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奈良井宿は旧中山道の木曽路11宿の一つで、 難所の鳥居峠を控える宿場として 奈良井千軒と呼ばれ栄えた宿場でした。 そんな宿場で今も行燈の灯を消さない ゑひごや旅館は安政年間から唯一の旅籠として 今も営業しています。
真田一族の城として知られる上田城は、 天守や御殿はありません。 と言うか、関ケ原の合戦前で、秀忠を引き留めた 上田城は関ヶ原後、徹底的に破壊されて、今あるのは その後に入った、仙石家が造った城です。
北国街道海野宿は千曲川が近くに流れる 東御市海野にあります。 北国街道は、追分で中山道から分かれ海野、上田から 善行寺を経て、直江津で北陸道と合流しました。 この道は、善光寺参りや、北陸道の大名の参勤交代、 佐渡の金の輸送に使われました。 近く…
旧中山道の宿場町、奈良井宿で御櫛所の看板を掲げる中村邸は 櫛問屋で、漆櫛の商いをしていました。 中村屋利兵衛と墨書されていて、今は民家造りの家として 資料館となっています
奈良井宿で問屋を務め、庄屋も兼務していた所です。 古文書、諸道具、陶器が展示されていました。 明治天皇の御巡幸の碑が建っていました。
信州松本城から南の女鳥羽川を渡ると、 一本中の通りが、中町通りで、 なまこ塀の蔵や店舗が並んでいました。 民芸や工芸、飲食のお店が並んでいました。
奈良井宿の越後屋旅館は、寛政年間から続く旅籠で、 多くの旅人が、鳥居峠の難所を控え、 わらじを脱いだところです。 また、隣にある日野百草本舗は生薬の胃薬などの お土産を売る店です。
長野県東御市にある北国街道の 宿場町海野宿は、近くに千曲川が流れています。 北国街道は、追分で中山道を離れて海野宿を通り 善光寺を経て、直江津で北陸道と合流します。 海野宿には本陣1軒と脇本陣2軒あり、善光寺参りや北陸の大名の参勤交代 佐渡の金…
岐阜県側の馬籠宿から歩みを進めると、 馬籠峠までは登りで、その後は下り坂でした。 当時の街道は石畳でした。 山に囲まれているせいか、早朝の宿場は暗く感じました。
信州松本城は天守が国宝に指定された、 姫路、犬山、彦根、松江の城の一つです。 五重六階の天守に三重の乾小天守と 月見櫓と辰巳付櫓の複合連結式天守です。 堀の外から天守の全景が眺められる城です。
過って諏訪の浮き城と呼ばれた高島城は、 諏訪湖に突き出した水城でした。 江戸時代に諏訪湖の埋め立てが進み、 今では、諏訪湖の水面から、はるかに 離れてしまいました。 この城は、日根野高吉によって築かれましたが、明治に県庁となった後 建物は取り壊…
松本城から女鳥羽川を渡り南に下ると、中町通りがあり 歩いて行くと、蔵造りの家屋が目に入りました。 蔵シック館 ここは、造り酒屋の大禮酒造の母屋、離れ、 土蔵を移築して、今は市が管理しています。
旧北国街道海野宿は、小諸市と上田市の間の東御市にあります。 北国街道は、中山道を追分で分かれ、 海野、上田、善光寺と進み直江津で北陸道と結びます。 本陣1軒、脇本陣2軒が設けられ、北陸の大名の参勤交代、善行寺参り 佐渡の金の輸送に使われました。
長野県塩尻市にある旧中仙道の 宿場町の奈良井宿は、当時難所の鳥居峠を控える宿場として、 奈良井千軒と言われ、栄えた宿場でした。 今は旅も、鉄道や車に取って代わられ、宿場を訪ねる人々も 古き江戸時代の旅を味う為に訪れます。
島崎藤村の千曲川旅情のうたに詠われた小諸城は、 今は動物園や懐古神社、美博物館が建ち、当時の威容 はありません。ただ、大手門や石垣、三門が残っていました。 三の門 この城は、周りの土地より城内が低いので穴城とも言われていました。
長野の南木曽郡にある妻籠宿は、 旧中山道の宿町でした。 馬籠宿から山を上り下りして妻籠宿に着きましたが、 早朝なので、一軒もお店は開いてなく、雨戸が固く 閉まっていました。 この宿場の最盛期の早朝も、このような風景だったと思います。 当時、ガラ…
もうだいぶ前になりますが、 信州を訪ねる旅をしました。 そのおりに立ち寄った、 奈良井宿は、街道一の難所を控える 宿場として、奈良井千軒と言われ栄えていました。 今も木工品や漆器、信州そば、おやきなどのお店が軒を並べます。 今夜の奈良井宿は雪に…
信州を訪れた時、上田から小諸に 向かう途中に立ち寄った海野宿は 北国街道の宿場町でした。 季節は寒くなる前の晩秋でした。 海野宿 雪に閉ざされた厳冬に訪れたいのですが、 遠い九州から車を走らせられず、 空を眺めています。
長野県諏訪市にある高島城は、諏訪湖に張り出して 造られた城でしたが、江戸時代に諏訪湖が干拓されて 諏訪湖の水面からかなり遠くなりました。 日根野高吉が文禄元年から築城した城です。 今は天守、櫓、門が再建されています。
信州はこのところかなり冷え込んでいますが、 諏訪湖が全面凍結して、氷が盛り上がり 氷の道が出来る、御神渡りの便りはまだの様です。 諏訪大社 御神渡りは上社の男神が、下社の女神に遭いに行く道 と言われています。
旧中山道は、六十九次で江戸日本橋から 京都三条大橋まで結ばれていました。 その宿場町で、木曽路十一宿の一つでもある 妻籠宿が残されていました。 妻籠宿 今は木曽郡南木曽町にあり、本陣一軒、 脇本陣二軒、旅籠三十一軒ありました。
長野県東御市にある海野宿は、 北国街道の宿場町でした。 北国街道は、中山道の脇街道で、 追分で中山道と別れ、善光寺を経て、、 直江津で北陸道に合流します。 海野宿 海野宿は6町に渡り街並みが続き、 本陣1軒と脇本陣2軒ありました。 参勤交代の大名…
長野県塩尻市にある奈良井宿は、 旧中山道の木曽路11宿の一つです。 その中で標高が一番高く、 難所の鳥居峠を控え 賑わい、奈良井千軒と呼ばれました。 中村邸前(右側) 旧中村邸は、塗り櫛の問屋を営んでいました。 建物は天保年間の物です。
過って、諏訪湖に張り出して造られた城でしたが、 江戸の初めに干拓が進み、今は諏訪湖から遠くなりました。 慶長3年日根野高吉によって築かれました。 高島城 明治になって、堀と石垣を残して、取り壊され、 今ある天守や櫓は昭和になって作られたものです。
長野の塩尻市にある奈良井宿は、 旧中山道の宿場町でした。 木曽路にある11宿の中で、 一番標高が高く(900メートル) 難所の鳥居峠を控え、 たくさんの旅人で栄え、 奈良井千軒を言われた宿場町でした。 奈良井宿 もうすぐ、あのお山を白く染める雪の季…
馬籠宿から山道を登り、馬籠峠から旧中仙道 の石畳は杉林の中に、消えて行きました。 ここからは下坂で、妻籠宿に下っていきました。 妻籠宿 松代屋前 旅の宿が松代屋、下嵯峨屋と続いていました。
奈良井宿は、木曽路11宿の一つで、 この中で一番標高が高い所です。 中山道は69次で江戸日本橋と京都を結んでいました。 東海道は53次で結び、距離的には近いのですが、 水難や川止めがある為に、内陸の中山道を選ぶことがありました。 江戸末に皇女和宮の降…
長野県松本市にある松本城は、天守が国宝に指定された 姫路、彦根、松江、犬山、松本の一つです。 戦国時代より侵攻の舞台となりました。 今の松本城を建設整備したのは 徳川家康の家来で、太閤に身を寄せた 石川数正でした。 松本城 石川家は子の代で改易と…
旧中山道の宿場町、奈良井宿は、 木曽11宿の一つで、今は長野県塩尻に属しています。 南北に約1キロの宿場が続き、奈良井千軒と言われ賑わった 宿場です。 奈良井宿 今は、旅籠、おやき、信州そば、漆器、 木工製品のお店が並んでいました。
諏訪大社は、信濃国の一宮で、社格は正一位、 全国にある諏訪神社の総本社です。 諏訪湖周辺に4箇所の境内がある神社です。 諏訪明神は、古くは風水を司る守護神で、 五穀豊穣を祈る神 また武勇の神として信仰されています。 諏訪大社下社秋宮 諏訪地方で行…