2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

坂越大路~赤穂市

坂越は江戸時代前期に、北前船の西回り航路の拠点として、 豪商たちが回船業を営み、坂越浦には西回り航路の大型廻船 31隻や内海用の小型廻船15隻が犇めいていました。 廻船はブランド塩の「赤穂の塩」 を積み込みました。 そんな坂越浦から陸に向かう坂…

石火矢町武家屋敷~高梁

高梁川が南北に流れる岡山県高梁市は、 備中松山城の城下町で、石火矢町に武家屋敷が建っていました。 旧折井家は、家禄百六十石の馬回り役を務める武士でした。

中津川宿~旧中山道

旧中山道の45番目の宿場町の中津川宿は、 美濃国恵那郡中津川村にありました。 ここは、木曾の入り口にあたり、東美濃随一の商業の町で あり、尾張藩重臣山村甚兵衛の知行地でした。 この造り酒屋を過ぎると、街道は鍵の手状に直角に曲がります。

津山城周辺

津山は、岡山県北部の美作国の国府が置かれていた所で 江戸時代は、城下町で栄えました。 お城の備中櫓が正面に見える石段の脇に 時計台のある石造りの建物がありました。 ここは旧津山基督教図書館で、 その後歴史民族館や森山慶三記念館として使われていま…

カネヰ醤油工場跡~たつの

揖保川が南北に流れる播州龍野は、 脇坂家の城下町でした。 その播州龍野藩の「ゐ」の蔵を譲り受けて 明治2年に創業したのが、カネヰ醤油でした。 その会社も事業譲渡され、工場跡は再利用されるそうです。

三年坂~京都東山

清水寺から清水坂に下る途中に、 北に降りる石段があります。 その石段を下りると、 京銘菓や京漬物を商う店や土産物屋が続きます。 ここは、三年坂美術館の少し手前の場所で 三年坂美術館は、幕末から明治時代にかけて 作られた漆工、金工、陶磁器、七宝焼…

鉾納社

阿蘇の小国町にある鉾納社は 山門の前に樹齢七百年の夫婦杉が 二本たっています。 この社には、黒牟田という地から2本の銅鉾が出土して それを祀っています。 その隣には坂本善三美術館が建っていました。

石見銀山鉱山町大森

石見銀山は、最盛期には世界産出の三分の一を占め その大部分が,ここの産出とされました。 石見銀山の鉱山町の大森の町には、ここを管理する 武家と産出に当たる商人が住んでいました。 今は住人は400人位の町ですが、世界遺産登録されています。

大内宿~下野街道

日光の今市と会津若松を結ぶ、下野街道(会津西街道)の 宿場町大内宿は、南会津の下郷の山の中にある宿場で 半農半宿の宿場でした。 今でも茅葺屋根の宿が立ち並んでいますが 宿として営業している所は僅かで 土産物屋や飲食店として営業しています。

旧武藤家住宅~うだつの上がる街並み

長良川が南北に流れる、美濃市の うだつの上がる街並みを歩いていると 四つ角に、古い町屋が建ていました。 ここは、旧武藤家住宅と言って、城主の金森長近が 刀匠を呼び寄せ、ここに住まわせた伝えられ、 初めは刀匠で、その後は金物刃物を扱ったという 家…

脇町~阿波

四国徳島県の吉野川を遡り、 その中域北岸に、かって阿波九城の一つ 脇城の城下町の脇町がありました。 ここは、撫養街道と讃岐街道の交差する 交通の要衝で、阿波藍の集散地として 藍に沸き繭に栄えた当時の沸騰を商家の 建物に見ることが出来ます。 各種の…

蔵造りの街並み一番街~川越

川越の蔵造りの街並み一番街を歩いていると 暖簾に大根のマークのあるお店がありました。 ここは、創作漬物の河村という店舗で 両隣が箸屋さんと鰹節屋さんでした。 河村屋の初代・八郎衛門(1755〜1826)が、 酒屋としての酒粕を使い粕漬のようなものを作り始…

門司港レトロ地区~門司港

九州と山口の間にある関門海峡の門司港は 明治の初めに開港して、商船会社や銀行が支店を置き 当時の輸出額は日本三位の港でした。 ここは明治45年に造られた旧門司税関の赤レンガの建物です。

岩村城下~恵那市

岐阜県の南東部にある恵那市に 岩村城下がありました。 ここは戦国時代、織田信長の叔母に当たる おつやの方が城主を務めていました。 お城の方は、今は石垣だけのお城になっていますが 城下町は、城主が変わっても、繁栄を続けています。 おつやの方は、信…

黒壁スクエア~長浜城下

琵琶湖の北東にある長浜は、太閤秀吉が 初めて城を建てた所で、元は今浜と呼ばれていました。 そんな長浜城下の北國街道と大手門交差する 札の辻と呼ばれ高札の建つ場所は、一番賑やかな場所でした。 今はガラス工房またはギャラリーが入っている 元は旧国立…

岡山城(烏城)

岡山市の旭川河畔に佇む、烏城(岡山城)は 安土桃山時代、豊臣政権の五大老の一人 宇喜多秀家によって築城された不等辺五角形の 四重六階の天守を持つ城です。 関ケ原で敗れた秀家は、八丈島に流刑になり この城に戻ることは二度とありませんでした。

八丁蔵通り~岡崎

岡崎城下町の西に八丁離れる、矢作川の河原の近くに 八丁蔵通りがあります。 ここは、八丁味噌でおなじみのカクキューの 味噌蔵が立ち並ぶ裏通りです。 八丁味噌は、大豆と塩を原料に、大樽に仕込み 矢作川の丸石を山程積み上げて、2年間の長期熟成で 出来…

村田町~仙南地方

宮城県南部にある仙南地方に 江戸時代水運を活かして、紅花の 集散地として栄えた村田町がありました。 当時の繁栄を物語る、古い町並みには、なまこ壁を 多く使った「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの店舗と 隣には壮大な表門が付きます。

奈良井宿~旧中山道

旧中山道の34番目の宿場町の奈良井宿は 木曽路11宿の中でも一番標高の高い宿場とされています。 宿場には下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間には鍵の手があります。 ここは宿場のはずれの鎮神社の石灯篭です。

小野川沿い~佐原

千葉県の北部にある佐原は、水郷で 小野川沿いに古い商家の街並みを残します。 この小野川の対岸には、伊能忠敬の旧宅が残っていました。

亀屋本店~蔵造りの街並み

川越の蔵造りの街並みの仲町交差点の角にある 亀屋本店は、蔵造りの店舗です。 天明3年創業で、川越藩御用達の老舗の和菓子店でした。 ここは明治27年、5代目の山崎嘉七が建てた店蔵と袖蔵です。 屋号は亀屋で、裏にある土蔵は美術館として使われていま…

菅沼集落~五箇山南砺市

富山県の南西に南砺市の五箇山があります。 その山奥の庄川が流れる河岸段丘に 菅沼集落があります。 ここは冬場は豪雪地帯で、背丈を越える 雪が降る、合掌造りの郷です。 をしていました。 冬場は、外に出られないため、養蚕や和紙作り、 煙硝造りをしてい…

二王座歴史の道~臼杵

大分県の東海岸に臼杵の町があります。 ここは大友宗麟が島であった臼杵城に籠り 薩軍の猛攻をかろうじ凌いだ所で、 江戸時代は美濃から入った稲葉家の城下町でした。 ここの城下町は、阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩の丘を削って 細くて曲がりくねった路地が武…

福西本店~赤レンガ通り

福島の会津若松の中町に、今は野口英雄青春通りになっている 赤煉瓦通りに黒漆喰の店蔵の商家が建っていました。 ここは、明治から大正にかけて、醸造業から幅広く手掛け 鉄道や電力業の起業に携わった銀行家の福西本店があります。

本町通り~津和野

島根県の西部の山の中の盆地にある津和野は、 江戸時代亀井家の城下町で、本町通りには、 大店の商家が軒を並べていました。 両脇に蔵のあるのは華泉酒造でした。 この本町通りには三軒の造り酒屋があるようです。

丹波篠山河原町

兵庫県の中東部にある丹波篠山は 関ヶ原後の徳川家康の西国大名と豊臣家に対する 押さえとして天下普請で、城が築づかれました。 そんな丹波篠山には、商人町の河原町が残っていました。 妻入りの商家が並ぶ600メートルの通りで 間口が4~5メートルで奥…

相倉集落~富山五箇山

富山県の南西部にある五箇山の相倉集落は、 庄川の流域にある合掌造りの民家の郷でした。 ここは冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされる 厳しい自然環境の中、和紙作りや養蚕、鉄砲の火薬 の原料である煙硝造りで、日々の糧を得ていました。 背丈を越える雪が降る…

金堂~東寺

平安京鎮護の官寺として建立され、嵯峨天皇が 空海に下賜された東寺は、真言密教の根本道場 として栄えました。 そんな東寺の金堂は、一番先に建設され、 空海に下賜された頃には完成していたとされます。 金堂は他の建物とともに、1486年の土一揆で焼失し、…