2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
倉敷の美観地区の倉敷川沿いにある大原美術館は、 外観はギリシャの神殿を思わせる造りで、 近現代のコレクションを誇ります。 橋を渡った向こうは、大原邸があります。 エルグレコの受胎告知などの絵画や宗像志功の版画、河井寛次郎の陶器 など多数の展示品…
信州を訪れた時、上田から小諸に 向かう途中に立ち寄った海野宿は 北国街道の宿場町でした。 季節は寒くなる前の晩秋でした。 海野宿 雪に閉ざされた厳冬に訪れたいのですが、 遠い九州から車を走らせられず、 空を眺めています。
江戸から明治の初め、日本最大の私塾は、 九州の筑後川を遡った天領の日田にありました。 文化2年(1805年)広瀬淡窓は、日田の地で 全寮制の咸宜園を開きました。 束脩(入学金)を納め入門帳に必要事項を記入すると 身分にかかわらず入門することが出…
広島の東にある瀬戸内海に面する竹原は、 古くからの湊町として知られていました。 江戸以降、製塩と酒造で栄えました。 そんな竹原には古い商家の集まった通りがありました。
長崎の唐人屋敷通りから少し入り込むと、 車が通れない狭い階段の路地があり、 煉瓦の塀で囲まれた一角がありました。 最近補修工事が終わった、福建会館は、 江戸時代に遡りますが、明治30年改築され、 今の名前になりました。 会館は原爆によって倒壊し…
滋賀の琵琶湖の北東部にある長浜市は、 町村合併の為か、市域が北方に広がって、 福井県敦賀市に接しています。 話しを長浜市の街中に戻すと、ここは 太閤秀吉の、出世城の城下です。 そんな街中には、水路があり、多分 琵琶湖とつながって、昔は荷物の運搬で…
大分県豊後高田市に富貴寺と言う 天台宗のお寺があります。 富貴寺のある国東半島は、 神仏習合の仏教文化のある土地です。 養老2年(718年)伝聞の開創と伝えられます。 大堂は国宝に指定されています 富貴寺仁王門 入り口の仁王門には、小ぶりの仁王様…
長野県諏訪市にある高島城は、諏訪湖に張り出して 造られた城でしたが、江戸時代に諏訪湖が干拓されて 諏訪湖の水面からかなり遠くなりました。 日根野高吉が文禄元年から築城した城です。 今は天守、櫓、門が再建されています。
千葉県の北東部、利根川と接する 今は香取市になっていますが、 佐原は小野川沿いに古い商家の町並みが 小江戸の情緒を残す町として知られています。 小野川沿いに大きな家屋を見つけました。 ガラス戸に東海の文字がありました。
京都文化博物館は御池通りから 高倉通りに入り込んだ、中京区にあります。 ここは京都の歴史や文化を歴史、 祭り、至宝と文化を区切って 紹介しています。 京都文化博物館別館 ここの別館は元日本銀行京都支店の煉瓦造りの 辰野金吾造りの建物です。
豊前街道は肥後熊本を起点に、 山鹿、南関を通り、豊前小倉を結んでいました。 豊前街道の宿場町で温泉も湧き出る山鹿は、 藩主の御前湯がありました。 そんな山鹿は、菊池川の水運で、有明海を通して 天下の台所大坂とも結ばれていました。 その川港が、菊…
信州はこのところかなり冷え込んでいますが、 諏訪湖が全面凍結して、氷が盛り上がり 氷の道が出来る、御神渡りの便りはまだの様です。 諏訪大社 御神渡りは上社の男神が、下社の女神に遭いに行く道 と言われています。
高山の古い町並みを周っていると、 いなか味噌の暖簾の架かる 大きな店舗がありました。 お味噌文化の残る町だなと思いながら 宮川の朝市にも行って見ると、また別の お店を見つけました。 後で調べると、3軒とも麹屋柴田春治商店のお店でした。 町には、麹…
長崎市の寺町に曹洞宗の晧台寺(こうたいじ) と言うお寺が在ります。 写真の祖、上野彦馬や、蘭学者の二宮敬作、 シーボルトの娘で女医のイネ などの著名人のお墓があります。
旧紀伊街道の五條新町は、 江戸の初めに出来た町でした。 このまま白壁の家屋の道を進むと、 かなり先に、未完成の鉄道の高架 がありました。 これは五新鉄道で、五條と新宮を結ぶ 鉄道でしたが 完成を前に断念されました。
富山県南砺市のもう少し行ったら、岐阜県境と言う場所に、 岩瀬家住宅がありました。 ここは大きな合掌造りの家屋で、 江戸の後期、加賀藩の煙硝上煮役の 藤井長右エ門の住居でした。 岩瀬家住宅 今は雪に閉ざされていると思います。
岡山県の中西部に去年水害に 見舞われた高梁市があります。 その街中に、臨済宗の頼久寺がありました。 このお寺には、小堀遠州の作庭した 蓬莱式枯山水庭園があります。 頼久寺 小堀家は豊臣秀吉の家来でしたが、 関ヶ原後、備中で一万石で封じられました。
高知の市内から海沿いに移動すると、 太平洋を望む砂浜に出ました。 ここは、長曾我部元親が天正19年に浦戸に 城を築き、土佐の中心地になった地ですが、 山内一豊が高知に城を移し、廃城になりました。 今は、坂本龍馬の像と記念館、水族館が建っています…
川越の蔵造りの街並みに 稲荷小路と言う狭い路地がありました。 場所は、大沢家住宅と金笛の間で、 気を付けていないと、通り過ぎてしまうぐらい 狭い路地です。 お稲荷さんの祠があるのかと、入り込んでみると 稲荷井戸がありました。
旧中山道は、六十九次で江戸日本橋から 京都三条大橋まで結ばれていました。 その宿場町で、木曽路十一宿の一つでもある 妻籠宿が残されていました。 妻籠宿 今は木曽郡南木曽町にあり、本陣一軒、 脇本陣二軒、旅籠三十一軒ありました。
構内は朝のラッシュで、人で溢れていました。 一歩外に出てみると、背の高いビルに囲まれた、 静かな駅がありました。
福岡の中洲を天神方面に那珂川を渡ると、 木立に囲まれた、洋館があります。 ここは明治42年開館の福岡県公会堂貴賓館です。
三条通りと四条通りを南北に貫く花見小路は、 北はバーやスナックの歓楽街で 南は、四条通りから建仁寺までで、 お茶屋や料亭が立ち並んでいます。
今はうきは市に名を変えていますが、 豊後街道の宿場町の吉井町は、 有馬藩の久留米と天領の日田の間でした。 精蝋や製粉、製油、酒造などの豊かな商人 の館や蔵、店舗が白壁の街並みを形作っています。 災徐川と南新川沿いにおおきな屋敷がありました。
川越の蔵造りの街並みに、 亀屋の看板を上げるお店を見つけました。 その前に、大正浪漫夢通りから来た時、 亀屋の昔の字の看板を上げる 蔵造りのお店を見ていたので 「おや、もう一軒ある」と思いました。 川越名物芋菓子のお店でした。
今は名古屋の緑区にある有松は、 東海道に出来た町でした。 尾張藩が移住を進め、絞り染めの技術が流入し、 有松は豊かな商人の邸宅や蔵が立ち並ぶ街になりました。 服部豊邸
奈良県の五條市は、吉野川沿いの 大和盆地の西南に位置します。 ここは古くから、大坂と紀伊を結ぶ要衝でした。 紀州街道沿いに、商家の街並みがありました。 酒蔵が残っていました。
唐津くんちの山車が巡る経路に、 旧唐津銀行の煉瓦造りの建物があります。 この建物は唐津銀行本店として 辰野金吾の監督のもと、明治45年に竣工しました。 今は唐津市に寄贈され、一般に公開されています。
岐阜の美濃市のうだつの上がる街並みから路地に入ると 昔懐かしい昭和の情景が広がっていました。 南北に長良川が流れる美濃市は 美濃和紙の産地として知られています。
焼き物の郷佐賀県有田のトンバイ塀のある裏通りを、 西光寺を通り過ぎると レンガの塀の内側にお地蔵さんが、6体ありました。 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上を転生すると言われていますが、 それを救済する仏様が六地蔵です。