2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧
美濃和紙で有名な美濃市の市役所からほど近くに、 江戸から明治にかけて建てられた、 うだつの上がる街並みが残されていました。 大きな商家の建物は、美濃和紙を使った美濃あかり館になっていました。
広島の古い港町、竹原は江戸時代、 塩の生産が進み、北前船で全国に運ばれました。 また酒の生産も盛んになりました。 この街並みの西方寺から降りてくると 右側に古い郵便局がありました。 突き当りに堀川醤油醸造所の家屋があり その隣はお好み焼きのほり川…
大分県臼杵市は、石仏で知られる地ですが、 戦国時代は大友宗麟の城がありました。 その街中に、武家の門で、その中に家来を住まわせた 長家門がありました。ここは現在お住いの為、一切 案内板、説明文もありません。 前に見た中島家の長屋門が200石上士…
JR成田線の佐原駅で降り、駅前の通りをまっすぐ行くと、 佐原のシンボルの伊能忠敬の銅像があります。 今回は、佐原の小野川沿いの古い商家を見る事がメイン なので、小野川を目指して、通りを渡りました。 しばらく歩くと、小野川の共栄橋のたもとに出まし…
京都の西本願寺から堀川通りを渡り、 正面通りをまっすぐ進むと、 東本願寺の敷地に行き着きました。 実際には、お寺や町屋が建っているので 東本願寺かどうかは解りません。 この通り(新町通り)には、 東本願寺へつながる入り口はないので 北に進むと、旧…
大分県中津市に赤い壁が印象的なお寺が在ります。 浄土宗西山派の合元寺です。 ここは、黒田孝高に従って姫路から空誉上人が開基 したと伝えられます。
伊勢神宮内宮前のおはらい町は、 宇治橋から五十鈴川沿いに 800メートル続く通りです。 切妻、入母屋、妻入りの伊勢独特の、 家屋のお土産屋さんや、飲食店が並びます。 おはらい町
大泥棒の石川五右衛門が 南禅寺の三門の上から満開の桜を眺め、 「絶景かな、絶景かな」と名台詞を吐いたのは 歌舞伎の楼門五三桐の一節です。 実際には南禅寺の三門は、五右衛門が生きていた時代には 実在しませんでした。 南禅寺三門 文安4年(1447年…
今は佐賀県の嬉野市になっていますが、 長崎街道の塩田宿がありました。 ここは、宿場町と言う側面と、塩田川の川港 (塩田川から有明海に通じていました) を併せ持っていました。 通りには、火災や風水害に強い居蔵家と呼ばれる 商家の建物が軒を並べてい…
江戸時代豪商のある所、蔵ありで、 商家の邸宅や店舗の敷地内には、大きくて 防火壁として分厚い壁、 瓦葺きの大屋根の蔵が建っていました。
大分県中津市にある中津城は、 豊臣秀吉の家来であった黒田如水が 豊前6郡12万石を与えられた後、 山國川の河口に城を築いた事に始まります。 日本三大水城の一つに数えられます。 黒田家は関ヶ原の功で、筑前52万石で、福岡に移動し、 変って、細川忠…
西本願寺の御影堂門から 堀川通りを東に進むと、 西本願寺の総門がありました。 その先は、仏具屋さんの集まった 正面通りが伸びていました。 正面通り 赤煉瓦のドームのある建物は、伝通院です。
千葉県の北東部の利根川に接する 佐原(今は香取市になっていますが)は 小野川沿いに、江戸時代からの町並みを残します。 小野川沿いから少し中に入った静かな場所に 大きな商家の邸宅がありました。 塀の外から覘くと、庭園の松の緑がよく手入れされていま…
岐阜の高山の陣屋の近くに、 一刀彫の看板を上げたお店を見つけました。 ここは、一位一刀彫のお店で、中に入ると 翁、お福、般若などのお面、十二支、高砂、 フクロウ、招き猫などの置物、 茶道具、根付けなどが飾ってありました。 津田彫刻店 ここは、江戸…
最近は、高速道路を使い、通過することが多くなりましたが、 一昔前は、広島の電車道のある道を走っていました。 だけど、広島のお城や原爆ドームは 見なかったような記憶があります。 背の高いビルに囲まれているので、見えなかったですが、 お堀の近くまで…
川越の蔵造りの街並みに、 大きな屋根と重厚な防火壁のあるに、 やまわの陶器屋さんがあります。 路地を挟んで南側が亀屋の看板の架かる 川越名物芋菓子の店で、隣が箸(はし)の暖簾の架かる キッチン遊膳、創作漬物河村屋と続きます。 鰹節中市本店 この通…
福岡の昭和通りを天神に向けて車を走らせると、 那珂川を渡るとすぐ、赤煉瓦の古い建物が見えてきます。 ここは明治42年(1909年)に竣工した旧日本生命 九州支社です。 現在は国の有形文化財に指定され、福岡市の施設として 使われています。 設計は…
東京駅から御幸通りを進み、 皇居前広場からから 二重橋堀の前に歩み寄ると、 手前に石橋、奥に鉄橋が掛かり その奥に伏見櫓が見えました。 手前の石橋を渡ると、石垣に隠れていますが、皇居正門があり それを潜って、お堀の鉄橋を渡り、皇居に入る構造です。
島崎藤村の千曲川旅情のうたに詠われた小諸城は、 今は動物園や懐古神社、美博物館が建ち、当時の威容 はありません。ただ、大手門や石垣、三門が残っていました。 三の門 この城は、周りの土地より城内が低いので穴城とも言われていました。
去年の洪水で被害を受けた高梁市の 高梁川を遡って西に入ると、 江戸時代にかけて赤色の着色料として 全国に流通したベンガラの鉱山がありました。 ベンガラは寺社仏閣の壁や柱に 赤色の塗料として使われました。 今も、吹屋には当時の、ベンガラを精製した…
柳井市は山口県の南東部の 瀬戸内海沿いにある町です。 江戸の昔は,毛利藩の支藩の 吉川氏の岩国藩が治めていました。 商業が発達して、吉川家の御納戸 とも言われていました。 町は白壁の商家の家屋が軒を並べます。 金魚ちょうちんが町を彩ります。
皇居外苑から桜田門を出ると、警視庁があり、 桜田通りの向こう側に、 法務省旧本館の3階建ての赤レンガ館があります。 ここは旧司法省として1895年に竣工した建物で、 関東大震災にも耐えましたが 昭和20年の空襲で内部が焼失しました。 ちなみに、江…
唐津城は、豊臣秀吉の家臣寺沢広高が 慶長13年(1608年)に完成させた城です。 太閤の死後、廃城になっていた名護屋城から、 部材を集め、諸大名の協力を得て完成しました。 現在の城は戦後に建てられた城です。
伊勢神宮内宮の鳥居前町のおはらい町は、 五十鈴川に架かる宇治橋からおよそ800メートル、 妻入りの木造家屋が軒を連ねています。 内宮参拝後のお楽しみとして、伊勢うどん、手捏ね寿司、赤福餅 などの飲食店や真珠、伝統工芸品などのお土産屋が軒を並べ…
臼杵は豊後水道に面する町です。 戦国時代、大友宗麟が海に浮かぶ臼杵城に籠って、 薩軍の猛攻を凌ぎ、守り抜きました。 大友氏の改易後は、岐阜から稲葉氏が入り 明治まで続きました。 その城下町にある二王座は、寺院や武家屋敷が細い路地 で繋がっていま…
長野の南木曽郡にある妻籠宿は、 旧中山道の宿町でした。 馬籠宿から山を上り下りして妻籠宿に着きましたが、 早朝なので、一軒もお店は開いてなく、雨戸が固く 閉まっていました。 この宿場の最盛期の早朝も、このような風景だったと思います。 当時、ガラ…
埼玉の川越市に厚い防火壁に 大きな瓦葺き屋根を乗せた蔵造りの家屋がありました。 ここは江戸時代、川越藩の城下町で栄え、 商家の蔵造りの家屋が残っていました。 今も、この家屋は現役で、商売を営んでいらっしゃいました。 川越蔵造りの家屋
もうだいぶ前になりますが、 信州を訪ねる旅をしました。 そのおりに立ち寄った、 奈良井宿は、街道一の難所を控える 宿場として、奈良井千軒と言われ栄えていました。 今も木工品や漆器、信州そば、おやきなどのお店が軒を並べます。 今夜の奈良井宿は雪に…