福山城~備後

 広島県福山市にある福山城は、街中、山陽新幹線福山駅と道路を挟んで
石垣があります。もともと駅がある所は、堀ではなかっのかと思います。
ですから、新幹線でお城に行けば、すぐにお城に入れます。

福島正則の改易の後、慶長20年、一国一城令の発布後の元和8年(1622年)に竣工した城です。五重の天守と七基の三重櫓がありました。

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福山城天守(北側)
この城は、福島正則の改易後に、譜代大名水野勝成が備後の国で10万石に
封じられて、西国大名の抑えの城として、造られました。
水野家から松平、その後阿部家と譜代の大名が替わりましたが、
石高は10万石でした。幕府の要職を務める譜代大名は、江戸住まいで
帰国して、在城することは稀でした。
1845年、福山藩主阿部正弘は老中首座となり江戸幕府を取り仕切りました。
正弘も福山に帰国したのは生涯一回のみです。

この城も、明治8年の廃城令で取り壊しが決まりましたが、生き残り
本丸の天守他が、戦前の国宝に指定されました。
しかし昭和20年の福山大空襲により、伏見櫓と筋鉄御門を残して、市内は、
焼失しました。
その後昭和41年鉄筋コンクリート造で天守が復活しました。