2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧
千葉県の北部にある香取市には、 利根川に接する水郷の佐原がありました。 ここは、小野川の流域に 古い商家の街並みがありますが、 小野川にかかる忠敬橋西詰に 正文堂と看板のある蔵造りの商家がありました。 この正文堂の横は空き地でしたが、今は千葉商…
JR近江八幡駅から北に2キロほど離れた所に、 江戸時代末から明治の初めに造られた 商人の邸宅が並ぶ街並みがありました。 ここは、新町通りといって、近江商人の中でも 最も早い時期に活躍した八幡商人の住居が並ぶ通りです。 江戸出店も一番早く、海外進出…
長良川が南北に流れる美濃市の うだつの上がる街並みに、 城主の金森長近が、関から刀鍛冶を招いて ここに住まわせたと伝わる、旧武藤家は 初め刀鍛冶、その後は刃物金物を生業にする 商家でした。 江戸末に建てられた、うだつ造りの母屋と その後ろに倉庫を…
福井県にある越前大野城は、 大野盆地にある標高249メートルの 亀山の頂上にある城で、毎年10月から4月までの 気象条件が揃うと、雲海に浮かぶ城となります。 越前大野城は、天正3年、越前一向一揆を平定した恩賞として、 織田信長が金森長近に越前大…
四国の香川県琴平町の金倉川に、 屋根のある橋があります。 この橋は、屋根がある上に、普段は人が渡れないように 柵がしてあります。 刀の鞘の様に反っているので、鞘橋といって 金毘羅参詣の本道に架かる橋として 寛永元年(1624)に架けれました。 その後…
旧中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 木曽路11宿の中でも一番標高が高く、 難所の鳥居峠を控える所で、 宿泊客も多く、「奈良井千軒」と謳われました。 およそ1キロ続く石畳の通りには、 木曽路の木を使った櫛や漆器、木工製品の店や おやき、信州そ…
会津若松にある七日町通りは、江戸時代から 越後街道の経路で、米沢街道や下野街道にも通じていました。 そんな七日町には、問屋や旅籠が立ち並んでいました。 七日町通りに、石造りの建物がありました。 白木屋は会津塗の漆器の製造販売を手掛ける店で、 隣…
村田町は仙台と山形を結ぶ街道の分岐点にあり、 水運を生かして、紅花の集積地として栄えました。 村田商人は、仙南地方で、紅花や藍を買い集め、 上方や江戸に送る商取引を受け持っていました。 タナグラ(店蔵)と呼ばれる蔵造りの店舗は、 なまこ壁を多く…
愛媛県の南予にある大洲城は、肱川と久米川の 合流点にある地蔵ヶ岳に築城された城です。 大洲は伊予国を南北につなぐ大洲街道や 土佐を結ぶ街道があり、交通の要衝でした。 天守のある城でしたが、明治の廃城令で 取り壊され、平成16年に四重四階の 天守…
阿蘇の噴火で出来た凝灰岩の丘に、 二王座の歴史の街がありました。 ここ臼杵市は、大友宗麟が その当時島であった臼杵城に籠って 島津の大軍を退けた所で、江戸時代は 美濃から入った稲葉家の城下町となりました。 その武家屋敷や寺院を巡っているのが 二王…
川越の蔵造りの街並み一番街に フカゼンの看板を掲げる深善美術表具店は 明治28年に建てられた蔵造りの店舗で 表装や額装を行う他、掛軸・日本画・油絵 リトグラフ・額縁などを扱っています。 このフカゼンの店舗の左半分は ココロというバームクーヘン専…
旧東海道の46番目の宿場町の亀山宿は、 鈴鹿川の北側にあり、城下町として栄えました。 街道沿いに、庭がある古いお屋敷がありました。 今は誰も住んでいないように見えました。
京街道を上って行く途中、福知山城の近くで 見かけた町屋を料理屋さんと見立てたのですが、 見事に外れました。 ここは足立音衛門という丹波栗を使った 仏蘭西焼き菓子のお店でした。
香川県の東の端にある東かがわ市の引田は 中世に城が築かれ、商業が発展した港町で 醤油の醸造が発展して、江戸大坂に船で運ばれました。 そんな引田は江戸末には廻船問屋や豪商が現れるほど 隆盛しました。 そんな引田は今、ハマチの養殖に初めて成功した町…
伊勢神宮内宮前のおはらい町の一角にある おかげ横丁は、江戸末から明治の初めの、 おかげ参りのブームの雰囲気を再現する為に 当時の伊勢路の建物を移築しています。 伊勢うどんに手ごね寿司と 伊勢路の名物の店が並びます。
会津西街道(下野街道)の宿場町の大内宿は 半農半宿の宿場で山間にあります。 今でも、茅葺屋根の宿が三十軒程が残っていました。 今では、この三十軒の宿も、 土産物屋がほとんどで 飲食できる所が、十数軒で、 宿泊できるところは七軒程でしょうか
川越の蔵造りの街並みにある陶舗やまわから 脇道(門前通り)に入ると、突当りが、 長喜院というお寺です。 この長喜院は、曹洞宗のお寺で、 鎌倉時代後期に創建されました。 境内の苦行釈迦像の脇にある蓮池には、 蓮の花が七月頃に咲きます。
宮川が南北に流れる飛騨古川に、 白壁土蔵の街並みがありました。 ここは、瀬田川沿いに白壁土蔵が建ち並び、 色取りどりの鯉が泳ぎます。 この瀬田川は、冬場、流雪溝になります。
赤い山門が印象的な崇福寺は、 長崎の寺町にありました。 長崎の三福寺の一つとして、知られる 崇福寺は、黄檗宗の唐寺です。 第一峰門と大雄宝殿が国宝に指定されます。
会津若松のお城の鶴ヶ城の北にある 北出丸から出ると、江戸の昔は、重臣たちの邸宅が 整然と並んでいました。 そんな鶴ヶ城入り口に、土蔵造りの カラフルな店舗がありました。 勿論昔からあった訳ではなく、明治以降でしょうけど、 会津藩時代では、ここは…
三州街道は、三河国岡崎から、 信州塩尻を結んでいました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の舟に乗せて運び、 足助宿から馬の背に乗せ換えて、 塩尻まで運んでいました。 ウナギ屋さんと思いきや、ウナギ屋は道向こうで、 ここは、古道具屋さんでした。
栃木市のJR栃木駅から続く蔵の街大通りには 蔵造りの店舗や、洋風の建物が並んでいますが ひとつ気なったのが、肥料屋さんの多さです。 どこも、肥料屋さんは、あるのでしょうが 立派で大きな肥料屋さんは見た事がありませんでした。 櫻井肥料店と書いてある…
三重県の鈴鹿山脈の山裾に 関宿はありました。 ここは古代三関の一つ、鈴鹿の関があり 交通の要衝でした。 ここの宿場の東の追分からは、伊勢別街道が 西の追分から大和街道が分岐していました。
山口県の南西部にある柳井は、 白壁の商家の立ち並ぶ通り、 吉川家岩国藩の御納戸と呼ばれた 当時の繁栄を偲ばれます。 古市金屋の通りから少し入った所には、 甘露醤油の醤油蔵が続きます。
岐阜県は美濃国と飛騨国を合わせています。 北部の飛騨には、高山市があります。 高山市は、日本の市町村の中で、一番面積が広い市で その面積は、香川県、大阪府をしのぎます。 そんな高山は江戸時代城下町で、 古い商家の街並みを残します。
兵庫県の西の端の播磨灘に面する坂越は、 北前船の西回り航路の港町でした。 江戸時代に入ると、ここは瀬戸内海有数の 回船業の拠点として発展して 奥藤、大西、岩崎、渋谷などの豪商が回船業を営み 坂越湾には、西回り航路の大型廻船や内海用の小型廻船 が…
岡山県を遡る高梁川の流域に 城下町の高橋の街があります。 ここは、備中松山城の城下町で 古い町並みが残ります。 その頼久寺町に臨済宗のお寺があります。 ここは、小堀遠州が作庭した 枯山水蓬莱庭園があることで知られます。
富山県の南西部にある南砺市五箇山の相倉集落は、 庄川の流域にある集落で、20軒程の合掌造りの家屋が残ります。 今は使われていないのか、 崖の下にひっそり建っていました。