兵庫県の北東にある出石は、五万八千石の(お家騒動で三万石に) 小さな藩で、仙石家が信州から持ってきた 蕎麦が名物になっています。 お城は明治の廃城令で取り壊されましたが、 堀や石垣葉そのままで、隅櫓や登城橋、登城門は再建され 登城橋河川公園とし…
千葉成田の新勝寺に進む表参道は、総門に向かって、 曲がりながらに緩やかに下っています。 いつもは参拝客で賑わうこの通りも、朝の早い時間で、 人通りはなく、寂しい感じでした。
長崎の三福寺の一つ崇福寺は長崎の 唐寺です。宗派は黄檗宗です。 朱塗の山門を潜ると高台の第一峯門に向かいます。 ここの第一峯門と大雄殿は国宝になっています。
長良川に注ぐ吉田川と小駄良川の間に 山城の郡上八幡城がありました。 この城は、1559年に建てられた城です。 昭和8年に再建された城ですが、 日本で最古の城といわれています。 昭和8年に木造で再建された模擬天守を頂いています。
奈良県の南西部にある五條は、松倉重政が開いた 古い町並みがあります。 新町通りには吉野川に注ぐ川の橋のそばに 山本本家という造り酒屋があり、柿の葉寿司ならぬ 柿ワインを作っていました。
富山県の五箇山の相倉集落から 相倉集落に行く途中の道沿いに、 コキリコの郷がありました。 ここは民謡の郷として知られる上梨地区には 村上家住宅が建っていました。 天正年間に建てられたこの住宅は、古い形式を変えずに 残しています。
原家住宅は、川越蔵造りの街並み一番街の 陶舗やまわの蔵造りの家屋です。 川越大火直後の明治26年に、 元々呉服商を営む山本平兵衛が 建てた蔵造りです
京都の清水寺から三年坂を下ると、蔵と蔵に挟まれた 清水三年坂美術館がありました。 ここは幕末明治の金工、七宝、蒔絵、 薩摩焼を常設で展示する日本で初めての美術館です。 行った当時休館日で、車が入り口に駐車していて、 美術館とは気付きませんでした…
佐賀県庁の南側の城内公園の中に 鯱の門があります。 ここは、佐賀城本丸御殿の前で、 御殿を守っていたのでしょう。 明治の佐賀の乱の銃痕の跡が 石垣や門の扉に残っています。
平城遷都の下京として、寺社が置かれた奈良町は、 中世以降、元興寺の旧境内に、様々な商工業者が住み着き 商工都市となりました。 奈良は、太平洋戦争の空襲を受けなかったので 狭い路地に、古い町屋が残りました。
新町通りを北に進むと八幡堀に行きつきました。 この通りの先の山は、お城のあった八幡山です。 この通りには、虫食い窓や出格子のある 古い商人の邸宅が並びます。
彦根藩15代藩主の井伊直弼は、14男として生まれ 長く部屋住みの身で、自ら「埋木舎」と名付けた北屋敷で 過ごしました。 300俵部屋住みの身で、25歳まで、過ごしました。 その後、15代藩主になり、幕府の大老を務め、 日米修好通商条約を締結し、…
明治22年に神戸駅まで開通した 官営鉄道の新橋駅と私鉄の日本鉄道の 上野駅をつなぐ高架鉄道の建設が計画され、 この新線の中央停車場として、大正3年東京駅が開業しました。
琵琶湖の北東にある長浜は、 豊臣秀吉の出世城のある町です。 織田信長は近江平定の功として、木下藤吉郎に 旧浅井領を与え、今浜改め長浜に城を建てました。 徳川の世になると、長浜城は廃城になり、城の部材は、 彦根城などに転用されました。 今ある城は…
名古屋市緑区に旧東海道の町有松があります。 東海道が整備された頃は、この辺は松林が生い茂る丘陵でしたが 尾張藩の振興策で移住が進みましたが、まだ、桶狭間村の一部でした。 言い忘れましたが、織田信長の桶狭間の合戦の古戦場がこの近くにあります。 …
千葉県の北部にある香取市の佐原には、 小野川沿いに古い商家が残っています。 小野川にかかる忠敬橋の東側に、中村屋乾物店があります。 この店の建物が蔵造りで、二階の防火窓には、 観音開きの防火扉が付いていました。 防火扉には、勝男節、祝儀道具、松…
讃岐の国(香川県)の瀬戸内海に張り出した 高松城は、日本三大水城の一つになっています。 この城も埋め立てが進み、今見ている場所は、当時は海の中で 船の上でしかこの櫓を、この位置から眺められませんでした。 月見櫓は、お月様を見る櫓ではなく、 船の…
橿原の今井町で屋号「上品寺屋」で 造り酒屋を営む河合家は、17世紀の初めに、 今井町に移り、酒造業を営んできました。 中尊坊通りの西寄りにあります。
千葉県成田市にある新勝寺は、 真言宗のお寺で不動明王を祀ります。 この寺の総門の前には、門前町が形成され 150店のお店が参道沿いに並んでいました。 この辺りはウナギ屋さんがたくさんありました。
徳川家康の生誕地で知られる岡崎の城は、 当時は、石垣もなく掻揚げの堀で、 もちろん天守もなかったといわれます。 今ある天守は、昭和34年に 復興天守として造られました。
岐阜県の北部にある高山は白山山地と 飛騨山脈に囲まれた盆地にあり、 冬場はかなりの積雪があります。 そんな高山は江戸時代城下町で、 古い商家の街並みが残っていました。 高山は、酒造りに適しているのか、 町には造り酒屋が目立ちました。
雪国の越前大野は、江戸時代、 山の上に建つお城の城下町でした。 お城の山の東側に、武家地があり 家老屋敷が残っていました。 敷地には、4棟の土蔵が建ち、 米蔵、みそ蔵、衣装蔵、新蔵 屋根は雪の重さに耐える様、補強されていました。
岡山県の高梁川を遡る臥牛山の頂上に、 備中松山城があります。 ここは、標高400メートル以上 の山の中にあります。 高い石垣を登ると天守のある一角にたどり着きました。
戦国時代の寺内町が原型の奈良県の 橿原市にある今井町は、伝統的建造物の町屋が 五百軒ほど残っています。 戦国時代、堀を深くして、武力を蓄え、他の勢力の介入を 拒んだ今井町は、石山本願寺の大坂退去後は、自治都市として 繫栄し、「大和の金は今井に七…
岐阜県の北部にある白山山地と飛騨山脈に 囲まれた盆地にある高山は、 江戸時代城下町で、古い商家の街並みが残っていました。 高山市は日本で一番面積の広い市で、 大阪府や香川県よりも面積が広い市です。
諏訪の浮き城と謳われた諏訪高島城は 諏訪市にあります。 この城は、諏訪湖に張り出す形で作られた城です。 江戸時代から諏訪湖の干拓が進み、今は諏訪湖の水面から かなり離れた場所にあります。 明治の廃城令で、堀と石垣だけの城となりましたが、 昭和4…
大分県の国東半島の南ある杵築は、 5万石位の小さな大名が治める城下町でした。 ここは別府湾に開けた二つの丘があり、 その丘が、武士の住む場所で、 その谷には、商人や庶民が住んでいました。 門の中には、大きな母屋が建ていました。 ここは、高級武士…
江戸時代初めに建てられた姫路城は、 山陽の兵庫県の西に在ります。 江戸時代初めに建てられた天守櫓が現存し、 国宝に指定されています。
瀬戸内海に浮かぶ島、大崎下島に江戸時代 北前船の寄港地として賑わった御手洗がありました。 海辺から離れると、島とは感じられない街並みで 細い路地が巡っていました。 白壁の土蔵は、醤油醸造元の建物で、 今は稼働していないみたいでした。
京都の東山の五条坂の入り口南にある大谷本廟は、 浄土真宗の宗祖親鸞聖人の墓所です。 江戸幕府は、知恩院拡張の折、大谷本願寺の代替地として、 鳥辺山付近の今の所在地に土地を与えました。