2021-01-01から1年間の記事一覧

鯉城~広島城

安土桃山時代に安芸国の広島に建てられた城で、 毛利輝元によって造られました。 戦前の国宝にもなった城で、日清戦争では、 本丸に大本営が置かれました。 昭和20年の原爆投下地点となり、 天守櫓城門は倒壊しました。

有松~旧東海道

旧東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に出来た町、 有松は、今は名鉄名古屋本線の有松駅の近くにありました。 織田信長の桶狭間の合戦の古戦場があるこの町は 東海道が整備される前は、松林が生い茂る丘陵でした。 絞り染め技術が流入し定着して、この町は 豊かな…

奈良井宿~旧中山道

中仙道の34番目の宿場町奈良井は、 奈良井川の上流に位置し、 木曽11宿の中で一番標高が高い宿場です。 宿場内には地場の木曽杉を使った曲げ物、櫛、漆器の店が 昔から多くありました。

竹原古い町並み

広島県の中南部にある竹原は、 瀬戸内の港町で交通の要衝でした。 そんな竹原は江戸後期から塩田の塩の生産が盛んになり 遠く江戸大坂まで、廻船で運んでいました。

長崎唐人屋敷、土神堂

長崎の中華街を南に下ると、唐人屋敷通りがあり、 そこから少し入ると土神堂という社がありました。 ここは元禄4年唐人たちの願いで建立されたお堂です。

八丁蔵通り~岡崎市

三河岡崎城から八丁離れた、矢作川と 東海道がぶつかる所に八丁蔵通りがありました。 ここはカクキューの八丁味噌の蔵が並ぶ裏通りでした。 八丁味噌は大豆と塩を原料に、 大きな木桶に仕込み、 矢作川の河原の丸石を山ほど積み上げ、 2年間の長期熟成で出来…

相倉集落

富山県の南西部にある南砺市の山の中に、 五箇山というところがあります。 ここは、庄川の流域で、 合掌造りの民家の里です。 相倉集落は、20軒程の合掌造り の家屋が残る里でした。 駐車場には、合掌造りの売店がありました。

旧内山家住宅~越前大野

ここは、越前大野藩の家老内山家の邸宅でした。 越前大野藩土井家五万石は、幕末財政危機に見舞われ、 内山七郎右衛門らは財政改革に尽力し、殖産興業や人材育成 に取り組み、藩営の大野屋を開設し、藩財政を立て直しました。 明治以降に立て直されたものです…

出石(いずし)~但馬の国

今は兵庫県の北部にある豊岡市の 一部になっている出石は、 信州から移ってきた仙石家6万石の城下町でした。 仙石家は元々、豊臣秀吉の古くからの家来で 讃岐の国高松で10万石を与えらていましたが 九州征伐で失敗して、追放され、 小田原攻めで軍功を上げ、…

飛騨高山古い町並み~岐阜

岐阜県の北部の白山山地と飛騨山脈に囲まれた 盆地にある高山は、江戸時代城下町で、 その後幕府の陣屋の支配を受けました。 古い城下町の面影を残す町並みには、 商家が軒を並べていました。

三年坂

清水寺から続く石畳の道を 右に下りると三年坂になりました。 この通りには京漬物や京菓子又お土産屋さんが 軒を並べていました。 この道の先には、京都の工芸品を展示する 三年坂美術館がありました。

川岸通り~佐原

千葉県の北東部の利根川に接する佐原は、 いまは香取市になっています。 小野川の流域に古い商家の町並みを残っています。

臼杵石仏~大分

大分の東海岸にある臼杵は、摩崖仏の 石仏があることで知られています。 この石仏群は、阿蘇山の火砕流が 溶結した凝灰岩に掘られています。 およそ6世紀の後半に掘られた石仏群は 国宝になっています。

亀山宿~旧東海道

亀山宿は、東海道の46番目の宿場町で、 ここを治めていたのは亀山藩で、 石高は1万石から6万石の小さな大名でした。 坂の途中に大きな商家がありました。 もう住んでいらっしゃらないのか、 戸は閉まっていました。

北町通り~湯浅町

和歌山県の有田川の南にある入り江に、 醤油発祥の地として知られる湯浅がありました。 湯浅は、遠く四国徳島を望む海に面する漁港で、 古くから醤油を造っていました。 そんな湯浅の町中に北町通りがありました。 この路地を進むと、古い醤油工場の角長があ…

相倉集落~合掌造りの郷

富山県南砺市にある五箇山の相倉集落は 合掌造りの郷でした。 冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされます。 雪囲いの準備は整っているようです。 ライブカメラカメラで見る限りでは、 雪は降っていないみたいです。

馬籠宿~旧中山道

県をまたぐ町村合併で長野県から岐阜県に お引越しした馬籠宿は、 旧中山道の43番目の宿場町でした。 山の尾根道に出来た宿場で、街道はかなりの坂道でした。

菅沼集落~五箇山

富山県の南西にある南砺市の山の中に、 五箇山の菅沼集落はありました。 ここは、白川郷を流れ下った庄川が流れています。 山あいの集落で、冬場は豪雪地帯です。 行った時は、雪の降る前で、山々は紅葉していました。 もう雪囲いを始めた、家屋もありました…

三州街道~足助宿

愛知県豊田市にある足助町は、 三州街道の足助宿がありました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の舟に乗せて、 足助まで運んでいました。 その塩を足助で馬の背に乗せ換えて信州塩尻まで 運んでいました。 マンリン書店の横の狭い路地は、白壁に囲まれた通りで…

家老屋敷~出石

兵庫県の北部にある豊岡市の出石は、 五万八千石の城下町でした。 藩主は仙石家で、筆頭家老の屋敷が 内掘の近くにありました。 この屋敷の主は、家老の仙石右京と言って、 江戸時代の三大お家騒動の仙石騒動の張本人で、 この騒動で、出石藩は3万石に減知さ…

越前大野~七間通り

福井県大野市にある七間通りは、城を造った 金森長近が、碁盤の目状に通りを造った一つで、 美濃表に行く街道に通じていました。 古い商家の外観を残す店もオシャレな カフエになっていました。

城端(じょうはな)~南砺市(2)

城端別院の善徳寺の前から南に行くと、 左側に蔵の壁が迫ってきました。 この蔵は、旧野村家の土蔵で、4棟あります。 野村家は呉服商で財を成した、野村理兵衛は銀行を設立し 今の北陸銀行に合併しました。

城端(じょうはな)~南砺市

富山の合掌造りの菅沼集落の帰り道で、 偶然止まった交差点の左奥に、 壮麗な寺社建造物があることに気付き、 車を反転して、見に行きました。 ここは、城端別院善徳寺と呼ばれてる真宗大谷派の寺院で 創建は1444年で、本願寺が西と東に分かれるより前の事で…

五箇山相倉集落~合掌造りの郷

富山県南砺市の五箇山にある相倉集落は 合掌造りの郷でした。 ここは、山間にある小さな集落で、20軒程の合掌造りの 家屋が現存しています。 行った時は、山々が紅葉し、雪の降る前で、 民家は冬に備えて、雪囲いの準備が進められていました。

越前大野城

天正3年織田信長より、越前一向一揆を平定した 恩賞として大野郡で、3万石を受領した金森長近は 亀山に城を造りました。 その後、越前松平家が3代続いた後、天領になり、 土井家が入るまで領主は次々と変わりました。 明治の廃城令で、石垣を残すのみとなり…

酢屋の坂~大分杵築

国東半島の南の付け根に杵築があります。 ここは、江戸時代5万石ぐらいの小さな城下町で、 2つの丘があり、その丘の上が武家地で、平地が庶民の住む場所でした。 その丘と平地を坂道がつないでいました。 ここは酢屋の坂で、下に酢屋があった事から名付けら…

七間通り~越前大野

福井県にある越前大野は、金森長近が開いた城下町で、 美濃街道に通じる七間通りがメインストリートで、 大店の店が軒を並べていました。 その七間通りと五番通りの角に、何も表札も看板もない商家 がありました。この商家は間口は広くないものの 五番通りに…

村上家住宅~南砺市

富山県の南砺市の上梨というところに、 観光案内所がありその横に、 村上家住宅という合掌造りの民家が建っていました。 村上家住宅は一重4階建て切妻造り茅葺きで 天正年間に建てられたと伝えられます。

七間通り~越前大野

1575年に越前大野に封じられた金森長近は 碁盤の目状に城下を造りました。 そのメイン通りの七間通りは、美濃街道に通じる通りで 大店が軒を並べていました。 その七間通りと四番通が交わる所に 南部酒造場という大きな造り 酒屋さんがありました。

永平寺~福井県永平寺町

福井県の山の中にある永平寺は、 曹洞宗の總持寺と並ぶ大本山です。 開山は道元で、本尊は釈迦如来、阿弥陀仏 阿弥陀如来の三世仏で、1244年の創建です。 山の中を走り、突然町(永平寺町)が出現した印象で、 木立の中を進むと、大伽藍が姿を現しました。