2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧
有明海に注ぐ塩田川を少し遡ると、川港で知られる 塩田津がありました。 ここ塩田は、長崎街道25宿の一つで、 陶磁器やその原料の天草陶土、肥料、農産物の 積み降しで賑わった所です。 居蔵造りと呼ばれる、大きな造りの家屋 が並びます。
東海道の47番目の宿場の関宿は、 鈴鹿山脈の山すそにあります。 東の追分から伊勢別街道が分れ、伊勢神宮に至ります。 西の追分からは大和街道が分れます。 ここは古代から交通の要衝で、 古代三関(関所)の一つ鈴鹿の関が置かれていました。 ちなみに、…
旧暦の2月に修二会(お水取り)が 行われる東大寺の二月堂は 2回の戦火に焼け残りましたが、 寛文7年お水取りの最中に失火し、 再建されました。
三重県の亀山市に東海道の46番目の宿場町 亀山宿 がありました。 ここの宿場は東町西町の2つの町があり、 本陣脇本陣と旅籠21軒がありました。 、今は街道筋の面影はありませんが、 所々に 古い町屋が残されています。
興福寺や元興寺の門前町として栄えた奈良町は 中世以来の町割りを残しています。 ならちょうは奈良市街南東部にあり、狭い路地に 江戸時代以降の町屋が立ち並びます。
河崎は、伊勢湾を渡ってきた、 伊勢神宮の参拝客が辿り着く河岸でした。 江戸から明治の初めにかけてのおかげ参りも 有り繁栄した、この地では、日本各地から集まる 物資を扱う問屋が軒を並べました。 今も勢田川の流域に、古い蔵や商家が残っています。
川越の連雀町から大正浪漫夢通りを歩いて行くと、 三差路で角に川越商工会議所があります。 その交差点を左に曲がると、山崎美術館から 蔵造りの街並みに出るのですが、 右に行くと、裏に蔵のある民家に行き着いました。 一階は普通の民家ですが、二階が蔵造…
JR高山線の飛騨古川駅から、 荒城川に出て、瀬戸川沿い進むと 白壁土蔵の街並みに出ました。 途中に、古川祭りに使われる、 山車の格納庫や弁天堂がありました。
川越の大正浪漫夢通りから仲町の交差点に向かう途中に、 蔵があり、山崎美術館と書いてありました。 蔵造りの街並みを見に急いでいたので 寄りませんでした。 ここは、そばにある和菓子の亀屋の系列で 明治の日本画の橋本雅邦の絵を展示する 美術館です。 橋…
島崎藤村の千曲川旅情の歌に詠まれている 小諸城は、今は、しなの鉄道の小諸駅近くにあり 石垣と大手門と三之門が残っていました。 大手門 今あるものは、安土桃山から江戸時代に仙石秀久によって 整備されたものです。 お城の中には、動物園、美術館、博物…
岡崎城は、徳川幕府の初代将軍 徳川家康の誕生の地です。 家康の祖父の松平清康は、岡崎城主となりましたが その後、駿府の今川家の庇護を受けたので 家康は人質として、駿府に赴きました。 岡崎城に戻れたのは、今川義元討ち死後です。 当時の城は、天守も…
福岡市の那珂川が流れる中洲の出会い橋の近くに、 木立に囲まれた、洋館が建っています。 ここは、明治時代に造られ、来賓接待所として使われました。 フレンチルネサンス様式を基調とする木造建築物です。
三叉路の荻町交差点をまっすぐ進むと、 街中を通り過ぎて、人家が少ない所まで行ってしまいました。 引っ返して、庄川の河川敷にある駐車場に入り、 そこからは歩いて街中の方に登って行きました。 道沿いにあった合掌造りの家屋より小ぶりの家屋に 行き着き…
岡山県高梁市にある頼久寺は、 町の名前から頼久寺町でした。 この寺は臨済宗永源寺派のお寺で 小堀遠州が造った庭で知られています。 遠州はここを居館として、蓬莱式枯山水 庭園を作庭しました。
大雲院(銅閣寺)から南に下る 寧々の道を東に入ると高台寺に行き着きました。 ここは、太閤秀吉の菩提を弔う為、 その妻寧々が建てた寺で、もともとは この辺りは高台寺の敷地でしたが 火事で、小さくなりました。
1914年開業の東京駅は、 もう百年を超えているんですね。 この前行った時は広場が工事中 でしたが、キレイに完成しているみたいです。
長浜城は太閤秀吉の故地です。 前領主の浅井長政が、信長に敗れ、 攻城の大将であった秀吉に恩賞として 北近江が与えらて、琵琶湖の畔に 新城を造りました。 その後、秀吉は、各地に転戦し、 城も、姫路、大坂、聚楽第、伏見城、 石垣城、名護屋城と造りまし…
今は名古屋市緑区になっている有松は、 旧東海道にあります。 ここは、池鯉鮒宿と鳴海宿の間に出来た街でした。 絞り染めの技術が定着し、有松は豊かな 商人の邸宅や蔵、店舗が軒を並べる町となりました。
吉野川の北岸にある脇町は、江戸時代、 阿波九城の一つ脇城の城下町でした。 また脇町は撫養街道と讃岐街道の交差する 交通の要衝でした。 そんな脇町は、藍の集積地として発展し、 本瓦に漆喰の古い家屋が立ち並んでいます。 屋根の両側にうだつが上がって…
旧中山道の宿場町で、今は岐阜県中津川市に ある馬籠宿は、木曽路11宿の一番南に 位置する宿場町でした。 宿場全体が山の尾根道にある為に、 町を貫く街道も坂道になっています。 その坂道の途中に、今も営業を続ける お宿の但馬屋がありました。
岡山県の高梁川を遡ると、高梁市があります。 ここは、江戸時代初め小堀遠州の父が、 備中の代官として入り、 頼久寺の庭など知られています。 そのお城が、市内の臥牛山にあり 雲海に浮かぶ天空の城とか言われています。 途中までは車で行けますが、駐車場…
今年の十月二十二日、御即位の礼の一環で、 パレード(祝賀御列の儀)が皇居とその周辺で行われます。
造り酒屋さんが並ぶ通りに、 昔ながらの和蝋燭のお店がありました。 」
中津のお城は、黒田官兵衛が 豊前で12万石を拝領して 山國川の河口に築城した事に始まります。 今は周りが埋め立てられて、水城の面影はありませんが 日本三大水城の一つです。
倉敷川が逆くの字に曲がった所に 中橋が掛かっていました。 その橋を渡ると、考古館で、 その隣は料理旅館鶴形でした。 この並びは、大きな商家の家屋が並びます。
広島県の東部の瀬戸内沿いに、潮待ちの湊 として知られる、鞆の浦があります。 潮の満ち引きは、海流をおこします。 その流れを利用して、船を動かすため 潮待ちをしました。 そんな鞆の浦の街中には、保命酒を扱う お店がたくさんありました。
八月の暑い時期に広島城に行きました。 鯉城ともよばれるこの城は、毛利輝元が築いたものです。 戦前の国宝にもなった城でしたが 原爆で崩れ落ち、のちに再建されたものです。
豊前街道も山鹿の中心に入ると、 近代的なビルが目立ってきました。 その中で、旧安田銀行山鹿支店は大正14年に建てられ、 今は山鹿灯籠民芸館として使われています。 この先には、かってお殿様の御前湯だった御茶屋が、 さくら湯として建て替えられていま…
このブログの前に、ヤフーブログで、 朝(きょう)の一枚と言うブログを 書いておりました。 高山の古い町並みを早く見たいと、 早朝の街に、飛び出しました。 前日の人で溢れた街角とは違った、誰一人いない、薄暗い 街並みが広がっていました。
旧中山道の馬籠宿は、山の尾根道の 途中に出来た宿場で、 中山道も坂道となっています。 この坂道を一歩一歩、歩いて越えて行った 旅人が目に浮かびます。