2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

馬籠宿~旧中仙道(2)

岐阜県中津川市にある馬籠宿は、 中山道の宿場町でした。 山の尾根道にあるので、街道も坂道が続きます。 馬籠宿 今は本陣跡に、島崎藤村の記念館 (藤村は本陣の息子でした。)が建っています。 街道の石畳みは、馬籠峠まで登っていき、 杉林の木立の中へ消…

竹原~安芸の小京都(3)

瀬戸内海の交通の要衝として 室町時代より栄えていた竹原は 戦国時代、毛利家の三男小早川隆景の領地でした。 塩田で出来た塩や酒を北前船で、 大坂江戸に運んでいました。 竹原 古い商家の街並みを残す竹原の特産品はタケノコです。

旧唐津銀行本店~唐津市

毎年11月の初めに唐津の街を彩る、 唐津くんちが開催されます。 曳山が、唐津の街を巡ります。 その曳山の経路に、明治45年に 竣工した唐津銀行本店があります。 この建物は、明治の数々の建物の設計に携わった 辰野金吾の監督のもと、赤レンガに白御影石…

松江城~島根

日本海に張り出した島根半島の、宍道湖と中海にはさまれた、 松江市は島根県の県庁所在地で、 山陰では最大の人口(20万人)を擁しています。 松江は、江戸時代親藩の松平氏の城下町でした。 松江城 豊臣秀吉の家臣だった堀尾吉晴が築いた城は、 天守が国…

北国街道~海野宿(4)

中山道の脇街道の北国街道は、 中山道を追分で分かれて、 善光寺を経て、直江津で北陸道と結ばれていました。 善光寺への参拝の道、または佐渡の金を江戸に運ぶ道 として使われました。 海野宿 北国街道の宿場町海野宿は、明治以降鉄道網の発達で 交通の表舞…

佐原街歩き(13)

千葉県の北東部にある佐原は、 小野川の流域に古い町並みを残しています。 利根川の水運で富を蓄えた 商人の家屋や蔵が軒を並べています。 正上醤油の店舗 創業寛政12年の醤油屋さんで、佃煮の製造もしている所でした。

奈良井宿~中山道(6)

奈良井宿は、中山道69次の宿場町で、 木曽路11宿の江戸から2番目の宿場町です。 標高が11宿の中で最も高く、 浮世絵「木曽街道六十九次奈良井」では、 山の崖に出来た宿場みたいに書かれています。 難所の鳥居峠を控え、ここ奈良井宿で、一泊します。…

新町通り~近江八幡

近江八幡は、本能寺の変で主を失った安土城下を、 豊臣秀吉の甥の豊臣秀次が、ここに移し、城下を建設しました。 しかし、城下の発展も続きませんでした。 秀次は失脚し、近江八幡も主の無い城下町となりました。 その後は、商人の街として発展しました。 新…

高山~古い町並み(23)

岐阜高山の三町筋は、お味噌やさんや 版画屋さん、酒屋さんなどの 老舗の店舗が立ち並ぶ、少し狭い通りです。 高山三町筋 その中に「香舗能登屋」の看板を見つけました。 お香や線香、匂い袋、香炉を扱う香りの専門店でした。

竹原~安芸の小京都(2)

竹原の町並み保存地区の 石畳の通りを歩いて行くと 旧郵便局の古い商家の様な家屋の先に、 現在の郵便局がありました。 その先に古い商家がありました。 現在お住いの住居らしく、案内図には 何の記載もありませんでした。 2時間ぐらいの滞在でしたが、竹原…

有松~旧東海道(17)

名古屋市緑区の国道一号線から 少し入り込んだ場所に、 旧東海道の有松はありました。 江戸時代の初めまでは、松林の生い茂る 荒涼とした丘陵地でした。 尾張藩の振興策で、移住が進み、 絞り染めの技術が流入して、 有松絞りを生業にする商家が軒を並べ 豊…

備中松山城

岡山県の山の中に、雲海に浮かぶ、 天空の城があります。 10月から12月の早朝の朝霧が深い 日に現れる現象です。 標高400メートルに築かれた お城で、天守、二櫓土塀が残っていました。 備中松山城天守

花見小路(4)

京都の八坂神社を出て、四条通りを西に進むと、 花見小路通りが南北に走ります。 その花見小路を南に入ると、 北のバーやスナックがあるビル街の花見小路とは、 違って、お茶屋や料亭の立ち並ぶ街並みが建仁寺まで続いていました。 花見小路から東に入ると町…

竹原~安芸の小京都

竹原は広島県の中西部にあり、瀬戸内海に面しています。 瀬戸内海の港町でしたが、 江戸時代、製塩が盛んになり、 塩を運ぶ海運業も発展しました。 千石船で塩を運び、帰りに北陸のコメを大坂に運びました。 大量にあるコメを利用して、酒造業が芽吹きました…

佐賀城~鯱の門

佐賀県佐賀市の城内にある佐賀城は、 鍋島36万石の居城でした。 明治7年の佐賀の乱により、大半の建物は焼失して 鯱の門と御座の間(本丸御殿の一部)が残っています。 今は佐賀城公園として整備され、本丸御殿も再建されています。 佐賀城 鯱之門

鞆の浦

広島県福山市にある鞆の浦は、 瀬戸内海航路の古くからの港町です。 昔の船は、人力、風力で動かしていましたが、 潮の満ち引きの流れを利用して動かしていました。 その為、潮待ちをしました。 瀬戸内海の中間地点の鞆の浦は 潮待ちの湊として栄えました。 …

佐原街歩き(17)

北房総の佐原は、小野川沿いに、 古い町並みを残します。 徳川家康の関東入府に遡れば、 譜代鳥居元忠を矢作4万石で封じました。 その後、元忠は、関ケ原の合戦の前哨戦、 伏見城の籠城戦で討ち死にし、旗本領や直轄領 となりました。 佐原 江戸後期になる…

おかげ横丁

三重県伊勢市の伊勢神宮内宮前に、 おかげ横丁はあります。 この横丁は、江戸か明治初期の 伊勢神宮への、おかげ参りが流行った頃の 伊勢の家屋の街並みを再現されています。 おかげ横丁 狭い路地を抜けると、広い通りに出ます。 そこには、どんな光景が広が…

川越~蔵造りの町並み

埼玉県川越は、川越藩10万石の城下町でした。 前の大戦で、江戸の面影を残す町並みが、姿を消す中 川越は戦災を免れ、小江戸の雰囲気を残します。 川越蔵造りの町並み 古い家屋には、屋号が付いています。 右からまちかんは、刃物販売店で、隣はヤマウで、…

うだつの上がる町並み~美濃市(7)

うだるような暑さが続くこの頃ですが、 最高気温41度を更新している岐阜県美濃市です。 岐阜市の北東にあり、長良川が南北に流れています。 美濃市役所から歩いて行ける場所に、江戸時代からの 美濃和紙などの商家が立ち並ぶ、うだつの上がる街並み があり…

五條新町~旧紀州街道6

旧紀州街道は、五條から紀州和歌山を 結んでいました。 新町通りは、 江戸時代の町並みを残しています。 宿場や商家の家屋が昔ながらの姿で 残っていました。 橋の下の流れは、すぐそばを流れる吉野川に合流します。

八坂の塔

八坂の塔は、京都の東山にある観光名所ですが、 伝承によれば、京都遷都より早く、 592年聖徳太子が、創建しました。 正式には法観寺五重塔で、臨済宗建仁寺派の寺院です。 八坂の塔 東大路通りから東に入ると、すぐに、 五重の塔が目に飛び込んできます…

足助~三州街道

三州街道は、三河湾で採れた、 塩や海産物を、矢作川を使い、 足助まで運び、ここで馬の背に乗せ換えて、 長野の塩尻まで運んでいました。 足助宿 近くには紅葉の名所、香嵐渓があります。

倉敷~美観地区

岡山県倉敷は、江戸時代天領で、 物資の集積地でした。 倉敷川の両岸には、白壁の商家や なまこ塀の土蔵が立ち並んでいます。 路地から入り込んだ場所には、 白壁の商家土蔵の裏小路がありました。 水害で被害を受けた倉敷ですが、 美観地区は被害がなかった…

桜田門~皇居

時の大老、井伊直弼が水戸浪士らの襲撃を受けて、 倒された桜田門外の変の現場は、 今の警視庁前桜田交差点内です。 桜田門は、二重門で、お堀端に建つ外桜田門の高麗門と それに連なる、内桜田門の桔梗門です。 単に桜田門という場合、お堀端に建つの外桜田…

有松~旧東海道(16)

旧東海道にある有松は、江戸時代 有松絞りで繁盛した商家が軒を並べる町です。 毎年6月に豪華な山車が繰り出す 祭りがあります。 小塚家住宅 小塚家が有松に移り住んだのは、 寛永年間で、建物の建設は文久2年です。 有松絞りの問屋の形を残しています

八丁蔵通り~岡崎(3)

旧東海道の国道1号線のそばに、八丁蔵通りがありました。 八丁味噌の蔵元、カクキューの味噌蔵が立ち並ぶ 通りでした。 八丁味噌蔵 この表側には、、カクキューの事務所があり、 工場直売の八丁味噌の直売所がありました。

長浜城下~北国街道

琵琶湖の北東部にある長浜には、 当時北ノ庄と言われた福井とを 結ぶ北国街道が通っていました。 長浜城下 町の中心地札の辻から、北国街道を北ノ庄に向かって進むと、 古い商家とお寺さんが見えました。

妻籠宿~旧中仙道

妻籠宿は、旧中山道の江戸日本橋から数えて、 42番目の宿場です。 場所は長野県木曽郡南木曽町にあります。 今は、旅籠の立ち並ぶ古い町並みは、保存されています。 妻籠宿 妻籠宿をたち、次の宿場の馬籠宿に向かっています。 馬籠峠を越えた石畳の坂道は、…

高山~古い町並み(22)

岐阜の高山には、城下町の面影を残す 町並みがありました。 勿論観光地ですので、お土産屋さんと言えば すべてその範疇に入りそうですが、 白壁土蔵の家屋は、藍花珈琲店です。