#長崎県
出島は、江戸時代、鎖国によって閉ざされた日本の、 唯一の世界への窓で、初めポルトガル貿易、 その後オランダ貿易と変わりました。 長崎港に突き出した、扇形の人工島でした。 今は周りも埋め立てられて、扇方の地形も判りませんが、 長崎市の事業で、再現…
長崎の大浦海岸通りを、グラバー通りに入ると、 道は少し登っています。 その先に高い尖塔のある浦上天主堂があります。 ここは、幕末開国後に建てられた、最古の天主堂で 正式には日本二十六聖殉教者天主堂と言って、 二十六聖人に捧げられた天主堂で、殉教…
長崎県平戸は、九州本土の最西端に位置する島です。 鎖国前は、南蛮貿易で栄え、国際貿易港でした。 長崎県では初めてキリスト教の布教が始まりました。 そんな平戸には、教会が10箇所以上あります。 ザビエル記念教会 平戸はザビエルが三度が訪れた地です…
長崎の寺町を歩いて行くと、 赤い山門が印象的な興福寺がありました。 ここは黄檗宗の禅寺です。 奈良にも同じ名前のお寺が在るなと思いながら 山門を潜ると中国風の大雄宝殿がありました。
長崎の中島川に架かる二連アーチ橋の「眼鏡橋」は 寛永11年(1634年)興福寺の黙子如定によって 架けられました。 当時中島川氾濫の度に、橋が流されていたのを憂慮して、 中国から石工を呼び、完成したと伝えられています。
長崎の唐人屋敷通りから少し入り込むと、 車が通れない狭い階段の路地があり、 煉瓦の塀で囲まれた一角がありました。 最近補修工事が終わった、福建会館は、 江戸時代に遡りますが、明治30年改築され、 今の名前になりました。 会館は原爆によって倒壊し…
長崎市の寺町に曹洞宗の晧台寺(こうたいじ) と言うお寺が在ります。 写真の祖、上野彦馬や、蘭学者の二宮敬作、 シーボルトの娘で女医のイネ などの著名人のお墓があります。
長崎の南山手の高台にグラバー園があります。 ここは、イギリス人商人のグラバーが開港直後から 絹、茶、武器の輸入に携わりました。 ここから、長崎港を見下ろせば、 港の隅々まで見通せます。
平戸は長崎県北西部に浮かぶ島です。 16世紀半ばポルトガル船の来航以来 南蛮貿易の花が咲き、各国の商館が建てられ キリスト教の布教と貿易で賑わいました。 しかし、17世紀になると鎖国が始まり オランダ商館は長崎に移転しました。 その頃の面影は、…
赤い三門が印象的な崇福寺は黄檗宗のお寺です。 場所は、長崎の湊から陸の方に入った所です。 市内電車の崇福寺電停の近くです。 赤い三門を潜ると左側の高台にお寺が在ります。 第一峰門と大雄宝殿が国宝に指定されています。
長崎の眼鏡橋を渡り東に行くと、 お寺さんが集まってある場所がありました。 その先の高台には、亀山社中やシーボルト の娘のイネの墓があります。 晧台寺(こうだいじ) 海雲山普昭晧台禅寺は曹洞宗のお寺です。 暗い山門を潜ると緑のお庭が広がっていまし…
長崎の市電を思案橋で降りて、 電車道から少し中に入った場所に 黄檗宗崇福寺があります。 崇福寺 ここは、華僑の人々が、 江戸時代に超然を招聘して創建されました。 黄檗宗は、3禅宗の一つです。 第一峰門、大雄宝殿が国宝に指定されています。
興福寺と言えば、奈良にある法相宗の大本山を 思い浮かべる方が多いと思います。 長崎の寺町にある東明山興福寺は、 日本最古の黄檗宗のお寺です。 寺町の細い路地を高い石垣沿いに進むと、 石垣に切れ目に、赤い山門が印象的なお寺です。 本堂も軒が跳ね上…
長崎の港は、南に開けた港で 開口部に女神大橋があります。 普通、港の入り口に橋があると、 背の高い船や、幅の広い船は通れません。 その為に、開閉式の橋が用いられますが、 女神大橋は、つり橋で、クインエリザベスⅡも 通れる高さがあります。 女神大橋 …
南蛮貿易と言えば、平戸が思い起こされます。 天文19年(1550年)に初めてポルトガル船が来航して 寛永18年(1641年)オランダ商館の長崎転出で ここでの貿易は終わりました。 それと同じ時期にキリスト教の布教が行われました。 そんな平戸には…
江戸時代後期の安政5年(1858年) 修好通商条約により、長崎は開港場となり自由貿易が行われました。 明治41年(1908年)に完成した英国公使館は、 市内電車道沿いにあります。 旧英国公使館 煉瓦の積み方も英国式です。今は、修復工事中で中には…
長崎にあるオランダ坂は、 ガッカリ名所の一つとされているそうですが、 私には、よく解かりません。 入り口の活水女学院は、日本で最初の女子の學校です。 石畳の坂道は、脇道の坂道が合流して、重層に見えます。 坂道から下を見ると、東山手の洋館群の屋根…
長崎の街中にある眼鏡橋は、 人気の観光地ですが、 この橋は寛永11年(1634年) 興福寺の住職によって架けられました。 中島川の氾濫の度に流される橋を見かねて 石造りの2重アーチ橋を、中国の石工を呼び寄せて 造らせました。 中島川に架かる眼鏡橋 頑丈…
長崎県の北の端に、鎖国前の一時期、南蛮貿易で、 隆盛を誇った平戸島は、平戸大橋によって 昭和52年九州本土とつながりました。 その平戸市は、島だけでなく、対岸の九州北部も市域に入ります。 平戸島を見渡せる対岸の小高い丘陵に、田平カトリック教会…
長崎市は、平地が少なく、 山の斜面を開発して造られた街並みなので、 坂道が至る所にあります。 グラバー園などの洋館からは、長崎の港を 一望のもとに見渡せます。 長崎港
長崎市は、未だ路面電車の走る、港町です。 この路面電車を思案橋で降り、 近代的なビルの立ち並ぶ、観光道路を 左に曲がると、緑の石垣に囲まれた一角があります。 黄檗宗崇福寺です。 赤い三門が印象的なお寺です。 国宝の峰門には、崇福禅寺と書いてあり…
長崎の大浦海岸通りを市内電車道は左折して、 大浦天主堂に行きますが、 直進すると、左側に3階建ての石造りの建物が見えます。 この建物は、香港上海銀行が1892年開設し、 1904年に竣工したものです。 現在は長崎市の多目的施設となっています。 …
長崎市の新地の中華街を抜け、 福健通りから唐人屋敷通りに出ると 赤い正門が印象的な、福健会館がありました。 ここは、中国の福健省出身者が建てた会所でしたが、 原爆により倒壊し、今は正門と天后堂が残っています。 福健会館、天后堂 赤い煉瓦積みの天…
平戸は、長崎県北部に位置する島で、 鎖国が始まる前までは、中国、 ポルトガル、オランダなどとの、貿易港でした。 現在は、九州本土と平戸大橋でつながり、車で行けます。 平戸の港に向かう途中に石橋がありました。 この橋が幸橋で、オランダ橋とも言われ…
長崎県島原市は、有明海に張り出した、島原半島の東側にあります。 半島の真ん中には、雲仙岳がそびえています。 市内の有明海を望む場所に、島原城があります。 島原と言って思い出すのは、江戸初期の島原の乱ですが、 当時松倉氏が4万石の領主でした。圧政…
長崎にあった出島は、幕府の鎖国政策の一環として、 長崎港の海を埋め立てて造られた人工島で、およそ1,5ヘクタールの 扇方をしていました。1536年から数年間は、ポルトガル貿易、その後 は、オランダ貿易が行われました。 現在は埋め立てで、出島の周…
長崎県平戸市にある田平カトリック教会は、 あの南蛮文化真っ盛りに繫栄した平戸島にはなく、 対岸の松浦半島にあります。 町村合併で田平町が平戸市なったのでしょう。 周囲は、起伏のある丘が連なる高台にありました。 人影は見えず、風が丘から丘へと吹き…
長崎市の南山手にある、大浦天主堂は、 1865年に建てられた現存する日本最古の教会で、 国宝に指定されています。 正式には、日本二十六聖殉教者堂です。 慶長元年、信仰を捨てず処刑された、26人が殉教者として 聖人に列せられて、26聖人に捧げられ…
長崎の東山手の石畳の坂道から下を見ると、 屋根に大きな煙突のある古い洋館がありました。 東山手洋風住宅群 ここは、明治20年頃造られた住宅です。
平戸は長崎県の北部に浮かぶ島ですが、 今では平戸大橋によって結ばれて車で行けます。 平戸と言えば、南蛮貿易で、南蛮船の寄港によって栄えた所です。 商館の跡や、オランダ橋、オランダ塀、 倉庫の跡(倉庫は復元されいます)など往事の 痕跡が残っていま…