伏見城

 伏見城と言えば、豊臣秀吉が伏見に
隠居城として建てた城です。

最初に建てられた城は、慶長伏見地震で倒壊しました。

その後、木幡山に場所を移して再建されました。

秀吉はこの城で死んで、その後の関ケ原の合戦の
前哨戦で徳川方の鳥居元忠がこの城を枕に討ち死にし、
城も落城焼失しました。

その後家康の手で再建されましたが、10年後に
廃城となりました。城跡は一面の桃畑となりました。
今は、明治天皇の陵墓となって、立ち入りできません。

今あるのは、遊園地が楽内洛外図を参考に、6億円で建てた、コンクリート
の5重6階大天守、3重4階の小天守と櫓門があります。

なお、遊園地は解散して、京都市が管理しています。