2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧
新勝寺の総門を出ると、参道沿いに、 多くの店があります。 その中でも鉄砲漬けの大野屋の建物は 屋上に望楼が載っています。 ここは江戸中期創業の大野屋旅館で、 昭和10年に建てられました。
旧中山道の宿場町馬籠宿は、 江戸から数えて43番目の宿場です。 今は岐阜県の中津川市に属していますが、 木曽路11宿の一番南にあります。 寺下の町並みには、多くの旅籠があったのでしょう。
岐阜県の飛騨地方にある高山は、 江戸時代の城下町で、古い商家の町並みが残っており、 飛騨の小京都ともいわれています。 この通りにはお酒屋さんやそばうどんのお店がありました。
東大寺南大門前では、鹿が観光客から鹿煎餅を貰う光景が みうけられました。 今はコロナウイルスの影響で、 観光客が減少して、鹿も腹を空かせているようです。 早くコロナがおさまりますように
広島県の東部の瀬戸内沿いに、 古代から交通の要衝として 栄えた港町竹原があります。 またここは、江戸後期には塩田の製塩業が栄え 遠くは江戸大阪に北前船で運ばれていました。 町並み保存地区は、落ち着いた白壁の商家が残っていました。
右京区花園にある妙心寺は 臨済宗妙心寺派の総本山です。 三門、法堂、仏殿の周りに多くの 塔頭が立ち並んでいます。
福岡の山深い篠栗に、オシャカさんの 涅槃像があります。 前に一回行った事があり、車から見えた 気がしていましたが、今は周りが整備されて 建物や施設が点在しています。 世界一の大きさの涅槃像で41メートルあります。
今は諏訪湖の水面が離れていますが、 諏訪高島城は、諏訪湖に張り出した浮島でした。 江戸時代諏訪湖の干拓が進み、 諏訪湖から離れました。 太閤の家臣の日根野高吉の築城で、その後諏訪氏の城として 知られています。
聖武天皇の発願で、全国に国分寺は建てられました。 奈良の東大寺も、総国分寺の位置付けで建てられました。 今の岡山県に、備中国の国分寺が、総社市に残っています。 ここは、廃寺になっていた国分寺を、 太閤の水攻めで切腹した、高松城主清水宗治が復興…
江戸時代の創業で、創業400年前という 虎屋旅館の建物を使った、虎屋うどんは 金毘羅宮参道前にあります。 ここは虎屋旅館の帳場の建物を使っていて、 2階の高欄には、凝った彫刻が施してあります。
千葉県の北東部の利根川に接する佐原は、 水郷で、小野川の両岸に古い商家の町並みを残します。 舟で旅する、商人や旅人のために、小野川の岸には 舟宿がありました。
中山道の42番目の宿場町、 妻籠宿は長野県南木曽町にあります。 ここは、馬籠峠を下り到着する木曽路の宿場で 飯田街道の追分があります。
和歌山城は、徳川御三家の一つ 紀州和歌山藩の居城です。 築城は豊臣秀長で、桑山家、浅野家から 徳川家康の十男の頼宣が 五十五万五千石で入城し 徳川御三家となりました。 楠門と乾櫓
大正5年、大正天皇の即位を祝い 創建された内子座は、瓦葺入母屋造りの 2階建て木造の純和風の芝居小屋です。 、 今でも、文楽や各種公演に使われます 。
広島県東部に瀬戸内海にある鞆の浦は 古代から汐待の港として知られていました。 今は動力の発展で、汐待ちをすることもなく なりました。
岐阜の高山の古い町並みのさんまち筋は、 江戸のはじめ金森長近の城下町でした。 この通りの両側には酒屋や旅館、 味噌屋、お香屋、お土産屋 などが軒を並べていました。
尾道は広島県東部の瀬戸内沿いにあり、 物流の集散地として発展しました。 また尾道は、坂の町として知られ、 映画の舞台ともなりました。
聖徳太子が夢のお告げで 建てたと言われる八坂の塔は、 臨済宗建仁寺派の法観寺です。 五重塔以外は、境内も本堂もよく判りませんが この地区のランドマーク的存在です。
臼杵市は大分県の東の海沿いの港町で、 江戸時代は稲葉家の城下町でした。 またこの町は水のきれいな街で、 醸造業が盛んで、酒や醤油、味噌が作られています。 小手川酒造 江戸時代より前は、大友宗麟が 島津の猛攻を凌いだ所でもあります。 また臼杵の摩崖…
和歌山県の有田川の南にある湯浅町は、 醤油発祥の地として知られる町です。 今でも古い醤油工場が稼働しています。
東大寺大仏殿は、東大寺の本尊廬舎那仏を安置しています。 大仏殿は758年に完成しましたが、 二度の戦火(1181年)(1567年)により焼失し 今の建物は1709年に再建されたものです。
矢作川の河原に近い、愛知環状鉄道の 高架の通りの裏通りに 八丁味噌蔵通りがあります。 ここは、八丁味噌でお馴染みの カクキュウの味噌屋さんの蔵が建ち並ぶ通りです。 八丁味噌は大豆と塩を原料に、 大きな杉桶に、矢作川の河原の丸石を 山ほど積み上げて…
赤い壁で知られる合元寺は、大分県中津市にあります。 ここは、黒田孝高に従って姫路より 付いてきた開山空誉上人が開いた寺です。 この寺の壁が赤いのは訳があり、 塗り替えても、血の跡が取れないので 赤く塗ているのです。 旧領主の宇都宮氏の家来が、謀…
清水寺から続く三年坂、それに続く二年坂は 京都土産品のお店が軒を並べます。 また竹下夢二が大正6年から 2年弱暮らした住居跡があります。
高山の伝統的建物群保存地区を歩いて行くと、 下二之町に、白壁の蔵の横に、麹屋さんの看板を見つけました。 ここは、高山の町に3店舗の店を構える、 麹屋柴田春治商店で、 麹味噌などを商うお店でした。
江戸時代、江戸に進出して江戸一番の紙問屋となった 小津清左衛門の館が、阪内川と伊勢街道が交わる所にあります。 江戸時代、三井家、長谷川家、長井家とともに、 江戸に出店し、財を成した松坂屈指の豪商です。 広い敷地内に、土蔵2棟残っています。
川越の蔵造の町並みには、鬼瓦の大屋根に、 黒漆喰の分厚い壁と観音開きの 防火扉の江戸時代から続く家屋が並んでいます。 一軒一軒の家屋には、屋号がついていました。
江戸のはじめ、この辺の領主になった、 松倉重政は、お城のある二見と元々あった 五條村とをつなぐ新町を企画し、 五條新町ができました。 道を歩いていくと、餅屋さんの向こう側に 造り酒屋さんがありました。今は柿ワインも作っていました。