2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧
佐賀県唐津市に、地元の辰野金吾氏監督の下、弟子の田中実氏設計の明治45年竣工の唐津銀行があります。 場所は、毎年、唐津の曳山が通る通りにあります。 この銀行の建物の営業は、平成9年まで続き、 平成10年に唐津市に寄贈されました。
正上は江戸時代からの醤油の醸造の老舗で、 今は佃煮の製造販売が主となっています。 建物は天保3年(1832年)の物です。 蔵は明治初年の物です。
大分県の地図を見ると、ミッキーマウスの片耳の様に周防灘へと張り出した、 半島が国東半島です。大雑把に言えば、山間地です。 この山の中に、「3人寄れば文殊の知恵」の発祥の地として知られる、 文殊仙寺があります。 駐車場から入っていくと、石段の前に…
慶応義塾大学を創設した、福沢諭吉先生の旧宅が、 大分の中津に残っています。 中津のお城から少し離れた所にあります。 先生は、中津藩の大坂蔵屋敷で生まれ、父の死によって、 ここ中津に帰って来ました。 そして、19歳までの歳月をここで過ごしました。
佐原を流れる小野川の両岸には、 古い町並みが残っていました。 川は舟を通すために、水面から高さがありました。 中橋から北を向いています。 川の両岸に柳が植えられていて、新緑の頃は、風に戦ぐ 柳が見られます。
長崎市の唐人屋敷通りから少し中に入った所に 煉瓦の塀に囲まれた、小さなお堂の天后堂がありました。 周囲は住宅地で、唐人の苗字はありませんでした。赤いレンガが かなり目立っていました。 元文元年(1736年)、南京地方の人々が航海安全を祈願し、 航海安…
毛利家の支藩の長府藩が、下関市にありました。 その藩医を務めた菅家の長屋門と練塀が、古江小路 にあります。土の練塀の風化した感じが歳月の経過を 感じさせて呉れます。
筑後川を遡ると、周囲を山で囲まれた、水郷日田に出ます。 春から秋にかけて、底霧と呼ばれる濃霧に覆われることがあります。 ここは江戸時代天領で、豊かな富の蓄積があります。 広瀬淡窓が開いた咸宜園は、広く塾生を集めました。 豆田町は、古い町並みを…
岡山県高梁市の山間に、古い吹屋の街並みが残っています。 ここには、もともと銅の鉱山があり、その産物の加工集散で この町が出来たのではないでしょうか。 ここに来たのは、もう少しで夕暮れ時で、 家々の壁を夕日が染めていましたと書く前に、すでに、 弁…
今は長野県南木曽町にある、旧中仙道の宿場町妻籠に、 去年の10月に寄りました。 到着が朝早過たので、観光地の営業時間外で、 お店も開いていませんでしたが、 返って昔の宿場町に立ち寄った 気持ちになりました。
長崎市の鍛冶屋町を歩いていた時に、見付けた赤い楼門が印象的な お寺でした。この峰門は国宝に指定されています。 聖壽山崇福寺は黄檗宗の寺院です。
岡山県に、西国街道(山陽道)の宿場町矢掛がありました。 その本陣を、江戸初期から務めた石井家です。間口36メートル敷地千坪の 地元の大庄屋で、酒蔵業も営んでいました。 旧矢掛本陣石井家です。 右側の木陰にあるのが御成門で、その当時は、限られた…
山口県庁の程近くに、瑠璃光寺があります。 大内氏の最盛期の義弘公は、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。その香積寺の五重の塔として建てられました。 後に香積寺が転出した跡、瑠璃光寺が入りました。 山口は、大内文化の華開いた処です。
江戸情緒が残るここ佐原では、古い商家の街並みを、小野川沿いに 舟で巡る、どんこ舟が、ありました。 余り早く行き過ぎたので、舟は準備中で乗れませんでしたが、 川から見上げる、佐原の街並みも乙なものではないでしょうか。
長崎の港を、高台から見下ろすと、船が寄港していました。 グラバー邸からは、港がよく見えます。 長崎市は、坂と階段の街です。平坦な市街地が少なく、住宅地も階段を上った 坂の上でした。
陶舗やまわと芋菓子亀屋の間の路地に、入り込むと、似顔絵を描いている おじさんがいました。その位置から見ると、やまわはこんな感じになっていました。 観光地ですね、浅草や、京都で見た、人力車がいました。
広島市の中区に、毛利輝元公が1589年に築いた城です。 別称鯉城で、広島で鯉が名前に使われるのはこれから来ているみたいです。 戦前の国宝にもなった城ですが、原爆ドームの近くなので、昭和20年の原爆で倒壊しました。 今あるのは、1958年以降に…
参拝客で賑わうこの通りですが、さすがにこう早いと、人通りも少なく、 車がスピードを出して下ってきました。 新勝寺といえば、節分の豆まきを、有名人がやっている画像でおなじみです。
倉敷の阿智神社参道横、くらしき高田屋の土蔵の白壁に、 朝日の影が出来、しばらく見ていました。 ここ倉敷は、幕府の天領の地で、物の集散の関係で、豊かな富が 蓄えられて、古い商家の家並みが残っています。
鹿児島の錦江湾に浮かぶ桜島です。 桜島が浮かぶと書きましたが、 錦江湾を塞ぐと書いた方がいいかもしれない存在感です。 鶴丸城跡の細い道を登って裏手の城山に上ってきました。 ここ城山は、明治10年の西南の役で、西郷軍が政府軍を相手に 最後の戦いをし…
阿蘇の小国町に鉾納社があります。 社の前には、樹齢700年の夫婦杉が、参拝者を迎えます。 この神社の隣には、坂本善三美術館があり、近くには鍋ヶ滝があります。 平成28年の熊本地震にも負けず、無事に立っています。
陶舗やまわと芋菓子亀屋の間の路地を進むと、 突き当りに、長喜院がありました。その隣が雪塚稲荷神社で、 もっと先に進むと、菓子屋横丁に行けました。
江戸情緒を今に残す、千葉県香取市の佐原には、もう一つ、 ビッグネームがいます。江戸時代、日本全国を測量し、それ迄なかった 地図を作り上げた、伊能忠敬の旧宅があります。 橋のたもとが伊能忠敬旧宅 忠敬は養子で、伊能家は、代々酒造・醬油の醸造を営…
長崎市の中島川に架かる眼鏡橋です。 本当は、川面に映った橋の影と併せてめがねでしょうけど、 石造りの二連アーチ橋です。
中山道は、京都三条大橋から江戸日本橋を69宿で結んでいました。 木曽路11宿の中でも奈良井千軒と言われ、栄えていました。 難所の鳥居峠を控えたここで、明日に備えて宿泊したのでしょう。
岡山県高梁市の頼久寺に、小堀遠州の築庭と伝えられる、 禅院式枯山水蓬萃庭園があります。 頼久寺 頼久寺は、臨済宗のお寺です。 小堀家とこの地の縁は、関ヶ原の功で、備中高梁で、 一万四千石で封じられたことに因ります。
随分前に、最初の女医になった楠本イネ(シーボルトの娘)の痕跡を探しに、 長崎の山手を彷徨っている時に見付けた、門からの眺めが素晴らしかった皓台寺。 正式には海雲山普昭晧台禅寺は、曹洞宗のお寺です。
熊本県南部に位置する人吉市に、大同元年(806年)阿蘇神社の分霊を勧請して、青井阿蘇神社が創建されました。 鎌倉時代初期に、遠江の相良氏がここに入り、氏神として崇霊し、 慶長15年(1610年)~18年、社殿群が造営されました。 茅葺の楼門は、国…
江戸情緒を今日に残す、さわら(佐原)には、昔風なビルディングが、古い商家の街並みに交じっていました。溶け込みはしないで、かなり主張しています。 まあ、佐原の味なのでしょう。 このビルの隣が、福新呉服店、蕎麦屋小堀屋本店、坂下だんご店、正文堂…
一時期、関西圏に住んでいましたので、帰省時、国道2号線を通って故郷まで帰っていました。 その時、標識に姫路城はこっちとありましたが、道中先が遠いので、一度もこの誘惑に載らずにいました。 2009年の高速料金一律千円の機会を捉えて、わざわざ遠い…