2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧
京成成田駅で降りて、JRの成田駅 との間の道を進むと、表参道に出ました。 昼間は人出が多かったこの道も 朝は歩行者天国ではないのか、 車がスピードを出して駆け下りて行きます。 ここからは新勝寺の三重の塔の屋根が見え、 迷わず行けそうです。
江戸後期から明治にかけて 建てられた商家が整然と並んでいます。 ここは近江商人の故郷で、他の近江商人の中でも 最も早く活躍し、江戸に店を持つ者の、 邸宅が立ち並んでいます。
杵築は、大分県の国東半島の南部に位置し、 江戸時代は三万石の小さな城下町でした。 城下町は、起伏に富んでいて、 岡の上に、武家の邸宅があり 坂を下ると商家の町並みがあります。 酢屋の坂 杵築は坂道の多い町で、酢屋の坂、飴屋の坂、塩屋の坂 勘定場の…
京都の大宮通りを南下すると、 東寺の五重塔が高く見えてきました。 大宮通りには入り口がないみたいなので 九条通りに回り、南大門から入りました。 門からのぞくと、金堂が見えました。
奈良県の南西部にある五條は、 和歌山に向かう紀州街道や 三重に向かう伊勢街道の 交差する交通の要衝でした。 江戸のはじめこの地を治めた松倉重政が城下の二見と 五條を結ぶ新町を企画し、五條新町が造られました。
香川県高松にある高松城は、 瀬戸内海に張り出した水城でした。 今は港ができて、海面からは離れていますが 江戸時代は、海に張り出した月見櫓や水手御門 があり、瀬戸内海から直接入ることができました。
岐阜の北にある飛騨地方の高山は江戸時代の初めは城下町で、その後幕府の支配となり、陣屋が置かれました この通りには、酒屋さんや旅館、お香屋さん、お味噌屋さん などのお店が立ち並んでいました。
長崎の大波止場から中に入って、 思案橋通りを行くと 郵便局の先に左に曲がる道がありますが、 その先に、赤い山門の崇福寺があります。 ここは、黄檗宗の寺院です。
白川郷のライブカメラで見ると、合掌造りの屋根にも 田んぼにも雪が無いみたいです。 今年の冬は暖冬で、何処も雪が少ないようです。 ここまではないにしても、雪は乗っていないようです。
桂浜は高知市の浦戸にある 太平洋を望む海岸です。 今は坂本龍馬の銅像が立つ月の名所ですが、 長宗我部氏の昔には、浦戸にお城が建っていました。
香川県の徳島県に近い東かがわ市に、 讃州井筒屋敷はありました。 ここは、江戸時代上方から江戸からまで醤油を出荷し 引田醤油の名を広めた、佐野家井筒屋で 大正期には酒造業も営んでいました。 今は歴史資料館となっています。
徳島県の吉野川西北岸に、 阿波九城の一つの、脇城の城下町脇町がありました。 ここは、撫養街道と讃岐街道が交差する要衝で、 吉野川の水運も使える場所でした。 脇町は藍の集積地として発展し、町中には うだつの上がる、白壁の商家が建ち並んでいます。
大分市にある府内城は、豊後国府内にあった城です。 鎌倉時代から戦国時代の守護は、大友氏で、 大友宗麟が有名ですが、大友氏は、府内でも 別の場所に大友館を構え住んでいました。 大友家改易後に、福原直高が建てた城です。 4重の天守があったそうですが…
奈良県の橿原市にある今井町は、 戦国時代、堀を深くし武装して 他の勢力の介入を拒否した要塞都市 でした。 石山本願寺の和睦によって、武装解除を条件に 信長から自治権の朱印状をもらいました。
岐阜県高山市の古い町並みに、 伝統的建造物保存地区があり 昔から続く町並みがありました。 白壁の建物は、藍花珈琲店です。
時の鐘は、川越の蔵造の町並みにありました。 川越城主の酒井忠勝が、今をさかのぼること400年前に 創建したと伝えられます。
小諸城は、長野県東部の千曲川の畔にあり島崎藤村の「千曲川旅情の詩」に詠まれています。 今は小諸城の大手門が しなの鉄道の線路より外にありました。
山口県南東部にある室津半島の付け根にある 柳井は、毛利家の支藩岩国吉川家の領地でした。 商業が発達して、岩国藩のご納戸と呼ばれていました。 今も白壁の商家の町並みが残っています。
長崎の南山手2番地に建てられたリンガー邸は フレデリック.リンガーの邸宅です。 リンガーは幕末から明治にかけて 活躍した英国の貿易商です。 今はグラバー園に保存されています。
愛媛県の南予にある大洲市は、大洲藩の城下町で 肱川沿いの高台にお城がありました。 そのお城は、市民会館の横の小道を上れば、 一番高い場所に天守があり 肱川を臨む市内が見渡せます。
岐阜県の庄川の流域にある白川郷は、 合掌造りの里として知られています。 今年は暖冬ですが、この一帯は豪雪地帯で 冬場雪に閉ざされます。 一階部分が住居で、二層三層部分は、冬場の農作業 蚕の飼育に使われていました。
川越の連雀の交差点を北に進むと、 左手に二階の窓が防火扉になった 商店がありました。 ここは、ウッドベイカーズという 飲食店でした。
旧中山道の宿場町妻籠宿は 江戸から数えて42番目の宿場です。 木曽路11宿の中で南から2番目の宿場で、 中山道から伊那街道が分かれる追分がありました。 江戸から明治へと時代が変わり、 交通手段も鉄道に変わられ、宿場は 衰退を遂げました。 時代は昭…
香川県の丸亀市に生駒親正が築いたとされる 丸亀城天守があります。 お城の一番高い場所に小さな天守が載っています。 天守台にしては小さな天守で、現存する12の天守 で一番小さな天守です。
伊勢湾を渡ってきた伊勢神宮の参拝客が 船を降りる所が、勢田川の河岸の河崎でした。 勢田川沿いに石段の残る古い商家や蔵が 当時の繁栄を留めていました。
福岡の天神の昭和通りに、赤レンガと白花崗岩に 色取られた尖塔やドームのある建物があります。 ここは明治42年竣工の、 かって日本生命九州支店として造られた建物で、 東京駅の辰野金吾氏らの設計です。
愛媛県の南予の西予市にある宇和町卯之町は、 宿場町で、宇和島藩の在郷町でした。 現在も白壁に格子窓の家屋が多く残っています。 江戸から昭和初期の建物が残り、 ここでは時間がゆっくり過ぎているようです。
初詣でにぎわう成田山新勝寺は、 弘法大師が刻み開眼した 本尊の不動明王像を祀っています。 新勝寺総門 平将門の乱の平定祈願のために、 朱雀天皇の勅命で寛朝大僧正が 弘法大師開眼の不動明王像を遷座した 成田山が開山されました。