2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
醤油発祥の地として知られる和歌山県 湯浅町は、有田川南の入り江にあります。 狭い路地の北町通りには、古い醤油工場の 角長がありました。
市電の走る思案橋通りを中に入ると、 突き当りに、赤い三門が見えてきました。 ここは、長崎三福寺の一つの崇福寺で 黄檗宗の禅寺です。
東大寺のお水取りで知られる二月堂の近くに 三月堂(法華堂)があります。 ここは、東大寺の創建よりも古く、金鐘寺の遺構 とされています。
臼杵石仏(摩崖仏)は、 平安後期から鎌倉時代に掘られたと伝えられます。 石仏群は4群に分かれ、地名によって、 ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第2群、 山王山石仏、古園石仏と名づけられています。
広島県東部の瀬戸内海の中央部にある鞆の浦は、 古くから潮待の港として知られていました。 町中の細い路地を進むと、港に出ました。 この路地には、文久3年七卿落ちで、京都を追放された 公家の滞在先があります。 また坂本龍馬のいろは丸展示館があります…
和歌山城は、豊臣秀長が紀州平定後に、 紀伊和泉の二ヶ国を加増されて、 虎伏山に築いた城です。 その後、城主は、桑山、浅野と代わり、 最後に家康の十男の頼宜が55万石で入国して 徳川御三家となりました。 和歌山城天守曲輪 明治の廃城令で、あらかたの…
琵琶湖の北東にある長浜市は、太閤秀吉の故地です。 その市内に、浄土真宗大谷派の寺院で別院大通寺があります。 この御坊は、慶長7年に廃城なっていた長浜城で創建され 今の位置に移りました。 奥の正面に見えるのは大通寺山門です。
東海道53次の江戸から数えて 46番目の宿場町亀山宿は、 城下町でもありました。 東町西町に、旅籠21軒、本陣脇本陣が各一軒 ありました。 今は街道沿いに古い家屋が点在します。 桝屋の屋号で呉服商を営んでいた舘家の住宅です。
伏見城といえば、豊臣秀吉の伏見城を思い出されるかも しれませんが、今現在実存する城は、遊園地が作った 伏見城です。 歴史を遡れば、豊臣秀吉が隠居城として、 伏見指月に最初の城を建てましたが、 慶長伏見地震によって倒壊して 木幡山に再建されました…
東大寺から南に下り、 ならまち大通りを西に入ると 南に入る路地がありました。 その先に大きな邸宅がありましたが 案内板がないので、よくわかりませんでした。
もう3年も前になるのですが、 千葉県の北東部の佐原に行きました。 JR佐原駅から小野川を目指して路地を進むと 朝日に照らされた蔵の向こうに、橋が見えました。 佐原は、小野川流域に、古い商家の町並みを残します。
華甍から2番目の路地を左に入ると 丸に大の字が漆喰で出来ている「大村酒店」 がありました。 清酒白鶴.大村酒店の看板が掲げられていました。
長崎市鍛冶屋町にある崇福寺は、黄檗宗の寺院です。 興福寺、福済寺ともに長崎三福寺の一つで、 長崎の4つの唐寺の一つでもあります。 赤い三門を潜ると、道は山手の階段に進みます。 その先には国宝の第一峰門があり、大雄宝殿に進みます。
有松は今は名鉄名古屋本線の有松駅の南側の町ですが、 江戸のはじめは、桶狭間の合戦で知られる、桶狭間村の一部で 荒涼とした松林が生い茂る丘陵でした。 藩の振興策で、移住を勧めましたが、 なかなか進みませんでした。 その後、絞り染めの技術が定着して…
奈良県橿原市今井町は、天文年間に 一向宗の寺内町として誕生しました。 戦国時代、他の勢力から町を守るために 堀や土塁が築かれ、武装しました。 その後本願寺の降伏で、武装放棄して 商業都市として発展し、今井千軒と呼ばれました。
白川郷は、合掌造りの里として知られています。 その村中に、真宗のお寺がありました。 この寺は明善寺と言って、本堂が文政10年(1827年) に建てられた寺です。
岐阜県美濃市は、美濃和紙で 知られる、和紙の街です。 その市役所の近くに、 うだつの上がる町並みがありました。 そんな街並みを歩いていくと 今は美濃資料館となっている 今井家住宅があります。 ここは、紙問屋で、江戸末には庄屋も兼ねていた家で 入っ…
京都の三条通から安井北門通までの 南北の通りが花見小路です。 三条通から四条通までは、居酒屋のビルが目立つ通りで、 四条通りから南は、もともとは建仁寺の土地で、 茶屋や料理屋の立ち並ぶところです。 最近、花見小路から東西に延びる私道では、 観光…
大分県臼杵市は、戦国の折、大友宗麟が島津に攻められて、 海に浮かぶ(今は陸続きですが)臼杵城にこもり、辛くも 滅亡を免れた地です。 大友家の後、岐阜から稲葉家が入り、明治まで続きました。 そんな臼杵の街を歩いていると、大きな長屋門がありました…
中山道の宿場町妻籠は、木曽街道 十一宿の一つでもあります。 木曽街道は木曽の山中を通るので 宿場の間隔が狭くなっていました。 妻籠宿の中頃に旅籠松代屋の看板がありました。 ここは、江戸時代の創業の旅籠で今も営業されていました。
美濃市に、うだつの上がる町並みがありますが、 その中に今は和料理の椿の店舗に なっている旧武藤家住宅があります。 ここは、領主の金森長近が、 関の刀匠を招いたと伝えられます。 はじめは刀鍛冶、その後刃物金物を生業にしました。
長野県上田市にある上田城は、 第一次、第二次上田合戦で、 真田昌幸、信繁親子が徳川の大軍を 撃退した難攻不落の城として知られています。 第2次上田合戦は、徳川秀忠率いる関ケ原別動隊を 上田城に引き付け、関ヶ原の合戦に間に合いませんでした。
熊本県山鹿市にある八千代座は、1910年に 建てられた芝居小屋で、百年を超える歴史があります。 歌舞伎、浪花節、活動写真、新劇、邦楽に使われましたが 時代の流れには勝てず、昭和48年に閉館しました。 その後、平成の大修理後に復活しました。
観光客でごった返す川越蔵造りの町並みから 西の路地に足を踏み入れると、細い路地の先に、 民家風のコーヒー店がありました。 同じ家屋の中に、お土産屋さんもあるようでした。
三重県亀山市に、東海道53次の46番目の 、宿場町亀山宿がありました。 ここは宿場であるとともに、亀山城の、城下町でもあります。 また幕府直轄の宿場が置かれていたとのことで 探しましたが見つかりませんでした。
木曽川の断崖の上にそびえる犬山城は、 天守が国宝に指定されています。 天文6年(1537年)織田信康により築かれ、尾張藩付家老の 成瀬家の城として、代々受け継がれ、平成16年に財団所有まで 成瀬家の個人所有の城でした。
京都東山にある東福寺は、臨済宗東福寺派 の大本山で、京都五山の一つに数えられます。 ここは、京都で、紅葉の名所の一つとして 知られています。 まだ紅葉には少し早く、11月の末から見ごろとなります。
河崎は江戸時代、勢田川の水運を利用した 問屋街として発展しました。 今でも、勢田川沿いに古い蔵や商店が残っています。
古都奈良の南東部にある奈良町は、 江戸時代以降の狭い路地に、古い町並み が並びます。
竹原は瀬戸内海の交通の要衝で、 古代から港町として栄えました。 江戸末期からは、塩田の塩の生産が盛んになり 、遠く江戸大阪まで、北前船で運ばれました。 そんな竹原には、古い商家の町並みが残っていました。 西方寺の石段から降りてくると、かって郵便…