愛媛県の南予にある内子町は、江戸後期から 明治にかけて、木蝋と和紙の生産が盛んで、 最盛期、木蝋の生産全国シェアの 30パーセントを占めていました。 木蝋業者最大の本芳我邸前を過ぎた道は 鍵の手に曲が曲がって続いていました。
中山道の42番目の宿場町の妻籠には、 2軒の木賃宿の嵯峨屋があります。 下嵯峨屋と上嵯峨屋で両方とも木賃宿でした。 こちらは上嵯峨屋で、木賃宿は、 庶民の宿で、食料を持参して 煮炊きをした薪代を支払います。 基本、大部屋での雑魚寝でした。
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