2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

瀬戸大橋

瀬戸大橋は、10本の橋で瀬戸内海をまたいで、 岡山県倉敷市と香川県坂出市を 繋いでいます。 完成は1988年で、上が自動車道で下にJRの鉄道が通っています。 四国に行くとき、1回だけ利用しましたが、帰りは、しまなみ海道を通りました。

高千穂峡

宮崎県の高千穂町に高千穂峡があります。 ここは、阿蘇の火山活動により出来た柱状節理が、 五ヶ瀬川に浸食され、出来たⅤ字谷です。 高千穂峡、真名井の滝 高千穂は、日本書紀、古事記に書かれている、 神々がこの地に降り立った、天孫降臨の舞台でもありま…

高山~古い町並み(3)

高山の上三之町の藤井美術工芸館の門の前で、 観光客が見上げています。 まだ、開館には早い時間なので、 なんだろうと見てみると、門は閉まっています。 門の上の欄干に白黒の猫がいました。 藤井美術工芸館前 藤井美術工芸館は、藤井医院の先生が大正時代…

長崎~東山手洋風住宅群

長崎の東山手の石畳の坂道から下を見ると、 屋根に大きな煙突のある古い洋館がありました。 東山手洋風住宅群 ここは、明治20年頃造られた住宅です。

府内城~大分市

大分市にある府内城は、慶長2年(1597年)に 福原直高により築城が始められましたが、 度々、城主が替わる中、慶長7年(1602年)に完成しました。 その後も城主が替わりましたが、 松平氏が2万石の譜代大名として入府し、明治まで続きました。 四…

有松~旧東海道(7)

旧東海道に出来た、有松は、絞り染めの有松絞りで繁栄しました。 10月の初めには、山車が通りを巡る、有松山車祭りが開催されます。 左から服部豊家住宅、服部良也家住宅 服部豊家は、向かいの大井桁屋から分家して 創業した絞り染め問屋です。屋号は井桁…

富貴寺

大分県豊後高田市にある富貴寺は、 大堂が国宝に指定された天台宗のお寺です。 養老2年(718年)伝聞の創建と伝えられています。 富貴寺仁王門 素朴な感じの仁王様もそう大きくありませんでした。 国宝の大堂は、瓦葺きで、九州最古の木造建築です。

高山市政記念館

古い町並みからほど近い場所に、 元町役場だった高山市政記念館がありました。 ここは、町役場として建てられて、 この後公民館として使われていたものを 記念館としたものです。 高山のあゆみを展示してます。 建物は、当時最高の物を使っています。 総ヒノ…

郡上八幡城

明治になってから石垣を残して、取り壊された郡上八幡城は、 昭和8年木造で再建されました。 再建されて今年で84年目です。 郡上八幡城本丸門

平戸亀岡城

平戸は長崎県の北部に浮かぶ島ですが、 今では平戸大橋によって結ばれて車で行けます。 平戸と言えば、南蛮貿易で、南蛮船の寄港によって栄えた所です。 商館の跡や、オランダ橋、オランダ塀、 倉庫の跡(倉庫は復元されいます)など往事の 痕跡が残っていま…

大内氏菩提寺~龍福寺

南北朝中頃より中国地方の守護であった大内氏は、 居館を山口に移し、京都に模した街作りをして、 200年間、大いに栄えて、 その勢力は、中国は言うに及ばず、九州まで及びました。 山口は、西の京といわれました。 龍福寺 しかし、家臣の陶晴賢に攻めら…

宇佐神宮

国東半島の西の付け根にある大分県宇佐市には、 全国に4万あまりある八幡様の総神宮、宇佐神宮があります。 その昔、道鏡が朝廷に影響力を延ばそうした時、和気の清麻呂が派遣され 宇佐神宮の神託により、その野望は、砕かれました。

うだつの上がる街並み~美濃市(5)

美濃市のうだつの上がる街並みは、 江戸から明治の商家の佇まいを残しています。 この通りから少し入り込んだ路地にも 古い家屋がありました。

飛騨高山~大雄寺

高山の古い町並みから松本方面に 国道158号線で東に行くと、 突き当りに、大きな山門がありました。 地図で見ると、大雄寺と出ていました。 ここは、藩主の金森長近公が、1586年、国府町からこの地に移したものです。 浄土宗のお寺です。 石段を登っ…

犬山城(2)

天守が国宝に指定されている、犬山城に5月の終わりに訪れました。 木曽川の断崖に築かれた天守は、80メートル以上の高台にありました。 木曽川の対岸から川越しに眺めるのが最高ですが、 当日は靄が掛かって見れませんでした。 犬山城天守 最近7月13日…

有松~旧東海道(6)

旧東海道に残る、名古屋市の有松は、 有松絞りで、栄えた商家の 佇まいが、残っていました。 長濱家住宅 隣はベカリーの看板がありました。 主屋を中心に西側に土蔵、東側に塀・物置と、 有松の大規模な絞り問屋に見られる典型的な屋敷構えとなっています。 …

新勝寺三重の塔

成田山新勝寺は、真言宗のお寺です。 御本尊は、不動明王で、 寺名は、成田不動と呼ばれます。 新勝寺三重の塔 本堂が大きいので、三重の塔は、比較的に小さく見えました。 なお、建立1712年、高さ25メートル、国の重文になっています。

北国街道~海野宿

長野県東御市にある海野宿(うんのじゅく)は、 北国街道上の宿場町でした。 街道の脇の水路には、きれいな水が流れていました。 北国街道は、追分で中山道と別れ、善光寺を経て、 直江津で、北陸道と結ばれていました。

明善寺~鐘楼門

岐阜県の北部、白川郷は、合掌造りの家屋が 残る郷です。 明善寺の鐘楼門 そこにある明善寺は、1744年創建の浄土真宗(東本願寺)のお寺です。 本堂・庫裏・鐘楼門ともに茅葺で、合掌造りのお寺です。

高山~古い町並み(2)

上三之町の古い町並みを歩いていると、 飛騨民族考古館という看板がありました。 飛騨民族考古館 鎖帷子などの武具や井戸の抜け穴があるから、 忍者の隠れ屋敷と思えば、さにあらず。 高山が天領になる前、 高山城主の金森家の御典医の屋敷だったそうです。 …

有松~旧東海道(5)

旧東海道にあった有松には、 当時の商家の建物が残っていました。 小塚家住宅 小塚家が有松に移住したのは、寛文年間(1661~1673)といわれ、屋号を山形屋として明治期まで絞り問屋を営んでいました。建物は、文久2年頃(1862頃)のものです。 茶室の付く…

うだつの上がる街並み~美濃市(4)

美濃市にある旧今井家住宅は、 元和紙問屋のお店兼住居です。 江戸時代中期(18世紀末)に建てられました。 間口12間(22メートル) 奥行8間(14.5メートル)の美濃市では 一番大きいお店でした。 今井家住宅 今は、美濃資料館となっています。 帳…

白壁土蔵の表通り~飛騨市(2)

飛騨市の古川町の白壁土蔵から表通りに出ると、 大きな倉庫の前に、2名の杜氏が酒を仕込んでいる像がありました。 渡辺酒造店でした。蓬莱(ほうらい)の酒蔵とかいてありました。 蓬莱とは、古代中国の東の海にある、仙人が住むといわれた桃源郷 私の故郷の…

高山~古い町並み

宮川に架かる加治屋橋を渡り、国道158号線から右折して、 上三之町の街並みに入りました。 藤井美術館を過ぎ、三川屋本店のある四つ角を南進しました。 昨日観光客で溢れ返っていたこの通りは、 ひと通りもなく、ひっそりとしていました。 昨日は人だかり…

白川郷~合掌造り(2)

明善寺横の田んぼでは、村総出の田植えが始まっていました。 5月の末に行ったので、九州の田舎に比べると1か月位早いようです。 観光地だから、人の手で植える観光のイベントでしょうか、 合掌造りの家屋にも大小色々あり、小さい家屋は屋根の傾斜が緩やか…

有松~旧東海道(4)

旧東海道にあった有松の街並みです。 今では、右端に見えるように、 名古屋第二環状道路の高架がそびえています。 岡家住宅 この家屋は岡家住宅と言って、江戸時代末の建物です。 当時は丸屋丈助の店として、小田切春江の錦絵にも描かれています。 敷地は奥…

諏訪高島城

諏訪湖の近くの (もとは諏訪湖に接していた。) 高島城へ昨年の10月にいきました。 湖の湖畔道路からかなり入り込んだ所に お城がありました。 高島城冠木門と天守 この城は、太閤の家来の日根野高吉公が 天正20年から築城に着手して 慶長3年に完成した…

高山陣屋

高山には、金森長近公が築城した飛騨高山城がありました。 場所は、古い町並みの南方で、城山公園になっています。 元禄8年(1695年)飛騨一国は幕府領となり、 飛騨高山城は、取り壊しとなり、建物、石垣まで壊されました。 そして、代官所が置かれまし…

郡上八幡~街並み

郡上八幡のお城は、お山のてっぺんにありますが、 城下は、平地にありました。旧郡上八幡庁舎から郵便局を越して、 通りを行くと、お店とお店の間に、あまり日の射さない小道がありました。 やなか水の小道 お店の古い板壁と柳と水路が独特の風情を醸し出し…

白川郷~合掌造り

白川郷が一望に見渡せる天守閣展望台から見ると 合掌造りの家屋は、南北に並んで建っていました。 これは、白川の風の影響を考慮し、 風の影響を最小にするとともに 屋根に当たる日射量を計算し、 夏涼しく、冬少しでも温かく 過ごせるように建てられていま…