2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
旧中山道の45番目の宿場町の中津川宿の 脇本陣や本陣が立ち並ぶ街道に ここで庄屋を務めた肥田家の屋敷で、 江戸時代中期の建物です。 肥田家は屋号を田丸屋と言い 身分の高い人々の泊まる旅籠を営んでいました。
中馬街道は、塩の道とも呼ばれ、 三河湾で採れた塩を矢作川の川船で運び、 足助宿で、馬の背に乗せ換えて、 信州飯田や塩尻まで運んでいました。 その街道の途中、美濃恵那市の明智町に 中馬街道うかれ横丁の看板を見つけました。 ここは、寂れていますが、…
岐阜県の南東部にある恵那市は 愛知県の豊田市に接する緑豊かな 美濃三河高原にある町で、その中で 明智町は、光秀ゆかりの地ということで 伝承があるようです。 そんな明智町は大正時代の面影を残す 大正村として観光地となっています。
播州姫路の隣町のたつの市は、 揖保川が南北に流れる穏やかな城下町でした。 ここは、江戸時代脇坂家5万3千石の城下町で 素麺や醤油の街として知られています。 城下町を散策していると、三差路の角に 存在感のある古い、もとは店舗だったろう 建物がありま…
大井宿は旧中山道の江戸から数えて 46番目の宿場で、美濃路隋一の宿場でした。 賑わった宿場も、当時を物語る建物は少なくなり 旧本陣跡や黒塀の旧家など少なくなっています。 ここは旧本陣の門で、行った当時 火事で隣家が焼け落ちていました。
千葉県の北部の利根川に接する 香取市に水郷で知られる佐原がありました。 ここは、東北の物資が、利根川経由で江戸に入る場合 小野川沿いの商人がその仲立ちをしました。 というわけで、小野川沿いに古い商家の街並みが残っています。 川岸通りには、古い町…
江戸時代幕府の天領で、年貢米の集散地として 栄えた倉敷は、倉敷川の両岸に、米蔵や蔵屋敷が 立ち並びます。 倉敷川から中に入った場所にも 町屋が立ち並んでいました。
坂越は赤穂市の東部の播磨灘の港町で、 江戸時代に入ると、瀬戸内海の西回り航路の 拠点として発展し、奥藤、大西、岩崎、 渋谷などの豪商が回船業を営み、 坂越湾には大小の船が犇めいていました。 坂越湾から続く坂越大路には、 奥藤の造り酒屋の長い蔵が…
京都の清水寺を清水坂で下ると、 右側に下る坂道があり三年坂といいますが ここは京漬物や銘菓の店が軒を並べています。 途中に、三年坂美術館という、幕末から明治時代にかけて 作られた漆工、金工、陶磁器、七宝焼、木彫、 牙彫、刺繍絵画などの日本の工芸…
広島県の東部にある瀬戸内沿いの港町の竹原は、 平安時代の末には広く知られた港で、 江戸時代後期には、塩田の塩の生産が増えて、 江戸大坂まで船で運ばれていました。 そんな竹原の本町に古い商家の街並みが残っていました。 ここは、昔からの町屋が並んで…
木曽川の南岸の崖の上に建つ、犬山城は、 天文6年(1537年)に建てられた 現存する天守の中で最古のものです。 織田信長の叔父の信康によって建てられ 天守は国宝になっています。
江戸時代、吉川家岩国藩の御納所と呼ばれた柳井は、 自由な商業活動が許され富が蓄積された地区でした。 甘露醬油で知られた醤油蔵が建ち並びます。 甘露醤油は、天明年間(1780年代)に 当地の醸造家高田伝兵衛が創製した 芳香にして美味なる醤油を 時の藩主…
宮城県の仙南地方に、江戸時代水運を利用して 紅花の集散を通じて栄えた村田町がありました。 ここの村田商人は。仙南地方で紅花を買い集め、 京、大坂、江戸に送る商取引をしていました。
岡山県の山の中に、高い石垣で囲まれ、 城門の様に櫓で守られた お城の様な造りの邸宅がありました。 ここは、広兼邸と言って小泉銅山と硫酸鉄の 製造を手掛けて、巨万の富を築いた 大野呂の庄屋の広兼氏の邸宅です。 ここは映画のロケ地ともなっています。
富山県の庄川の流域に、岩瀬家住宅という 合掌造りの民家がありました。 合掌造りの民家でも最大級の民家で、 5階相当の建物の岩瀬家は、もとは 加賀藩、塩硝上煮役の藤井長衛門の邸宅で、 8年の年月をかけ造られました。 藤井家は江戸時代末に血統が途絶…
伊勢神宮内宮前のおはらい町は、五十鈴川沿いに 続くおよそ八百メートルの石畳の通りです。 伊勢神宮の鳥居前町として栄え 伊勢独特の切妻、入母屋、 妻入り様式の土産物屋や 赤福餅の銘菓店、旅館造り酒屋が 軒を連ねます。
千葉県の北部にある佐原は、利根川に 接する水郷で、小野川沿いに古い商家の街並みが残ります。 江戸時代東北の物資が、利根川経由で江戸に入る場合 小野川沿いの商人が仲立ちをしました。 忠敬橋のたもとにある中村屋は 代々荒物や雑貨、畳を扱う商店でした…
三州街道(伊那街道)は信州塩尻と 三河足助を経由して岡崎を結んでいました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の舟で、足助まで運び 足助から先は馬の背に乗せ換えて塩尻まで運ぶ 塩の道として知られていました。 マンリン書店から狭い路地を壁沿いに上ると、 …
京都の四条通りを花見小路で南に下ると 突当りが建仁寺で、法堂を横切って もっと南に下ると、緑の濃ゆい場所に出ました。 ここは開山堂と言って、建仁寺の開祖の栄西が眠る 廟所です。
富山県の庄川の流域に、合掌造りの 郷がありました。 冬場は豪雪地帯で知られるこの地では、 茅葺きの合掌造りの家屋で、 和紙作りや養蚕、煙硝造りで 春の訪れを待ちました。
広島県の東部にある竹原は、 瀬戸内海の港で知られていました。 そんな竹原は江戸後期から、 塩田の塩の生産が盛んになり 遠く江戸大坂まで北前船で運ばれていました。 竹原の本町通りの突き当りに、笠井邸がありました。 ここは、塩田経営者の浜旦那の邸宅…
西本願寺のある堀川通りを渡り、総門を出ると、 辺りは仏具屋の街でした。ただ一軒だけ、 古い赤レンガの銀行かと思われる 建物がありました。 ここは、伝通院と言って、明治15年に建てられた もので、最初は保険会社として建てられ、銀行や診療所としても …
岐阜県の北部にある庄川の流域に、 茅葺の合掌造りの民家の里がありました。 ここは冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 そんなこの地の冬場の農作業が、 合掌造りの2層3層部分での養蚕でした。
岡山県の小田川が東西に流れる川筋の北側に、 山陽道が通っていて、ここの本陣を務めた石井家があります。 石井家は寛永12年(1635年)に本陣職に就いて、 町庄屋や郡の大庄屋を務めました。 石井家はその傍ら、酒造業も始め、約千坪の敷地内に 酒蔵や…
豊前街道は、肥後熊本と 豊前小倉を結んでいました。 熊本を出た豊前街道は、北上して 菊池川を渡り、山鹿の街に入ります。 江戸時代この場所には惣門があり、山鹿の街を守っていました。 また、この地点には、菊池川の川湊があり、有明海を通して 大坂まで…
江戸時代、紀州徳川藩の領地だった 伊勢の国松阪は、伊勢商人を 生み出した商業の街でした。 松阪商人は、ここを発祥地として、江戸や京大坂に進出した 長谷治郎兵衛や小津清左衛門、三井高利などが知られています。 三井高利は、三井財閥の祖で、江戸に進出…
富山県の南砺市五箇山の菅沼集落を 目指して、トンネルを抜けると、合掌造りの街並みが 道沿いに現れました。 ここは、越中五箇山の上梨という山里で、 民謡と合掌造りの民家の里で、 コキリコが昔から歌い踊られてきました。