2019-01-29 咸宜園~日田 日記 #大分県 江戸から明治の初め、日本最大の私塾は、 九州の筑後川を遡った天領の日田にありました。 文化2年(1805年)広瀬淡窓は、日田の地で 全寮制の咸宜園を開きました。 束脩(入学金)を納め入門帳に必要事項を記入すると 身分にかかわらず入門することが出来ました。 学科は四書五経に始まり、数学、天文学、医学に及びました。 およそ80年の間に、塾主は代わりましたが、4800名の入門者 を数えました。 咸宜園 日田ならぬ飛騨の高山を訪れた時、 高山の地から、遠く九州の山奥の日田まで 咸宜園に入学した学者がいたと知りました。