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大分県臼杵市の二王座歴史の道を訪ねた時、 見付けたお寺、正式には成道山見星禅寺 は、臨済宗妙心寺派のお寺です。 12月に京都を訪ねた時、最後に仁和寺に 行こうとしましたが、惜しくも 日が暮れて拝観時間に間に合わず、 引き返した所が妙心寺でした。 見…
大分県中津市にある中津城は、 太閤の家来であった黒田官兵衛に 豊前で6郡16万石の領地を賜った事に始まります。 山国川の河口に造られた平城で、船で海に出られ、 日本三大水城のひとつに数えられます。 中津城 今は五層の天守が聳えていますが、 これは昭…
臼杵市にある龍源寺は 浄土宗総本山知恩院の末寺で 慶長五年(1600年)円誉上人の開山です。 明治十年の西南の役で、山門と三重の塔を残し焼失しました。 龍源寺 三重塔は太子塔と言われ聖徳太子の像を祀っています。 1階の4隅の軒先を鬼の像が支えて…
大分県中津市にお寺の壁が赤く塗られた お寺があります。浄土宗の合元寺です。 この寺は、黒田官兵衛公が豊前16万石で、 太閤から封じられて中津に城を造った時、 姫路から付いてきた開山空誉上人が 天正15年(1587)開基した寺といわれています。 合…
大分県杵築市は国東半島の南部にある城下町です。 松平氏3万2千石が明治まで続きました。 起伏のある土地で勘定場の坂や酢屋の坂など あります。 勘定場の坂の上に磯谷邸がありました。 ここは、藩主の休息所として造られた 楽寿亭の一部が、磯谷邸として…
大分県の国東半島の南側に、杵築市があります。 昔は、松平杵築藩3万2千石の城下町でした。 武家屋敷が今も残っていました。 酢屋の坂 坂を下りた所に、酢屋があったことから名付けられたそうです。 坂を上がった高台には、武家屋敷がありました。 この坂…
大分県杵築市は、室町時代木付氏によって城が築かれました。 戦国時代、島津氏に攻められましたが守り抜きました。 その後太閤の𠮟責で主君の大友氏のともに木付氏も滅び、 その後領主は、度々替わり、3万石の能見氏が明治まで続きました。 杵築は岡と坂道の…
大分県臼杵市にある臼杵磨崖仏は、平安後期から鎌倉期に 造られたと推定されています。 阿蘇山噴火の名残の凝灰岩に彫られているので、 その後の年月の風化が進んでいますが、 薄っすらと彩色された色が残っています。 今は、風化が進まぬ様、屋根が設けられ…
大分市にある府内城は、慶長2年(1597年)に 福原直高により築城が始められましたが、 度々、城主が替わる中、慶長7年(1602年)に完成しました。 その後も城主が替わりましたが、 松平氏が2万石の譜代大名として入府し、明治まで続きました。 四…
大分県豊後高田市にある富貴寺は、 大堂が国宝に指定された天台宗のお寺です。 養老2年(718年)伝聞の創建と伝えられています。 富貴寺仁王門 素朴な感じの仁王様もそう大きくありませんでした。 国宝の大堂は、瓦葺きで、九州最古の木造建築です。
国東半島の西の付け根にある大分県宇佐市には、 全国に4万あまりある八幡様の総神宮、宇佐神宮があります。 その昔、道鏡が朝廷に影響力を延ばそうした時、和気の清麻呂が派遣され 宇佐神宮の神託により、その野望は、砕かれました。
佐伯城三の丸櫓門が残っています。 城はもともと八幡山に築城され、天守本丸がありました。 ここ佐伯城は、慶長7年(1602年)毛利高利公が 八幡山で築城に着手しました。6年後に完成しましたが、 元和3年(1617年)火事により、本丸と天守を焼失し…
大分県の国東半島の真ん中の両子山の中腹に、両子寺があります。 天台宗のお寺で、養老2年(718年)の開基です。 本尊は阿弥陀如来です。 その山門前に石の仁王像が立っています。 その先の石段も凸凹で長い年月の経過を教えてくれます。
大分県中津市にある中津城は、天正15年、黒田官兵衛公が秀吉公から、 豊前で12万を与えられて、山国川の河口に築城した事に始まります。 日本三大水城の一つに数えられています。 その後の慶長5年、黒田家は筑前に移動し、代わって細川忠興公が この城…
鑰屋(かぎや)は、慶長5年創業の味噌醤油の製造元です。 彼此、400年以上続く老舗です。 臼杵のお城から西に進むと、鑰屋の看板と壁の色が目に留まりました。 かぎやと読めなくて苦労しました。
別ブログの「夢の旅スケッチ」で、取り上げたことがあるのですが、 今は大分県日田市にあった、広瀬淡窓の咸宜園です。 なぜ今回取り上げる事にしたのかと言えば、 岐阜県の高山市で博物館の学芸員さんと話す機会があり、 「九州にも飛騨ならぬ日田があり、…
大分県の地図を見ると、ミッキーマウスの片耳の様に周防灘へと張り出した、 半島が国東半島です。大雑把に言えば、山間地です。 この山の中に、「3人寄れば文殊の知恵」の発祥の地として知られる、 文殊仙寺があります。 駐車場から入っていくと、石段の前に…
慶応義塾大学を創設した、福沢諭吉先生の旧宅が、 大分の中津に残っています。 中津のお城から少し離れた所にあります。 先生は、中津藩の大坂蔵屋敷で生まれ、父の死によって、 ここ中津に帰って来ました。 そして、19歳までの歳月をここで過ごしました。
筑後川を遡ると、周囲を山で囲まれた、水郷日田に出ます。 春から秋にかけて、底霧と呼ばれる濃霧に覆われることがあります。 ここは江戸時代天領で、豊かな富の蓄積があります。 広瀬淡窓が開いた咸宜園は、広く塾生を集めました。 豆田町は、古い町並みを…
臼杵は、稲葉氏六万石の城下町です。 その中でも、ここ二王座は、古い武家屋敷やお寺が立ち並んでいます。 稲葉氏は、関ヶ原後、転封となり、岐阜からここ臼杵に移りました。