眼鏡橋~長崎

長崎の中島川にかかる眼鏡橋は、寛永11年(1634年)

に興福寺住職黙子如定が、中国の職人に造らせた石造り2連アーチ橋で、

このカタチから眼鏡橋を呼ばれています。

 

      

 

東京の日本橋や岩国の錦帯橋と並んで、日本三名橋に数えられます。

あだし野~鳥居本

京都の北西にある鳥居本は、

古くは化野と呼ばれ、京都の風葬地でした。

 

当時は、身分のあるもの以外は、風葬で、

遺体は放置され、鳥葬で、死体累々の

野ざらしでした。

 

 野ざらしになっていた遺骸を埋葬し供養したのが

化野念仏寺でした。

 

 

その後室町時代に、農林業や漁業を主にした集落が開かれ

江戸中期には、愛宕詣での、鳥居前町として栄え

明治時代には愛宕街道沿いに茶屋や町家が立ち並び、観光地になりました。

馬籠宿~旧中山道

 旧中山道の43番目の宿場町の馬籠宿は

中央南アルプスの南端に位置し、木曾路11宿の中で

一番南にあります。

 

        

 

山の尾根道に出来た宿場で、

街道も宿場も坂道になっています。

 

こんな地形が災いして、ここでは何度も

火災で焼失しました。

関川村下関~越後

 江戸時代、新潟の日本海沿いから

内陸の米沢に向かい、米沢街道がはしり

新潟から60キロ離れた関川村の下関(しもせき)に宿場がありました。

 

     

 

この下関には、近くに荒川が流れ、

日本海に注いでいました。

 

荒川船便の拠点として栄えました。

奈良町~大和の国

 平城遷都の下京として寺社が置かれた奈良町は、

中世以降、元興寺の境内に様々な手工業者が住み着き

その後は商工都市となりました。

 

    

 

先の大戦で空襲の被害を受けなかったので、

狭い路地に古い町屋の街並みが残りました。

南会津の民家~福島

 福島の大内宿から会津若松に向う途中、

変わった感じの民家がありました。

 

通りの道路に近い場所に蔵があり、それに接続して

民家になっている家が、この通りには、たくさんありました。

 

      

 

屋根の形も独特ですし、どこかで見たような気がしましたが

思い出すと、大内宿の茅葺の宿でした。

 

昔は、屋根は茅葺屋根で、その後瓦ぶきやトタン葺きになった時、

カタチは茅葺屋根の形が残ったのではないでしょか。

丹波篠山、河原町

 兵庫県の中西部の丹波の国と呼ばれていた所に

丹波篠山の町がありました。

 

ここは、徳川家康が大坂と西国大名の押さえの為に

天下普請で城を築きました。

 

その城下町の河原町は、当時の面影を残します。

 

      

 

妻入りに千本格子の商家は、

2階は虫籠窓になっていました。