2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

五條新町

奈良県の南西部、五條には、東西に紀伊街道、 南北には大和街道が通っていました。 江戸の初め頃、ここを治めていた松倉重政は 二見に城を築き、五条村との間に新町を企画しました。 紀州街道沿いに建つ、造り酒屋さんでは、 柿ワインも作っていました。

橿原今井町

奈良県は北部に平城京のあった 奈良市があり、南は山地で、 中央部に橿原の今井町があります。 今井町は戦国時代の寺内町が原型で、 堀を深くし、武力を蓄え、他の勢力の介入を拒んで いました。 その後は、自治都市として繁栄し、 大和の金は今井に七分と謳…

新勝寺仁王門

成田山新勝寺の総門を潜ると、そのあとは 少し地面が上がり石段になっています。 そこにあるのが仁王門で、天保2年(1831年)に 再建されたもので、中央に「魚がし」の大提灯が吊るしてあります。

飛騨高山

岐阜県の北部に位置する高山は、飛騨地方にあり、 白山山地と飛騨山脈に囲まれた盆地で、 冬場は可なりの雪が降ります。 そんな高山の古い町並みには、城下町の面影を残す 通りがありました。

八丁蔵通り~岡崎

徳川家康の誕生の地、岡崎城は 矢作川から少し離れています。 岡崎城から八丁離れた矢作川の近くに 八丁味噌の蔵が立ち並ぶ、八丁蔵通りがありました。 ここは、八丁味噌のカクキューの工場、蔵の裏通りです。

妻籠宿~旧中山道 

妻籠宿は中山道の42番目の宿場町で、 長野県木曽郡南木曽町の蘭川の東岸にあります。 ここは、中山道と飯田街道の追分がありました。 ここには、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒ありました。 人口は418人ぐらいありました。

今治城~伊予

今治城は関ヶ原後の、慶長7年(1602年) 藤堂高虎によって築城が始められた城です。 海から直接入られる水城で 日本三大水城の一つに数えられます。 明治2年に廃城になり殆どの建物は廃棄され、 堀と石垣の城になりましたが、昭和55年に 鉄筋コンクリート造…

山口政事堂

文久2年(1862年)山陰の萩にあった 長洲藩の首都を山口に移しました。 その後の第一次長州征伐を受け、恭順を示すため 山口城の一部を壊し、萩に戻りました。 慶応元年再び山口に戻った長洲藩は、 第二次長洲征伐の防護の指揮をここで執りました。 今は政事…

八千代座~山鹿宿

熊本県山鹿市に1910年に建設された 八千代座があります。 山鹿は豊前街道の宿場町で、菊池川の川港があり、 交通の要衝でした。物資の集散地で、 屈指の温泉場として賑わっていました。 歌舞伎、浪花節、活動写真、新劇、邦楽に利用されましたが、 時代の流…

長崎港

江戸時代、幕府は鎖国をし、唯一長崎の港を オランダと中国に対してのみ開いていました。 しかも居住地は長崎港の埋め立て地 の出島に限られました。 全面開港は1859年になってからです。。

竹原古い町並み

広島県の東部の瀬戸内海沿いの竹原は、 室町時代から港町として知られていました。 そんな竹原は、江戸後期から 塩田の塩の生産が盛んとなり、 遠く江戸大坂まで北前船で運ばれていました。 狭い路地が続き、両側は古い町屋が立ち並んでいます。

奈良町

平城遷都の時、平城京の下京として寺社が 置かれた奈良町は、中世以降、元興寺の境内に 様々な手工業者が住み着き、産業化して、 商工都市として町が形作られました。 奈良市の東南部の狭い路地に 江戸時代以降の町家が立ち並んでいます。

飛騨高山酒処

岐阜県の北部にある飛騨地方に、西に白山山地、 東に飛騨山脈の山々に囲まれた、 盆地にある高山は、酒造りの盛んな酒どころです。 高山の古い町並みの上三之町にある狭い通りに、 向い同士で造り酒屋さんがありました。

馬籠宿~旧中山道

旧中山道の43番目の宿場町馬籠は、 中央南アルプスの南端にあり、木曽路11宿の 一番南にある宿場町として知られています。 宿場を通る街道は、かなりの坂道でした。

二王座歴史の道~臼杵市

大分県の東海岸に臼杵の町があります。 臼杵は、摩崖仏や醸造の町として知られますが、 江戸時代は、稲葉氏6万石の城下町でした。 城下に、二王座の歴史の道があります。 阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩を 切り崩して造った切通しや 細い路地が武家屋敷やお寺を…

高梁市

高梁川が南北に流れる高梁市は、 江戸時代、備中松山城の城下町でした。 山城の備中松山城には、天守が残り、 現存する12の天守の一つです。 そんな城下町の高梁の町並みを歩いていると 古い白壁の商家が所々に残っていました。

河合家住宅~今井町

橿原市の今井町の中尊坊通りの西側に、 河合家住宅がありますがあります。 ここは、上品寺屋の屋号で、酒の醸造を営むところで 明和9年(1772年)には、酒造りをしていた との文献が残っています。

脇町~吉野川北岸

徳島県の西部の吉野川の北岸にある 脇町は江戸時代、阿波九城の一つ脇城の城下町で、 撫養街道と讃岐街道の交差する交通の要衝でした。 そんな脇町は,藍の集散地で、藍に沸き、繭に栄えた 商いの町でした。

倉敷川沿い

倉敷の美観地区にある倉敷川が クランク状に曲がって居るところにも 白壁の商家が建っていました。 この付近にはどんこ舟の乗り場があるようです。

関宿

旧東海道の47番目の宿場町関宿は、 鈴鹿山脈の山裾にありました。 今でも200軒程の古い建物が残されています。 そんな関宿に元は120年前に建てられた肥料問屋で、 今は古民家ゲストハウスになっている 建物がありました。

佐原~北房総

千葉県と茨城県の境を流れる利根川に 接する香取市佐原は、小野川の流域に 古い商家の町並みを残します。 船着き場のある商家は創業寛政12年の正上醤油店です。

鞆の浦街中

潮待ちの港で知られる、広島県東部の 瀬戸内海沿いの港町鞆の浦は、街中を 狭い路地が巡っていました。

北国街道海野宿

海野宿は、浅間山の西の山裾の、 長野県東御(とうみ)市にあります。 海野宿は北国街道の宿場町でした。 街道沿いには柳が植えられ、 その根元には用水が流れています。 旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物が立ち並び、 格子戸の家屋が並びます。 本うだつの建物…

奈良町散策

平城遷都の下京として寺社仏閣が置れた奈良町は、 中世以降、元興寺の境内に様々な手工業者が住み着き 産業が育ち、商工都市となりました。 そんな奈良町の街角に、蚊帳の店舗を見つけました。 その隣の町屋は住居です。 今は蚊帳を吊らなくなりました。

旧金毘羅大芝居~金丸座

香川県琴平町にある金丸座は、天保6年(1835年) に建てられた日本最古の芝居小屋です。 四国こんぴら歌舞伎大芝居は四国路に春を告げる 風物詩になっています。

若胡子屋跡~御手洗

北前船の寄港で賑わった、瀬戸内海の 大崎下島に御手洗はありました。 その当時の賑わいを残す町家が、御手洗には 残っています。 若胡子屋跡は4軒あった茶屋の一つです。

新勝寺参道

成田山新勝寺の参道を歩いていると、 三階建ての建物の上に 望楼が載っているところがありました。 帰ってから、調べてみると、大野屋旅館と書いてありました。 ここは江戸中期の創業で、今の建物は1935年に建てられたもので 旅館をやる前は蠟燭屋を営んで居…

旧下船町                                                                                                                                                                                                                                            旧下船町~長浜        

長浜の北國街道を歩いていると、 北国道と書かれた石碑の横に、 旧町名の下船町と書かれていました。 ここは、長浜でも琵琶湖の船員が暮らしていた場所なのでしょう。

卯之町

卯之町は江戸時代宇和島藩の在郷町でした。 元々は、戦国時代西園寺氏の松葉城の城下町でしたが、 廃城後に卯之町は在郷町として残り、 四国八十八箇所の札所明石寺の門前町、 宇和島街道の宿場町となりました。 街道沿いには、商家がありました。

西岡家~塩田津

長崎街道の宿場町塩田宿は、 塩田川の川港でもありました。 安政2年(1855年)に建てられた居蔵造り町家の 西岡家は廻船問屋を営んで財を成しました。 西岡家は表は長崎街道に面し、裏は塩田川の 川港の塩田津に面していました。 塩田川は、有明海を通して他…