佐賀城~鯱の門

佐賀県の中央部に、明治維新薩長土肥
佐賀鍋島藩がありました。

江戸末期にはどの藩も財政は火の車で
借財が積み上げられていました。

佐賀鍋島藩も商人に払う金がなく、大名行列
を押し留められ、借金の催促を受ける有様でした。

10代の鍋島直正は、藩政改革に着手して、
質素倹約、借金の減債、産地育成、交易
あらゆる手段を使い、改革に成功しました。

そして、西洋技術を導入し、製鐵、大砲の鋳造
造船、蒸気機関の製造、勿論それを支える人材の
確保のため弘道館の設置を行いました。

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佐賀城 鯱の門