2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

奈良井宿~旧中山道

長野県塩尻市にある奈良井宿は 中山道34番目の宿場町で、 木曽路にある11宿の中でも 一番標高が高い宿場でした。 また、難所の鳥居峠を控える宿場で、 ここで草鞋を脱ぎ、一泊する宿場で、 奈良井千軒と謳われ、にぎわったところでした。

飛騨高山

岐阜県の飛騨地方にある高山は、 飛騨山脈や白山山地の山々に囲まれた盆地にあり 冬場はかなりの降雪があります。

旧長崎英国領事館

長崎の大浦海岸通りは、路面電車の走る通りで、 片方を海に面する通りでした。 この通り沿いに、古い赤煉瓦の建物が建っています。 ここは旧英国領事館で、安政5年の修好条約締結後、 長崎は開港場として、自由貿易がおこなわれて、 外交事務が始まり、明治4…

おはらい町

伊勢神宮内宮前の宇治橋から、五十鈴川沿いに およそ八百メートル続く、石畳の通りに 伊勢地方独特の妻切、入母屋、妻入り様式の町並みが続きます。 伊勢うどんに手捏ね寿司などの飲食店や お酒の蔵元、赤福のお餅屋さん が軒を並べます。

弘誓寺~五個荘金堂

東近江市にある弘誓寺は、那須与一の 孫の愚咄が開基の寺です。 川の流れのそばに立つのは、太鼓櫓です。

広兼邸~高梁市

一見中世のお城のように見える広兼邸は、 備中国高梁市の山の中,成羽町にありました。 ここはベンガラの製造で巨大な富を得た 大野呂の庄屋、広兼家が建てた邸宅です。 敷地は781坪で、母屋は98坪あります。 壮大な石垣と母屋、長屋、桜門は 文化10年(1810…

馬籠宿~旧中山道

中山道の43番目の宿場町馬籠宿は、 今は岐阜県中津川市にあります。 木曾路11宿の中で一番南にある宿場で、 山の尾根道が街道になっているので 宿場も坂の途中にあります。 馬籠茶屋付近

有松~旧東海道

名古屋市の緑区の旧東海道に 有松絞で栄えた有松があります。 ここの古い商家は、ほとんどが有松絞りのお店でした。

本芳我家邸宅~内子町

四国南予にある内子町は、江戸時代から木蝋の生産が盛んで 最盛期には国内生産の30パーセントを占めました。 そんな内子町には、木蝋で財を成した 本芳我家の邸宅が残っていました。 明治22年に建てられた漆喰塗籠の重厚な建物で、 なまこ壁やこて絵で装飾さ…

長浜城

豊臣秀吉の造った最初の城として知られる 長浜城は、琵琶湖の北東の湖岸にありました。 浅井攻めの功として、旧浅井領を拝領した秀吉は 小谷城に入りましたが、湖岸の今浜に新しい城を築きました。 その後、時は流れ、徳川の世となると、 長浜城は大坂夏の陣…

竹原

広島県東部の瀬戸内沿いにある港町竹原は、 江戸の後期から塩田の塩の生産が盛んになり、 遠く江戸大坂まで運ばれていました。 そんな竹原の町並みには、石畳の細い路地が巡っていました。

信州松本城

長野県松本市にある松本城は、 遠くにアルプスの山並みを拝する 五重六階の天守の黒の板張りに白の縁取りが 美しい城です。 この堅牢な城も明治になって傾きはじめ、 明治の大修理が行われました。

新勝寺門前町

成田山公園には樹齢七十年を超える500本もの 紅梅、白梅が植えられています。 成田の梅まつりは2月20日から3月7日まで 開催されます。 梅まつりで賑わう新勝寺門前町

祐徳稲荷神社

三大稲荷神社の一つとして数えられる 祐徳稲荷神社は、鹿島市にあります。 ここは貞享4年(1687年)稲荷大神を分霊 創建したことに始まります。 年間300万人の参拝客が訪れます。

佐原町並み

北房総の佐原には、水郷の風景がありました。 小野川沿いに古い商家の町並みを残す佐原ですが、 その樋橋附近に、全国各地を測量して回った 伊能忠敬の旧宅がありました。 17年をかけて日本各地を測量して 全日本沿海沿海輿地全図を完成させました。

長府藩~下関

山口県の下関市にあった長府藩は、 萩の長州藩の支藩でした。 長屋門の中は、母屋はなく 公園になっているみたいでした。

稲荷小路~川越

川越の蔵造の街並みにある、 大沢家と金笛醤油の間に狭い路地があります。 ここは、稲荷小路と書いてありましたが、 社は見つからずに、稲荷井戸というのが 路地の途中にありました。

飛騨高山古い町並み

岐阜県の飛騨地方に、 古い城下町の高山があります。 ここは、高い山並みの白山山地と 飛騨山脈にはさまれた盆地にあります。 標高が高いため冬場はかなりの雪が降る雪国です。 街を歩るいていくと、白壁の土蔵がありました。 この土蔵は隣の味噌屋さんの味…

西本願寺太鼓楼

慶応元年、壬生屯所が手狭になった新選組は、 新選組本陣の看板を掲げ、 西本願寺の太鼓楼と北集会所を使いました。

引田大庄屋日下家(くさかけ)~東かがわ市

引田は播磨灘に面する漁港で、 初めてハマチの養殖に成功した所です。 またここは、醤油の醸造で栄え、 江戸時代、江戸大坂に醤油を運んでいました。 大庄屋日下家の長屋門 日下家は大内郡の大庄屋と引田村と馬宿村の庄屋を務めた家で 初代日下彦右衛門から1…

海野宿~北国街道

中山道を追分で別れた北国街道は, 善光寺を経て、直江津で北陸道に合流していました。 北国街道は、北陸の大名の参勤交代や善光参り、 佐渡の金の江戸までの輸送などに使われました。 海野宿は、鉄道の発達で、利用者が減った明治以降は 養蚕の町として発展…

杵築~城下町

大分県の北東部の国東半島の 南の付け根に杵築がありました。 ここは、5万石ぐらいの小さな藩の城下町で、 二つの丘の上が武家地で、その間の平地が民の 住居があります。 北台武家屋敷通りには、家老職を務めた大原邸があります。

青蓮院

京都の粟田口にある青蓮院は、 天台宗のお寺で、三門跡寺院の一つです。 門跡寺院は、皇族や摂関家の子弟が 入寺する寺院のことです。 車寄せの近くに長屋門がありました。

高梁市

岡山県の中西部にある高梁市は、 隣の広島県と接しています。 そんな高梁市は、江戸時代備中松山城の城下町で 市内を流れる高梁川や成羽川を使って、高瀬舟による 物資の輸送が盛んに行われました。

蔵造の街並み~一番街

川越の蔵造の商家は、江戸の商家形式を 受け継いだものでした。 火事からの類焼を防ぐために、本瓦の大屋根と厚い壁と 観音開きの防火扉の蔵造の商家は、いまも商いの場所として 使われていました。 陶舗やまわの建物は、明治26年の川越大火後に建てられまし…

おはらい町~伊勢市

伊勢神宮内宮前の宇治橋から五十鈴川沿いに、 およそ八百メートル続く石畳の道におはらい町があります。 伊勢独特な切妻、妻入り、入母屋様式の商家の町並みが続き、 伊勢うどんに、手捏ね寿司などの飲食店やつくり酒屋、赤福などの 老舗の銘菓店がありまし…

いろは丸事件

慶応3年(1867年)大坂に向け航行していた 大洲藩所有で、海援隊借り受けのいろは丸が、 瀬戸内海で、紀州藩籍の明光丸と衝突し沈没した 事件です。 賠償交渉が行われた鞆の浦 紀州藩は8万両の賠償金を払う事となりました。

咸宜園~豊後日田

筑後川の上流にある日田は、 江戸時代天領でした。 そんな日田に、日本最大の私塾の 咸宜園がありました。 広瀬淡窓は文化2年(1805年)全寮制の咸宜園を創立しました。 ここでは、授業料を収めると、身分関係なく、誰でもいつでも入学出来 平等に学ぶこと事…