートのビルがありました。 2階建ての方は珈琲店になっているよう…
元はアーケイドのある古い商店街でしたが、 今はアーケイドはなくなって明るい商店街なっています。 シマコーヒー大正館といせやは石造りの古いビルディングでした。
川越の蔵造りの街並みを札の辻から南に下ると、 川越最古の蔵造りの家屋の大沢家住宅がありました。 ここは、屋号が小松屋で、呉服太物を商っていた 近江屋半右衛門が建てた寛政年間の建物です。 稲荷小路を挟んで、隣は醤油の金笛、笛木醤油です。
埼玉県の川越の蔵造りの街並みから右に曲がると 白壁の向こうにひときわ高い、時の鐘の鐘つき台が 見えてきました。
川越の蔵造りの街並みに、もうだいぶ前に行きました。 その日の前日は、2月らしく冷え込んで、寒かったのですが 川越に着いてからは、日が当たるにしたがって 温かくなりました。
川越えの菓子屋横丁は修学旅行の児童さんや, 生徒さんに人気のある所です。 貸切バスで来るので、集中がすごく、 とても一緒にいることは出来ませんでした。 但し、帰るのも早かったです。 もう5時には一人もいませんでした。
川越の蔵造りの街から、信号を渡ると、 時の鐘のある鐘つき通りに出ました。 この鐘は400年前に、時の領主酒井忠勝によって建てられました。 今も日に4回、蔵造りの街に時を知らせます。
大正浪漫夢通りから左に曲がると 山崎美術館がありました。 その先、仲町の交差点から県道39号線 の蔵造りの街並みに出ると、 亀屋さんの和菓子屋やマツザキスポーツ の蔵造りの店舗がありました。 マツザキスポーツ 建物は蔵造りの家屋で一階はスポーツ用…
川越の蔵造りの街並みに、 大きな屋根と重厚な防火壁のあるに、 やまわの陶器屋さんがあります。 路地を挟んで南側が亀屋の看板の架かる 川越名物芋菓子の店で、隣が箸(はし)の暖簾の架かる キッチン遊膳、創作漬物河村屋と続きます。 鰹節中市本店 この通…
埼玉の川越市に厚い防火壁に 大きな瓦葺き屋根を乗せた蔵造りの家屋がありました。 ここは江戸時代、川越藩の城下町で栄え、 商家の蔵造りの家屋が残っていました。 今も、この家屋は現役で、商売を営んでいらっしゃいました。 川越蔵造りの家屋
川越の蔵造りの街並みに 稲荷小路と言う狭い路地がありました。 場所は、大沢家住宅と金笛の間で、 気を付けていないと、通り過ぎてしまうぐらい 狭い路地です。 お稲荷さんの祠があるのかと、入り込んでみると 稲荷井戸がありました。
川越の蔵造りの街並みに、 亀屋の看板を上げるお店を見つけました。 その前に、大正浪漫夢通りから来た時、 亀屋の昔の字の看板を上げる 蔵造りのお店を見ていたので 「おや、もう一軒ある」と思いました。 川越名物芋菓子のお店でした。
瓦葺きの大屋根と分厚い防火扉の 窓のある蔵造りの街並みを右に渡ると すぐそこに、時の鐘が見えました。 時の鐘 江戸寛永年間、川越藩主酒井忠勝により造られましたが、 度々焼失し、そのたびに再建されました。 今も日に4回、蔵造りの街に鐘が鳴り、時を…
昔川越藩の城下町であった川越には、 川越市役所から東に行った所にお城があります。 お城には堀もあったのですが、今は埋められて、 さらに平城なので、どこからがお城か判りません。 だけど、本丸御殿が残っているのは、川越と高知 だけです。 本丸御殿
川越は、ひとり小江戸の称号を誇示しています。 勿論、将軍の御膝元であった江戸には、明治初め頃は 大名屋敷、旗本屋敷、商家の蔵屋敷が甍を並べて残っていました。 その後、江戸は、東京と名を変えて、近代国家の首都として 再開発されたのと、大正時代の…
大正浪漫夢通りから,蔵造りの街並みの、 県道39号線沿いに出ました。 蔵造りの街並みらしく、大きな屋根に 厚い壁と、2階の窓は防火扉になった 家屋が目立ちました。 亀屋本店 まず目に飛び込んできたのは、 創業天明3年の亀屋本店です。 川越藩御用達のお…
小江戸の雰囲気を今に残す、 川越の蔵造りの街並みを 街並みを眺めながら進むと、 札の辻の交差点に出ました。 この交差点を市役所の方に曲がり かなり歩くと、江戸時代、川越藩の お城があった場所に行き着きました。 十万石のお城があった所ですが、 今は…
川越の蔵造りの街並みにある時の鐘は、 時の領主の酒井忠勝により造られました。 度重なる火事で、現在あるものは4代目だそうです。 昔は人が突いていましたが、今は機械式になっています。 時の鐘 午前6時、正午、午後3時、午後6時の日に4回、 蔵造りの…
埼玉県川越は、川越藩10万石の城下町でした。 前の大戦で、江戸の面影を残す町並みが、姿を消す中 川越は戦災を免れ、小江戸の雰囲気を残します。 川越蔵造りの町並み 古い家屋には、屋号が付いています。 右からまちかんは、刃物販売店で、隣はヤマウで、…
川越の連雀町から街並みを眺めて、 大正浪漫夢通り行くと、お洒落なお店がありました。 パンフレットには、 この通りは元は古い商店街で、 アーケードのある銀座商店街だったそうです。 突き当りの角に、川越商工会議所があり、 正面に古い家屋のお店が3軒…
川越の蔵造りの町並みに行く途中、 連雀町の中央通り(昭和の町)の一本東の通りが 大正浪漫通りで、レトロな店舗が並んでいました。 過ってはアーケードのある銀座商店街でした。 突き当りの角には、昔の銀行の建物がありました。 ここは、旧武州銀行で、今…
江戸の香りを求めて、東京に来ましたが、 東京大空襲もあり、その後の開発でなかなか見つけられませんでした。 そういう中、埼玉の川越に、小江戸の趣を残した、 蔵造りの町並みに行き着きました。 分厚い壁に、防火扉の2階の窓、そして特徴的な重厚な屋根 …
連雀のホテルから蔵造りの町並みに行く途中、 大正浪漫夢通りを歩いて行くと 木造の3階建てのお店がありました。 1階は鰻屋さんで、2階3階部分は住居になっているみたいでした。 北隣は、伊勢源の看板を掲げた、 多分お酒やお味噌、醤油を商っている店舗…
川越は十万石の城下町で、 江戸情緒を今に残す、古い蔵造りの街並みが残っていました。 平日でも観光客の途絶えることはありません。 蔵造りの町並み 近くに江戸時代に造られた時計台、時の鐘や、菓子屋横丁があります。
大きな瓦ぶき屋根と防火扉の付いた蔵造りの町並みから 北に歩いて行くと、大きなバット状の麩菓子を抱えた、 修学旅行と思しき子供達が、通りから出てきました。 路地が狭すぎて歩けないと、一時退避して、 時間をずらして、行って見ると、もう 子供達は、帰…
昨年の2月に川越の蔵造りの町並みを訪れました。 当日は、東京駅皇居と回った後、東京メトロで、池袋に、 東武東上線で川越に入りました。 平日の午後なのに人で溢れていたのを覚えています。 川越、蔵造りの街並み、陶舗やまわ前 連雀町のホテルに泊まり、…
蔵造りの街並みから少し離れた場所に、 ポツンと一軒だけ蔵造りの家屋がありました。 場所は、大正浪漫通りを北上して、山崎美術館がある通りで、 西に進むと、先に佐久間旅館がありました。 この家屋の裏には、立派な蔵がありました。 案内図には何も乗って…
川越の蔵造りの街並みを 鐘つき通りに曲がらずに、 県道39号線を札の辻に向かって 北上すると左手に、蔵造り資料館があります。 蔵造り資料館(右側の家屋) 同じような古い家屋が立ち並んでいるので、目立ちませんが、 ここは、明治26年の川越大火の後…
蔵造りの街並みにある大沢家住宅と金笛の笛木醤油の間に細い 路地がありました。 路地に入ると、食事処が立ち並んでいて 「稲荷小路」とかいてあったのに お稲荷さんはどこにあったのかなと 地図で調べると、稲荷井戸が途中にありました。 稲荷小路
川越市にある蔵造り街並みから鐘つき通りに入ると 角が酒屋さんで、その何軒か先に、時の鐘がありました。 当時としては、高い塔だったのでしょう。 今でも日に4回、蔵造りの街に、時を知らせます。 鐘つき通り