山口政事堂

文久2年(1862年)山陰の萩にあった

長洲藩の首都を山口に移しました。

 

その後の第一次長州征伐を受け、恭順を示すため

山口城の一部を壊し、萩に戻りました。

 

慶応元年再び山口に戻った長洲藩は、

第二次長洲征伐の防護の指揮をここで執りました。

 

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今は政事堂の建物はありませんが、

門が残っていました。