仲町~松本

松本は四百年の城下町で、女鳥羽川の南側にある 仲町通りには、土蔵造りの店舗や商家が残っていました。 仲町通りは、主に酒造業や呉服の問屋が集まり 繫栄していましたが 江戸末や明治にかけて大火で 多くの建物が失われて、 なまこ壁の土蔵が造られました。

山鹿宿~豊前街道

豊前街道は、肥後熊本から 豊前小倉を結んでいました。 熊本を出た豊前街道は、北上して菊池川を渡り山鹿の町に入りますが 江戸時代ここには惣門があり、山鹿の町を守っていました。

関宿~旧東海道

東海道の47番目の宿場町「関宿」は、 鈴鹿山脈の山裾にありました。 日本三関の一つに数えられる鈴鹿の関が 名の由来になっています。 今でも伝統的町家が、二百棟以上残っています。

竹原古い町並み

古くは下鴨神社の荘園として栄え、 戦国時代は毛利家の支藩小早川家の領地で、 江戸時代は浅野家の領地だった竹原は、 広島県東部の瀬戸内沿いの港町でした。 江戸後期からは塩田の塩の生産で栄え、遠く江戸大坂まで 北前船で運んでいました。

佐原~北房総

千葉県北東部の北房総に水郷の佐原がありました。 ここには小野川沿いに古い町並みを残します。 県道の55号線沿いにも古い建物が残っていました。

祐徳稲荷神社

有明海の湾奥の鹿島市に、祐徳稲荷神社があります。 ここは三大稲荷の一つで、貞享4年(1687年)に 稲荷神社の分霊を奉祀して創建されました。

旧福岡県公会堂貴賓室

福岡の中州にかかる福博であい橋を 福岡の方に渡ると、木立に囲まれた洋館があります。 ここは旧福岡公会堂貴賓室と言って、 明治42年に来賓の接待所として 建てられた物で、フレンチルネサンス様式の木造建造物です。

三州街道足助宿

三州街道は三河の岡崎から、 信州塩尻を結んでいました。 三河湾で採れた塩を矢作川を使い、 足助まで運び、足助から馬の背に乗せ換えて、 塩尻まで運んでいました。 という訳で、足助には塩の問屋がありました。 三嶋屋は近代まで旅館を営んで居ました。

新町通り~五條市

奈良県の南西部にある五條新町通りに、 新町松倉公園というところがあります。 公園の反対側には、町屋が建っていました。 ここ(公園)は旧領主の松倉重政の碑がありました。 松倉重政は、大坂の陣の功で、 肥前日野江4万3千石に加増になり 島原城を造りま…

妙心寺

京都の右京花園にある妙心寺は、 臨済宗妙心寺派の総本山です。 臨済宗寺院5650寺の中で、 3350寺を妙心寺派の寺院が占めます。 三門、仏殿、法堂などの中心伽藍の周りに 多くの塔頭が立ち並び、西の御所とも呼ばれています。

薬師院~高梁市

岡山県高梁市上谷町にある薬師院は、 花山法皇の開基と云われ、2度の火災で衰退し 備中代官の小堀正次が城下を整備した時 現在の位置に移転させ、高い石垣と庭を造営しました。 正式には瑠璃山泰立寺薬師院といって、 中国と備中の霊場の札所になっています。

妻籠宿

「木曽路はすべて山の中である」 島崎藤村長編小説「夜明け前」書き出し

弘誓寺~五個荘金堂

琵琶湖の東岸にある東近江市の五個荘町の 古い町並みが続く金堂に、浄土真宗の大谷派のお寺がありました。 ここは弘誓寺と言って、弓の名人の 那須与一の孫の愚咄が開基のお寺です。 滋賀県でも2番目に大きなお寺です。

五条本町~紀伊街道

奈良県の中西部にある五條は、 紀伊街道が通っていました。 江戸の初め、二見に城がありました。 その五條本町から二見に街道沿いに、 歩いて行くと、路地があり入り込んでみると また変わった空間が広がっていました。

瑠璃光寺五重塔~山口

瑠璃光寺の五重塔は、国宝になっています。 初め、この地には香積寺が大内氏によって建てられ 25代義弘を弔うために五重塔が建てられました。 その後大内氏は滅亡し、毛利家が香積寺を萩に移した跡に、 陶氏の安養寺(のちの仁保瑠璃光寺)が移ってきました。

原田家~川越

川越の大正浪漫夢通りを北に行き、 古い商工会議所を眺めながら 右に曲がると、 この先は川越街道の県道51号線にぶつかりますが、 その手前に佐久間旅館があり、 その隣に蔵造の立派な家屋がありました。 奥には蔵があるようで、原田家と言って、足立屋の屋…

東大寺中性院

東大寺大仏殿の北西にある大仏池から、 大仏殿裏を通って二月堂への裏街道沿いに、 瓦を土で練りこんだ瓦塀の中性院があります。 中性院の本尊は、快慶作の弥勒菩薩立像です。

伊能忠敬の旧宅~佐原

千葉県香取市の佐原の小野川の右岸に 伊能忠敬の旧宅がありました。 伊能忠敬は、ここの商人で、49歳で隠居をして 天文学を勉強し、日本全国を測量して 「大日本沿輿地全図」を作った人です。

おはらい町~伊勢神宮参道

伊勢神宮内宮前にあるおはらい町は、 宇治橋から五十鈴川沿いに およそ八百メートル続く石畳のとおりです。 伊勢独特な入母屋造,切り妻、 妻入りの店舗が軒を並べます。

馬籠宿~旧中山道

中央南アルプスの南にある馬籠宿は、 中山道43番目の宿場町でした。 山の尾根道に出来た宿場なので、 宿場を通る街道も坂道になります。 木曽路11宿の中で一番南に位置する宿場です。

丸亀城

四国香川県の丸亀市に、大手一の門と二の門と 高い石垣の上に小さな天守を今に残す 丸亀城は慶長7年にほぼ完成しました。 江戸時代、一国一城令で、高松城と丸亀城の2つを 持つのは許されませんが、何とか隠し通しました。

古い町並み~佐原

北房総の佐原には、小野川沿いに 古い町並みを残します。 小野川にかかる忠敬橋の東側の県道55線沿いの 旧三菱銀行前にも、古い建物がありました。

上田家住宅~今井町

上田家住宅は、奈良県橿原市今井町の 大工町筋の南の角地に建っています。 元亀元年に今井町に移住し、壼屋の屋号で、 酒造業を営んで居ました。 惣年寄りを務め、寛永11年には、 他の有力商人と今井札を発行していました。

倉敷川

倉敷の美観地区を流れる倉敷川は、 高梁川と児島湾を結んでいます。 そんな倉敷川の両岸は白壁に なまこ壁の土蔵が立ち並んでいます。

新勝寺門前町~成田

千葉県成田市にある成田山新勝寺は、 真言宗智山派の仏教寺院で、成田のお不動さんとして 親しまれています。 その約八百メートル続く参道には、 様々な商店が軒を並べています。 この参道は緩やかに曲がりながら下って行きました。

関宿~旧東海道

旧東海道の47番目の宿場町関宿は、 鈴鹿山脈の山裾にあります。 ここは、古くからの交通の要衝で、 古代三関の一つ鈴鹿の関があった場所です。 *古代三関~不破の関(美濃国)、愛発の関(越前国)、鈴鹿の関(伊勢国) 東の追分から伊勢別街道が、 西の追…

鞆の浦~瀬戸内海

潮待ちの港として知られる鞆の浦は、 瀬戸内海の中間地の広島県東部にありました。 動力で動く船ができる前は、風力や潮の流れで 船を動かしていました。 潮の流れは、干満の差によって生まれます。 鞆の浦の港で、潮待ちをすることで 東西どちらの方向にも…

高山古い町並み

岐阜県の北部にある飛騨地方に高山があります。 ここは、白山山地と飛騨山脈に挟まれた盆地で 冬場はかなりの降雪があります。 江戸時代前半は城下町で、 その後幕府の陣屋が置かれました。

河崎~伊勢市

河崎は、伊勢湾を渡って来た伊勢神宮の参拝客が 上陸する勢田川の河岸でした。 江戸時代にかけて、日本中の物資を売りさばく 問屋が軒を並べて、勢田川の並びに、お店や土蔵が立ち並び 賑わったところでした。 今では当時の土蔵を改装した店が営業していまし…

奈良井宿~旧中山道 

長野県塩尻市にある奈良井宿は、 旧中山道の34番目の宿場町でした。 今でも、木曽の木を使った曲げ物、櫛、漆器などの木工品や 信州そばやおやきといった飲食店が軒を並べます。