#福岡県
福岡県久留米市の近くの筑後平野北部に、 今村天主堂がありました。 ここは大正2年竣工の赤レンガ造りの天主堂で、 国の重要文化財に指定されています。 江戸時代隠れキリシタンとして 信仰を守った郷でした。
関門海峡を正面に見る門司港レトロ地区は、 北九州市門司区にあります。 ここは、明治から外国航路の拠点や貿易港として 発展しました。 金融機関や商社、海運会社が支店置き、九州への玄関口 ともなりました。 門司港レトロハイマートのビルがあまり高いの…
キャナルシティ博多は、福岡市博多区 にある複合商業施設です。 中には、映画館やショップ、レストランが入っています。 キャナル(運河)をイメージした配置になっています。 山笠の飾り山があるので、7月の上旬か中旬かと思います。
福岡の明治通りを西に進むと、舞鶴城のお堀があり、 お堀沿いに進むと、護国神社に行く道が堀を跨ぎますが その先に、石垣に囲まれた下之橋門と潮見櫓がありました。 今はとても博多湾を望むことは出来ませんが、 潮見櫓は、ここから海を見張っていたという…
福岡の昭和通りを天神に向けて車を走らせると、 那珂川を渡るとすぐ、赤煉瓦の古い建物が見えてきます。 ここは明治42年(1909年)に竣工した旧日本生命 九州支社です。 現在は国の有形文化財に指定され、福岡市の施設として 使われています。 設計は…
福岡の中洲を天神方面に那珂川を渡ると、 木立に囲まれた、洋館があります。 ここは明治42年開館の福岡県公会堂貴賓館です。
今はうきは市に名を変えていますが、 豊後街道の宿場町の吉井町は、 有馬藩の久留米と天領の日田の間でした。 精蝋や製粉、製油、酒造などの豊かな商人 の館や蔵、店舗が白壁の街並みを形作っています。 災徐川と南新川沿いにおおきな屋敷がありました。
今は福岡県うきは市になっていますが、 筑後平野に吉井町がありました。 ここは、有馬藩の久留米と天領の日田の間で、 旧豊後街道の宿場町として賑わった所で、 白壁土蔵の家屋や水路が今に残っています。 吉井町 街には大きな白壁の家屋が多く、 江戸期には…
博多の築港から博多駅を結んでいる大博通りに、 弘法大師が唐から修行を終え、 帰国して大同5年(806年)建立したと 伝えられる東長寺は、真言宗のお寺です。 大博通の喧騒があるものの、静寂の境内には、 五重の塔、六角堂、本堂、大仏殿がありました。…
福岡県北九州市門司区にある門司港は、 関門海峡に面して、九州の玄関口、大陸の入り口として、 発展し、金融機関や商社、海運会社の支店が進出し、 倉庫や支店が立ち並びました。 戦後、中国貿易が途絶えた事や、 関門トンネルや関門橋の開通で 貿易港とし…
福岡県の北の果て、北九州の門司も 随分変わったなと思っていました。 小倉から門司に行くとき通った 狭い電車道は無くなり、 車だけが走る道になりました。 門司港の煤けた古い建物も、おしゃれな街の一部となりました。 門司港レトロ地区
関門トンネルや関門橋がない時代は、 今の門司港(当時は門司)が、九州の玄関口でした。 また、門司の港は、国内のみならず、海外に開かれた港でした。 貿易で栄えた当時の建物を、保存整備した、門司港レトロ地区は、 多くの観光客を集めています。 門司港…
福岡県南部の筑後地方、久留米市と接する、大刀洗町には、 戦前に陸軍の飛行場があり、戦争末期には、 特攻の訓練がここで行なわれたと知っていました。 物の本を読んでいると、「筑後に隠れキリシタンの郷があり、 国の重要文化財になっている今村天主堂が…
小倉北区にある小倉城は、 1602年細川忠興公によって建てられた城です。 その後、加藤家廃絶の後の熊本に転出して、 譜代大名の小笠原家が15万石で入りました。 幕末、長州攻めの矢面に立った、 九州探題を担う小倉藩は、 反対に長州軍に攻められ 自ら…
福岡県吉井町は、市町村合併で、うきは市が誕生したため、 自治体は消滅しましたが、場所の名としては存在しています。 この吉井町は、旧豊前街道の宿場町筋に、 なまこ塀を配した白壁の家屋が 立ち並んでいました。 白壁の街並み お詫び 11月7日に挙げる…
九州北部の門司は山口県下関市と 関門海峡を隔て対峙しています。 古くからの港町門司の建物を 整備した、門司港レトロ地区 があります。 おしゃれな煉瓦積みの建物は、中華料理店だった記憶がありますが、 長く行っていないので、替わっているかもしれませ…
北九州の門司に過っての外国貿易で栄えた、 門司港の建物を整備した門司港レトロ地区があります。 門司港駅や旧門司税関、門司三井倶楽部など 当時の趣を残す、建物が立ち並んでいます。 旧門司税関 旧門司税関の建物は明治45年に建て直されたものです。 …
飯塚幸袋にある旧伊藤伝右衛門邸は、筑豊の炭鉱王で、 大正昭和と巨万の富を築いた、伊藤伝右衛門の邸宅でした。 敷地面積2300坪、延べ床面積300坪 3棟に分かれた家屋を繋棟で繋いでいます。 裏には壮大な庭園があります。 伊藤伝右衛門邸の長屋門 …
古い港町、博多は、大宰府の港として使われ、 近く(旧平和台球場)に鴻臚館が建てられていました。 中世は、商人達による自治都市として治められていました。 博多駅から大博通りを少し海に向かって行くと、地下鉄の祇園駅 に、東長寺があります。 南岳山、…
福岡市中央区城内大手門口の西側に 福岡城の下ノ橋門と潮見門があります。 この周辺には、母里太兵衛長屋門、 名島門などが移築され、鴻臚館跡、 黒田如水屋敷跡、もちろん福岡城址などあります。
福岡市を流れる、那珂川に架かる福博であい橋のそばに、 洋館があります。 明治42.3年頃に出来た建物です。 当初はフレンチ・ルネッサンス様式の来賓接待所として建てられました。
福岡市にある昭和通りが、那珂川を渡る、少し先に、ひときわ目に留まる、赤レンガの建物があります。 ここの住所は中央区天神で、橋を渡ると、中洲になります。 1909年、日本生命九州支社として、辰巳金吾博士が設計しました。