2020-01-01から1年間の記事一覧
12月30日から1月4日までは、お休み致します。 中山道の34番目の宿場町、奈良井宿は、 木曽路にある11の宿場の中でも、 一番標高が高く、難所の鳥居峠を控える宿場として、 賑わい「奈良井千軒」と謡われました。 明治になって国道から外れたことから、 当時…
12月30日から1月4日までは、お休みいたします。 姫路城、彦根城、犬山城、松江城と共に 国宝に指定されている松本城の天守が 造られたのは文禄2~3年と推定されています。
12月30日から1月4日までは、おやすみいたします。 伊勢市にある川崎は、伊勢神宮の参拝客が 伊勢湾を渡りたどり着く、勢田川の河岸にありました。 江戸時代、日本各地から集まる物資を売りさばく 問屋が軒を並べ賑わいました。 大長商店は創業天保元年で、近…
12月30日から1月4日までは、お休みいたします。 臼杵の町中を歩いていると、これは武家屋敷の 長屋門ではないかと思う建物がありました。 住宅地の真ん中で、屋根もそう立派ではなく、 一般の住宅に紛れています。 形式的には長屋門ですが、門の中の母屋がな…
今は香取市になっている佐原は、 千葉県の利根川に接する場所にありました。 小野川沿いに古い商家の町並みを残すこの町に 中庭の松が美しい邸宅がありました。 小野川から幾筋か中に入った場所にありました。
大分県の豊後水道に面する臼杵は、 臼杵摩崖仏でも有名です。 今は陸続きになっていますが丹生島に城がある、 城下町でした。 天正の昔、大友宗麟がこの丹生島城(臼杵城)に籠って 島津の猛攻を凌ぎました。 その後は、美濃から稲葉家が 五万石で移り、明治…
岐阜県の北部の飛騨地方にある高山は、 飛騨山脈と白山山地などの高い山々に 囲まれた盆地にあります。 高山は、江戸の初め城下町で、途中から 幕府の陣屋がおかれました。 高山の町中には、造り酒屋があちこちにありました。 酒好きの人が多いのか、観光地…
今は名古屋市の緑区になっている有松は、 旧東海道にありました。 東海道ができた時には、松林の生い茂る丘陵でした。 その後、藩の振興策で移住が進み、絞り染めの技術が定着して 有松は豊かな商人の邸宅や蔵が立ち並ぶ街に変わりました。
中山道にある奈良井宿は、本陣脇本陣各1軒、 旅籠5軒ある大きな宿場でした。 上町、中町、下町の3つの町からなり、 上町と中町の間に鍵の手があり、道祖神の石碑がありました。 鍵の手(道が鍵の字のように曲がっている)を過ぎると、 山の市場がありまし…
香川県の東かがわ市にある引田は、播磨灘に面する港町で 江戸時代より醤油の醸造が盛んで、江戸大坂に運ばれていました。 江戸後期には、廻船問屋や豪商が出るほど栄えました。 そんな引田には、壁の色が真っ赤なかめびし醤油がありました。 ここはの創業宝…
徳島県の東部にある吉野川北岸にある脇町は、 阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 また脇町は撫養街道と讃岐街道のが交差する 交通の要衝でした。 そんな脇町では藍の集積地として 藍商人巨万の富を築きました。 商人たちは得た富を、白壁うだつの家屋に使…
京都の東山にある東福寺は、 臨済宗東福寺派の本山です。 京都五山の第4位の禅寺で、 中世、近世を通じて栄えました。 本堂 明治14年の大火で、仏殿、法堂、方丈など の主要な建物が消失しました。 東福寺には、巨大な仏手が残されています。 これは明治…
海野宿を通っていた北国街道は、 追分で中山道と分かれ、 善光寺を通り直江津で北陸道と合流していました。 大きな袖うだつが印象的な街道沿いの一軒、 反対側の柳の下には用水が流れています。
長崎の港は1571年ポルトガル船の来航以来 450年の歴史があります。 その後の鎖国で、国内の港は閉ざされ、 長崎のみで細々と外国との交易を続けていました。
北房総の佐原の小野川沿いに 古い商家の町並みが残っています。 江戸時代、東北の物資が、利根川経由で江戸に入る場合、 小野川沿いの商人が中継しました。
琵琶湖の北東にある長浜は、信長の家臣であった頃の豊臣秀吉が、 初めて城を建てた地です。 天正元年、浅井攻めの功で、浅井領を拝領した秀吉は、 小谷城から琵琶湖に接する今浜に築城し、 長浜に改名しました。 長浜城は元和元年に廃城となり、 大通寺の門…
伊勢神宮内宮前のおはらい町は、五十鈴川に沿って 宇治橋から800メートル続く石畳の通りです。 この地独特な切妻、入母屋、妻入り 様式の店舗が軒を並べます。 伊勢うどんに手捏ね寿司などの飲食店、赤福などの菓子店 貝時雨や塗り箸のお土産さんなどが軒を…
川越の連雀町から蔵造の街並みに歩いて行くと、 途中に大正浪漫夢通りというおしゃれな街かどがありました。 この通りは元はアーケードのある商店街でしたが、 今はアーケードを取っ払って、光のさす町並みに変わっています。 この通りを歩いて行くと、古民…
東海道53次の47番目の宿場町関宿は、 三重県北西の鈴鹿山脈の山裾にあります。 ここは古代から交通の要衝で、 古代三関の一つ「伊勢鈴鹿の関」が置かれていました。 東の追分から伊勢別街道が、西の追分から大和街道が 分岐します。
北房総の佐原は、水郷として知られる町です。 小野川沿いに古い商家の町並みを残します。 その小野川にかかる忠敬橋の南西の角に、 中村屋商店という店舗と蔵がありました。 看板には畳表とか、のぼりには商家ホテルとありますが 何の店か解りませんでした。…
京都の堀川通りにある北小路門を入り、 塀沿いの道を進むと、 細かく装飾された唐門がありました。 その先に西本願寺の大玄関門があり、 その先は龍谷大学のキャンパスになるみたいでした。
長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃和紙の産地です。 そんな美濃市の市役所の近くに、 うだつの上がる町並みがありました。 2本の大通りをつなぐ路地に、 大きなの屋敷がありました。 外側からは高い塀や蔵などに 遮られて中の様子は解りませんが 広い敷地…
江戸から64里22町離れた奈良井宿は、 木曽路11宿の中でも一番標高の高い宿場で、 難所の鳥居峠を控えるところでした。 明治時代、国道から外れた為に、 宿場時代の町並みが残りました。
愛媛県の南予にある八日市護国の近くに、 昔の芝居小屋がありました。 ここは、江戸時代から木蝋の生産が盛んで、 最盛期には全国生産の30パーセントを占めました。 そんなこの町に、大正天皇の即位祝いとして 内子座が建設されました。 今では文楽、各種講…
旧中山道の馬籠宿は、長野県木曽郡山口村に 属していましたが、平成17年の越県合併で、 今は岐阜県中津川市に属しています。 馬籠峠まで、登りの坂道が続きます。
郡上市の吉田川のほとりに聳える 郡上八幡城は、山城で、 朝霧の深い日は 雲海に浮かびます。 この城は木造で再建された城では日本最古の城です。
高山の上二之町を南に下ると 突き当りに、古い学校のような建物がありました。 ここは、高山がまだ町であった明治の建物で 高山町役場として使われ、その後は公民館となり 今では高山市政記念館として、行政資料を展示紹介しています。
小野川沿いに古い町並みが残る佐原に、 正文堂書店という商家があります。 ここは江戸時代享保年間には、本の販売をしており、 今ある建物は明治13年上棟が棟札で確認されています。 隣の空き地に、千葉商船の三階建てのビルが建ち、 今は芋菓子店になってい…
758年の大仏殿の竣工以来、聖武天皇の 鎮護国家の願いも空しく、律令国家の矛盾が 露呈しました。 そんな東大寺は2回の兵火に遭い 大仏殿を始め焼失し、その都度再建されました。 1回目が1181年の平重衡の南都焼き討ちで 2回目は1567年の三好・松永の戦いで…