2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
神功皇后が訪れた御手洗は、 瀬戸内海の島、大崎下島にあります。 昔は、瀬戸内海の真ん中にあり、 船でしか行けませんでしたが 今は、島伝いに橋が架けられ、 車で行けます。 そんな御手洗は、北前船の寄港地で、 船の寄港で、賑わった所です。 狭い路地が…
広島県の東部にある瀬戸内の港町竹原は、 室町時代から港町として知られます。 江戸の後期からは塩田の塩の生産で栄えました。 この古い町屋が堀川醤油醸造所で、 その先はお好み焼きのほりかわがあります。
岡山県の高梁川を遡った場所の 高梁市の一角に、頼久寺町があります。 頼久寺と云えば、足利尊氏が 諸国に命じて造らせた安国寺の一つです。 この寺の庭は、備中国奉行小堀遠州の作成した庭で、 蓬莱式枯山水庭園で知られています。
鈴鹿山脈の山すそに、東海道五十三次の 宿場町関宿はありました。 ここは古代から交通の要衝で、古代三関の一つ 伊勢鈴鹿の関が置かれていました。 この宿場の西の追分から大和街道が、 東の追分からは伊勢別街道が分かれます。 ここには200軒程の古い町…
江戸の昔、越前大野は小高い山に お城のある城下町でした。 この城下町は碁盤目の区割りのある城下町で、 そのメインの通りが七間通りで、美濃表に通じる 通りで、大店の店が並んでいました。 この商家は、表に、越前国大野藩両替所跡と 越前国郵便局発祥の…
成田山新勝寺の表参道を歩いていると、 土蔵造りの店舗がありました。 場所は、新勝寺の総門から50メートルほど下った所で、 建物は登録有形文化財に指定されている様です。 左側の建物で、奥の望楼がある建物は、大野屋旅館でした。 土蔵造りの店舗に話を戻…
兵庫県の北部にある城崎温泉は、 有馬温泉、湯村温泉と共に、 兵庫県を代表する温泉地です。 城崎は七つの外湯を持つ温泉地で、 大谿川沿いに三階建ての温泉宿が並びます。
富山県の南西部にある南砺市の五箇山に、 こきりこの郷、村上家がありました。 ここは江戸中期の合掌造りの建物です。
琵琶湖の東側にある近江八幡に、 日牟禮八幡宮はありました。 古くから近江商人の信仰を集め、 二大火祭りの左義長祭りと 八幡祭りは、 国の選択無形文化財になっています。 日牟禮八幡宮楼門
長崎の大浦海岸通りに、石造りの 3階建ての洋館があります。 ここは、明治37年竣工の 香港上海銀行長崎支店として建てられたものです。 今は記念館として使われています。
冬でも暖かい四国愛媛県の南予地方に、 江戸時代は城下町であった大洲があります。 肱川沿いの高台にあるお城から城下が見渡せます。
長崎の南山手の丘の上に 浦上天主堂はあります。 ここは、正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」と言って、 26聖人に捧げられた教会で、殉教地の西坂を向いて建っています
倉敷の阿智神社から南に下ると、 飲食店のあるにぎやかな通りに出ました。 ここから少し南に行くと、倉敷川沿いの蔵屋敷の 立ち並ぶ通りに出ました。
丹波の国にある福知山城は、 明智光秀によって築かれた城です。 織田信長に丹波の国の平定を命じられた 光秀は平定後福知山城を縄張りしました。 明治の廃城例で解体され、今ある城は、 昭和の終わりに外観復元された城です。
富山県の南西部にある南砺市の山の中に 相倉集落がありました。 ここは、庄川の流域で、冬場豪雪地帯で知られる 合掌造りの郷です。 今はこの茅葺の合掌造りの屋根に雪が積もり、 雪に閉ざされています。
全国を測量して「全日本沿海輿地全図」を完成させた 伊能忠敬の旧宅が,佐原の小野川の流域にありました。 忠敬は、49歳で家業から隠居し、50歳で江戸に出て 天文学を学びました。その過程で、測量をはじめ 地図を完成させました。
琵琶湖の北東に長浜がありますが、そこに 真宗大谷派の寺院があります。 大通寺は、慶長7年(1602年)長浜城跡に創建され、 慶長11年の内藤信成の転封によって 今の場所に移されました。 伏見城の遺構とされる本堂や大広間の建物が残されています。
山口県の東の端にある 岩国市に錦帯橋がありました。 ここは江戸時代、長州藩の 支藩の吉川家が治めた所です。 三代藩主の吉川広嘉はお城と城下を結ぶ橋を 錦川に架けましたが、度々流されるため、 強固な五連のアーチ橋造りました。
広島県の東部の瀬戸内海に古くから 港町で知られた竹原がありました。 室町時代には港町で知られた、竹原は、 江戸後期からは塩田の塩の生産が盛んとなり 江戸大坂に、船で運んでいました。 またこの町は酒の醸造も盛んでした。
愛知県岡崎市に三層五階の立派な 天守建っています。 ここは、徳川家康が生まれた城です。 もちろん今ある城は、鉄筋コンクリート製の三層五階の天守の 昭和34年に建てられた城で、 家康が生まれた頃の城は、天守どころか、 堀も掻揚げの城だったといわれ…
少し登った山の中に、吹屋の町がありました。 ここは、江戸時代の後期に、 ベンガラの国内唯一の産地として繁栄しました。 ベンガラとは、赤色の着色料で、 寺社仏閣の壁や鳥居、磁器や漆器に使われました。
毎年恒例となっている成田山新勝寺の豆まきが、 2月の3日に行われました。 国家安泰.五穀豊穣.万民豊楽.疫病退散.転禍為福 が祈願されました。 今年は、力士や芸能人の参加はありましたが、 参拝客が撒かれた豆を取ることはできませんでした。
肥前佐賀平野の中心に、佐賀城址があります。 今は佐賀城公園として整備されています。 その本丸に、本丸御殿を守るように、 鯱の門があります。 本丸御殿は、慶長13年(1608年)から3年をかけ 造成されましたが、享保11年の大火で焼失し、その後は …
香取市にある小野川の流域に、古い醤油店があります。 ここは正上醤油店で、寛政12年の創業で 、古くは油を扱っていましたが、 天保3年に醤油店となり、今では佃煮も作っています。
川越の大正浪漫夢通りの北の突き当りに、 蔵造りの建物がありました。 ここは仲町観光案内所で、お茶さんや ウナギ屋さんが軒を並べていました。
旧東海道の池鯉鮒宿と鳴海宿の間に出来た町有松は、 今は名鉄名古屋本線の有松駅近くにあります。 ここは、織田信長の桶狭間の古戦場の近くにあり、 東海道が整備された頃は、まだ鬱蒼とした松林が生い茂る 丘陵でした。 その後藩の振興策で、移住が進み、絞…