2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

卯之町~南予

愛媛県の南予にある卯之町は、 在郷町(もとはお城の城下町)でした。 また宇和島街道の宿駅ともなっていました。 その町並みはよく保存されています。

釈迦涅槃像~南蔵院

福岡市の東側の山手の篠栗町に、 ブロンズで造られた釈迦涅槃像があります。 ここは、南蔵院というお寺です。 立ち上がる事はないと思いますが 41メートル重さ300トンの世界一の大きさです。

海野宿

北国街道海野宿は、長野県東御市にありました。 北国街道は追分で、中山道を離れ、 小諸、海野、上田と進み 善光寺を経由して、 直江津で北陸道に合流します。 街道の柳が風にそよぎ、その横を用水が流れていました。

長浜下船町

長浜の城下を南北に北国街道が 走っていました。 その城下の下船町には、船持ちや船乗り が住んでいました。 船板塀の民家が続きます。

佐原~千葉

小野川の流域に古い商家の町並みを残す佐原は 千葉県の東北の香取市にありました。 小野川は利根川とつながっており、江戸時代東北の 物資が利根川経由で江戸に入る場合、小野川流域の 商家が中継をしました。

竹原

広島県の東部の瀬戸内沿いにある竹原は 江戸後期に塩田の製塩業が発展し、遠くは江戸大阪まで 運ばれました。 そんな町中には、落ち着いた町家がありました。

妻籠宿

中山道の42番目の宿場町妻籠宿は、 長野県南木曽町にありました。

中町通り

松本城から少し離れた中町通りは、 東西に善光寺街道が通り 造り酒屋や呉服屋が、軒を並べる通りでした。 大禮酒造の母屋や蔵、離れが移築され 蔵シック館として利用されています。

鞆の浦~瀬戸内海

潮待ちの港として古代から知られる鞆の浦は、 広島県東部の瀬戸内海にあります。 そんな古い港町の狭い路地を歩いて行くと 海から少し入った所に、江戸末に建てられた、呉服店で、 その後船具店となった商家が建っていました。 表の商家の建物と裏の蔵が一体…

新勝寺門前町~成田

JRの成田駅から表参道を通り、新勝寺に近づくと 道は下りながら曲がっていました。 日中は、参拝客で混雑していますが、早朝なので お店も開いていませんでした。

有松

国道1号線から少し中に入った 名鉄名古屋本線の沿線に、有松絞で 栄えた有松の町がありました。 パン屋さんの隣には立派な蔵が建っていました。

伊勢河崎

伊勢市にある河崎は、伊勢湾に通じる 勢田川の河岸に、古い問屋の倉庫や 邸宅が立ち並んでいます。 過って蔵であった建物は、雑貨を売る店になっていました。

岩瀬家住宅~南砺市

岩瀬家住宅は、富山県南砺市にあり、 江戸後期の加賀藩煙硝上煮役 藤井長右エ門の邸宅です。 藤井家は、その後家系が絶え、岩瀬家の所有となりました。

五條新町

五條新町は、五條と二見を結ぶ 紀伊街道上にできた新町でした。 落ち着いた町並みを残します。

うだつの上がる町並み~美濃市

長良川が南北に流れる美濃市は、 美濃和紙で名が知れています。 過って城下町の面影を残す、大通りが うだつの上がる町並みでした。

金比羅宮参道

香川県琴平町にある金比羅宮は、 海の守り神として信仰されています。 その参道には多くのお店が出ています。 その先を過ぎると1368段の石段が続きます。

弘誓寺~五個荘金堂

那須与一の孫、愚咄が開祖という弘誓寺は、 東近江市の五個荘にありました。 この寺は正応3年(1290)に創建されました。

竹原

広島県東部の瀬戸内海の港町竹原は、 江戸後期には、塩田の製塩が盛んになり 遠く江戸大坂に、船で運ばれました。 そんな当時の繁栄を物語る、古い町屋が 残っていました。

飛騨高山

古い城下町の商家の町並みを見せる、 高山は、岐阜県の北部にありました。 ここで目立つのは、酒屋さんの多さでしょうか。

松江城

山陰地方としては唯一天守が現存する松江城は、 島根県松江市殿町にあります。 松江城の天守は、本丸の中に入ってしまうと こじんまり見えるので、外から石垣越しに見るのが いいと思います。

倉敷

倉敷川の流域に、柳並木と海鼠塀の 蔵屋敷を残す倉敷は、 岡山県南部の瀬戸内海沿いにあります。 江戸時代天領で、年貢米の集散地として 蔵屋敷が、高梁川と児島湾を結ぶ運河である倉敷川 の流域に、立ち並びました。

旧福岡県公会堂貴賓館

福岡の那珂川にかかる出会い橋からほど近くに、 木立に囲まれた一角があります。 その中に、2階建ての洋館がひっそりと建っています。 ここは、明治42年来賓接待のために建てられたもので、 フレンチルネサンス様式の木造建築です。

湯豆腐屋

京都の東山の三年坂から二年坂に降り口に 湯豆腐のお店がありました。 この道の先には、八坂の塔があります。

おはらい町

伊勢神宮内宮前の宇治橋から五十鈴川沿いに 800メートルの石畳の両側に並ぶ鳥居前町、おはらい町 には、様々な店が並んでいます。 伊勢うどんのお店、手捏ね寿司の店、造り酒屋、赤福 様々な店が並びます。

旧今井家~美濃

長良川が南北に流れる、美濃市の うだつの上がる町並みに、 和紙問屋で、庄屋を務めた、 今井家の住宅が残っていました。 江戸中期の建物で、中庭には水琴窟が造ってありました。

塩田宿

長崎街道の宿場町であり、塩田川の川港でもあった塩田には 居蔵家と呼ばれる瓦葺き塗籠の大型町家があります。 廻船問屋を営んで居た伝えられる民家。

脇町~美馬市

徳島県の西部吉野川の北岸に位置する脇町は、 阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 撫養街道と讃岐街道の交差する交通の要衝として 藍の集積地として栄え、様々な業種の商人が 競うようにして、うだつの上がる町家を造りました。

広兼邸~吹屋

お城を思わせる外観の広兼邸は、 岡山県高梁市の吹屋にあります。 ここは、江戸時代後期に、銅山とベンガラの製造に携わり 巨大な富を得た、庄屋広兼家2代目が建てた邸宅です。 敷地は781坪に及びます。

白川郷合掌造りの家屋

コロナウイルスの影響で閉鎖を余儀なくされている 白川郷は、岐阜県の北部の庄川流域にあります。 村の中心から少し遠ざかった場所に、大きな 合掌造りの民家がありました。 ここは、飲食店を営んでいらっしゃる所で、民家では ないのかもしれません。

オランダ坂通り

長崎のオランダ坂通りに、 洋風住宅群が建っています。 ここは明治20年ぐらいに建設の 洋風住宅で7棟あります。