2018-11-07 佐賀城~鯱の門 日記 #佐賀県 佐賀県の中央部に、明治維新の薩長土肥の 佐賀鍋島藩がありました。 江戸末期にはどの藩も財政は火の車で 借財が積み上げられていました。 佐賀鍋島藩も商人に払う金がなく、大名行列 を押し留められ、借金の催促を受ける有様でした。 10代の鍋島直正は、藩政改革に着手して、 質素倹約、借金の減債、産地育成、交易 あらゆる手段を使い、改革に成功しました。 そして、西洋技術を導入し、製鐵、大砲の鋳造 造船、蒸気機関の製造、勿論それを支える人材の 確保のため弘道館の設置を行いました。 佐賀城 鯱の門