2026-07-21 眼鏡橋~長崎 長崎の中島川にかかる眼鏡橋は、寛永11年(1634年) に興福寺住職黙子如定が、中国の職人に造らせた石造り2連アーチ橋で、 このカタチから眼鏡橋を呼ばれています。 東京の日本橋や岩国の錦帯橋と並んで、日本三名橋に数えられます。
2026-07-20 あだし野~鳥居本 京都の北西にある鳥居本は、 古くは化野と呼ばれ、京都の風葬地でした。 当時は、身分のあるもの以外は、風葬で、 遺体は放置され、鳥葬で、死体累々の 野ざらしでした。 野ざらしになっていた遺骸を埋葬し供養したのが 化野念仏寺でした。 その後室町時代に、農林業や漁業を主にした集落が開かれ 江戸中期には、愛宕詣での、鳥居前町として栄え 明治時代には愛宕街道沿いに茶屋や町家が立ち並び、観光地になりました。
2026-07-19 馬籠宿~旧中山道 旧中山道の43番目の宿場町の馬籠宿は 中央南アルプスの南端に位置し、木曾路11宿の中で 一番南にあります。 山の尾根道に出来た宿場で、 街道も宿場も坂道になっています。 こんな地形が災いして、ここでは何度も 火災で焼失しました。
2026-07-18 関川村下関~越後 江戸時代、新潟の日本海沿いから 内陸の米沢に向かい、米沢街道がはしり 新潟から60キロ離れた関川村の下関(しもせき)に宿場がありました。 この下関には、近くに荒川が流れ、 日本海に注いでいました。 荒川船便の拠点として栄えました。
2026-07-17 奈良町~大和の国 平城遷都の下京として寺社が置かれた奈良町は、 中世以降、元興寺の境内に様々な手工業者が住み着き その後は商工都市となりました。 先の大戦で空襲の被害を受けなかったので、 狭い路地に古い町屋の街並みが残りました。
2026-07-16 南会津の民家~福島 福島の大内宿から会津若松に向う途中、 変わった感じの民家がありました。 通りの道路に近い場所に蔵があり、それに接続して 民家になっている家が、この通りには、たくさんありました。 屋根の形も独特ですし、どこかで見たような気がしましたが 思い出すと、大内宿の茅葺の宿でした。 昔は、屋根は茅葺屋根で、その後瓦ぶきやトタン葺きになった時、 カタチは茅葺屋根の形が残ったのではないでしょか。
2026-07-15 丹波篠山、河原町 兵庫県の中西部の丹波の国と呼ばれていた所に 丹波篠山の町がありました。 ここは、徳川家康が大坂と西国大名の押さえの為に 天下普請で城を築きました。 その城下町の河原町は、当時の面影を残します。 妻入りに千本格子の商家は、 2階は虫籠窓になっていました。