石見銀山の鉱山町、大森

 戦国時代後期から江戸時代前期に最盛期を迎えた石見銀山

日本最大の銀山で、その当時日本は、

世界の産出量の三分の一を占めたと推察されます。

 

石見銀山を支えた大森の町には、代官所が置かれ

鉱山を支える様々な職人が住んでいました。

 

    

 

石見銀山の鉱夫の労働は最悪で、

狭い坑道に、粉塵や酸素不足

鉛中毒などで、30歳まで生き延びた鉱夫は、

長寿の祝いをしたそうです。