2020-01-01から1年間の記事一覧
豊前街道は、肥後熊本から豊前小倉まで40里あります。 途中に山鹿、南関、などの宿場がありました。 山鹿宿は、熊本の北にあり、 菊池川を渡ると、惣門がありました。 この場所は、菊池川の水運と豊前街道が交差する場所で、 物資の集散地として米蔵や酒蔵が…
長野県小諸市にある小諸城が 今のような構えになったのは、 仙谷秀久の改修によるもので、 天守もあったようですが、 火災で江戸時代に焼失しました。 千曲川を天然の防御とした小諸城ですが 今に残るのは、石垣と大手門と三之門だけです。 明治になって、こ…
本堂と庫裏、それに山門まで 茅葺きの合掌造りのお寺が、白川郷にありました。 延享5年(1748年)創立の浄土真宗の明善寺です。 行った当時は、5月の田植えの時期でした。
信長の桶狭間の戦いで有名な桶狭間村は、 今は名古屋市の緑区になっています。 東海道が整備された江戸の初め、桶狭間村の一部 だった有松は、藩の振興策で移住が進み、絞り染めの 技術が定着して、豊かな商人の蔵や店舗が軒を並べる 町に変わりました。 有…
いつも有田陶器市があっている通りから、 少し入り込んだ裏通りに、トンバイ塀の通り がありました。 トンバイ塀とは、焼き物を焼く窯の廃材を再利用して 出来た塀で、焼き物の町有田ならではのものです。
北国街道は中山道の追分から分かれて、 小諸、海野、上田と進み、善光寺を経て 直江津で北陸道と合流していました。 海野宿の前を、参勤交代の大名行列、善光寺の参拝客 または佐渡の金の荷車が通っていました。
今は香取市になっている佐原の小野川沿いに 寛永12年の創業で当時は油屋で、天保3年からは 醤油屋を営んで居る正上醤油店 今では、いかだ焼き本舗として 佃煮屋もやっていました。
京都伏見の稲荷山のふもとに本殿がある、 伏見稲荷は全国に3万社ある稲荷神社の総本社です。 稲荷神は五穀豊穣を司る神でしたが、時代が下ると 商売繁盛、家内安全、交通安全、芸能上達の神として 信仰されています。 稲荷山全体が御神域となっています。
広島県の東部の瀬戸内にある鞆の浦は、 古代より潮待ちの港として知られていました。 そんな港には、古い港町がありました。 港に向かう狭い路地には、杉玉をぶら下げた保命酒の店 があり、その先には、七卿落ちの太田家住宅がありました。
岐阜県の飛騨地方にある高山は、 東に飛騨山脈、西に白山山地に 囲まれた盆地にあります。 江戸時代以来の城下町で、古い商家の 町並みが残ります。
愛媛県の南西部にある西予市は、 宇和海に臨む温暖な気候の町です。 戦国時代、西園寺氏の城下町で、その後 在郷町として栄えた卯之町は、宇和街道の宿場、 四国四十八箇所の明石寺の門前町としても 栄えました。 古い町並みが良く保存されています。
長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃和紙の産地で知られています。 そんな美濃市は長良川沿いの小倉山に お城がある城下町でした。 お城にほど近い場所に、うだつの上がる町並みがありました。
山口県岩国の錦川にかかる錦帯橋は、 1673年、岩国藩主吉川広嘉によって造られました。 木造の五連のアーチ橋で全長はおよそ二百メートルです。
お宮さんや神社の建物は、大抵赤く塗られています。 今はどんな塗料で塗られているかは、解りませんけど 江戸の昔、このような赤の着色料は弁柄(ベンガラ) が使われていました。 そのベンガラを産出した鉱山が岡山県にありました。 高梁川を遡り、西の山中…
京都の九条通にある東寺は、平安京鎮護の官寺として 建てられましたが、嵯峨天皇により空海に下賜され 真言密教の根本道場として栄えました。 九条通から南大門を潜ると、金堂が目に入ります。 ここには、本尊の薬師如来坐像と日光菩薩像、 月光菩薩像などが…
京都の東本願寺の西側の通り新町通りを、 東本願寺の入り口を探して歩いて行きましたが、 この通りからは、東本願寺には行けないみたいです。 方向的にはこの町屋の裏が東本願寺なのですが、 この町屋の横の路地はすぐに行き止まりになるみたいです。
焼き物の郷有田を歩いていると、 銘品堂と看板を上げたお店がありました。 ここは、焼き物の町に必要な、 顔料、窯、釉薬を扱う陶芸材料の店です。
東側を飛騨山脈に、西側を白山山地に 囲まれた盆地にある高山は、 冬場はかなりの降雪があります。 そんな高山は、江戸時代城下町で、 古い町並みが残っていました。
小野川沿いに古い商家の町並みを残す佐原は、 北房総にありました。 小野川にかかる忠敬橋はこの地の偉人 伊能忠敬からとられました。
広島県の東部の瀬戸内海の港町竹原は、 室町時代より港町で知られ、江戸の後期からは 塩田の塩の生産が盛んになり、遠く江戸大坂に 北前船で運ばれていました。 一直線に伸びた通りの先に、お宮さんがあり 桝形を成して続いています。
お寺の三門の前に出来た町が門前町で、 神社の鳥居の前に出来た町を鳥居前町と 云うようです。 伊勢神宮内宮前の鳥居前町おはらい町は 宇治橋から五十鈴川沿いにおよそ八百メートル続く 石畳の通りで、伊勢独特の切妻、入母屋、妻入り様式の 家屋が軒を連ね…
江戸時代、北前船の寄港地で、 賑わった瀬戸内海の大崎下島に 御手洗はありました。 御手洗という名からして 神功皇后がここで手を洗ったという伝説から ですし、ここを訪れた歴史上の人物は、 菅原道真、加藤清正、シーボルト、吉田松陰、七卿 中岡慎太郎、…
和歌山県は、紀伊半島の西側から南を 包み込むような形をしています。 県庁所在地の和歌山市は紀ノ川の南にあり、 思い切り北に寄っています。 この土地を支配したお城が 和歌山の虎伏山にできたせいでしょうが 紀州平定を遂げた豊臣秀吉は弟秀長にこの地を…
東海道53次の47番目の宿場町 関宿は、鈴鹿山脈の山裾にありました。 ここは江戸末から明治の初めにかけ造られた 町屋が200軒以上現存します。 関宿は古代から交通の要衝で、 日本三関の一つ鈴鹿の関が置かれていました。
奈良県の南西部にある五條市は、 伊勢街道が通る新町通りに 古い町並みがありました。 ここは慶長13年松倉重政が二見城主となり、 城下町として整備した町です。
京都の伏見の山の中にある城は、 豊臣秀吉の城でも徳川家康が再建した城でもなく 遊園地が昭和になってから作った城でした。 その遊園地も解散して、伏見桃山運動公園となっています。
織田信忠をまつる大雲院から 豊臣秀吉の妻ねねが建てた高台寺までは ねねの道と呼ばれています。 料理屋さんなどがあり、落ち着いた感じでした。
北房総の利根川沿いに、水郷で知られた佐原があります。 ここは、小野川の両岸に古い商家の町並みを残します。 江戸時代、東北の物資が利根川経由で、江戸に入るときは、 佐原の小野川沿いの商人が、中継しました。 サ
川越の蔵造の町並みを歩いて行くと、 ひと際大きな屋根と分厚い壁の 商家の建物がありました。 屋号がマチカンで、宮岡刃物屋さん、 やまわで、陶器専門店でした。
成田山新勝寺の門前町は成田駅前から 約八百メートル続く表参道にあり、 昔から参拝客で賑わっています。 そんな場所に、早朝訪れると、 また別の顔を見せて呉れました。