咸宜園~日田

 江戸から明治の初め、日本最大の私塾は、
九州の筑後川を遡った天領の日田にありました。

文化2年(1805年)広瀬淡窓は、日田の地で
全寮制の咸宜園を開きました。

束脩(入学金)を納め入門帳に必要事項を記入すると
身分にかかわらず入門することが出来ました。

学科は四書五経に始まり、数学、天文学、医学に及びました。

およそ80年の間に、塾主は代わりましたが、4800名の入門者
を数えました。

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咸宜園
日田ならぬ飛騨の高山を訪れた時、
高山の地から、遠く九州の山奥の日田まで
咸宜園に入学した学者がいたと知りました。