#愛知県

三州街道~足助(2)

江戸時代、三河湾の塩を信州塩尻まで 運んだ道の三州街道の宿場足助には、 塩問屋がありました。 馬の背に負わせて運ぶ、中馬での 輸送でした。 三嶋館 この建物は、以前は呉服店でしたが、明治になってから旅館に変りました。 このように家業を変え、生き残…

三州街道~足助

三州街道は、中山道の脇往還として、 三河湾で採れた塩を、塩尻まで運んでいました。 岡崎~足助~飯田~塩尻という行程です。 馬の背に荷物を載せ運ぶので中馬街道とか 塩の道と呼ばれていました。 岡崎から足助を通って飯田までを足助街道 飯田から塩尻ま…

有松~旧東海道(13)

名古屋の緑区にある有松には、 東海道が通っていました。 東海道が整備された頃は、 丘陵が広がる松林でしたが、 藩の推奨で、移住が進み、 お茶屋が出来ましたが、 まだ桶狭間村の一部でした。 その後、絞り染めの技術が、流入し、 産業化して、なまこ塀に…

八丁蔵通り~岡崎

愛知県岡崎市のお城から、旧東海道の国道1号線を 西に行くと矢作川に出ますが、 その手前、愛知環状路線の電車の高架横に カクキュウの八丁味噌店舗工場があります。 その裏通りが、八丁味噌蔵の立ち並ぶ、八丁蔵通りです。 八丁蔵通り 八丁味噌は、江戸時代…

東照宮

東照宮と言えば、日光の東照宮を思い浮かべられる方が多いと思います。 家康公の遺志で葬られた久能山の東照宮は別として、 日本には、かなりの数の東照宮と名の付くお宮があります。 それは、3代目の家光が諸大名に造営を勧めたからです。 それとは別に、…

三河~松平郷

江戸幕府を開いた徳川家康は、松平姓でした。 その松平氏発祥の地として知られる 愛知県豊田市の松平郷は山の中にありました。 最近旅をしてトヨタ自動車の本社がある豊田市の周辺を訪れましたが その途中松平郷という看板を見ました。 そういえば、徳川家の…

有松~旧東海道(12)

旧東海道の有松は、名古屋の緑区の都会になっていますが、 江戸時代初期には、丘陵が広がる松林に茶屋が出来た、 桶狭間村の一部でした。 絞り染めの技術がこの地に定着して、産業化して、有松は豊かな 街となりました。 有松 右から2軒目は、岡家住宅です…

有松~旧東海道(11)

ここが、最初に知られるようになったのは、 永禄3年(1560年)今川義元が、 駿河、遠江、三河の4万の兵を擁して上洛の為、 尾張を侵攻した事に始まります。 当時清洲城主であった若き日の織田信長は、 兵力5千で、衆寡敵せずで、清州城籠城の方針でし…

旧東海道~有松

名古屋の緑区にある有松は、東海道上に出来た町です。 江戸時代、有松絞りで繁栄して、 なまこ壁の蔵の立ち並ぶ、商家が、昔のまま残っています。 有松 毎年6月に有松絞り祭りや、豪華な山車が町内を練り歩く、 山車祭りも行われます。 また、町内には、若き…

有松~旧東海道(10)

名古屋の緑区にある旧東海道上の古い町、 有松は、天明4年(1784年)大火により 町の大半を焼く火事に見舞われました。 その後は、防火対策として、瓦葺きの屋根と、 漆喰で塗りこめた塗籠造りの家屋に変っていきました。 旧東海道上の有松の町並み

有松~旧東海道(9)

名古屋の緑区にある有松は、 旧東海道に古い町並みが残っています。 今は名鉄が走り、都会になっていますが、 開村当時は、一面の松林でした。 ここを領地としていた、尾張徳川藩は、御触れを出して、移住を勧めました。 初めは、人口も少なく桶狭間村の一部…

有松~旧東海道(8)

今は名古屋の街中にある有松ですが、 江戸初期は、東海道にはあるものの、 人家も耕作地ない松林でした。 そこで、尾張徳川藩が移住を進め、 新たに、池鯉鮒宿と鳴海宿の間に茶屋集落が出来ました。 そのうち、絞り染めの技術が伝わり、この地で広まり発展し…

有松~旧東海道(7)

旧東海道に出来た、有松は、絞り染めの有松絞りで繁栄しました。 10月の初めには、山車が通りを巡る、有松山車祭りが開催されます。 左から服部豊家住宅、服部良也家住宅 服部豊家は、向かいの大井桁屋から分家して 創業した絞り染め問屋です。屋号は井桁…

犬山城(2)

天守が国宝に指定されている、犬山城に5月の終わりに訪れました。 木曽川の断崖に築かれた天守は、80メートル以上の高台にありました。 木曽川の対岸から川越しに眺めるのが最高ですが、 当日は靄が掛かって見れませんでした。 犬山城天守 最近7月13日…

有松~旧東海道(6)

旧東海道に残る、名古屋市の有松は、 有松絞りで、栄えた商家の 佇まいが、残っていました。 長濱家住宅 隣はベカリーの看板がありました。 主屋を中心に西側に土蔵、東側に塀・物置と、 有松の大規模な絞り問屋に見られる典型的な屋敷構えとなっています。 …

有松~旧東海道(5)

旧東海道にあった有松には、 当時の商家の建物が残っていました。 小塚家住宅 小塚家が有松に移住したのは、寛文年間(1661~1673)といわれ、屋号を山形屋として明治期まで絞り問屋を営んでいました。建物は、文久2年頃(1862頃)のものです。 茶室の付く…

有松~旧東海道(4)

旧東海道にあった有松の街並みです。 今では、右端に見えるように、 名古屋第二環状道路の高架がそびえています。 岡家住宅 この家屋は岡家住宅と言って、江戸時代末の建物です。 当時は丸屋丈助の店として、小田切春江の錦絵にも描かれています。 敷地は奥…

有松~旧東海道(3)

名古屋市緑区有松は、もと東海道が通っており、古い商家の街並みが、 今も残っています。それぞれ謂れのある建物が建っています。 服部豊家は、寛政2年(1790)向かいにある大井桁屋から分家し、創業した絞問屋で、屋号は井桁屋です。 井桁屋(服部豊邸) 中…

有松~旧東海道(2)

名古屋市緑区にある旧東海道中有松、 今は国道一号線から少し離れた場所ですが、 江戸時代、東海道が東西の往来で栄えていた頃、 有松絞りで繁栄し、風情のある 街並みが残っています。

犬山城~木曽川

岐阜からの帰りに、木曽川の高台にある 犬山城と有松は寄ろうと、考えていました。 美濃市のイオンで午後4時半です。 もう、犬山城の営業時間内には、着きそうにありません。 仕方なくスマホで、今日の宿を探しました。 犬山に宿がなく、少し通り過ぎた小牧…

小牧山城~小牧市

岐阜からの帰り道、犬山城を見に行きました。 時刻はもう5時を回っています。 日は7時ぐらいは持ちそうですが、 しかし、城の営業時間には間に合わないと思い、 途中で今夜の宿をスマホで探しました。 宿は、犬山から少し離れた小牧のホテルです。 国道41…

有松~東海道中

有松の街は、周りを名鉄や近代的な建物にに囲まれて、 ここに江戸時代さながらの通りがあると 思わせない意外性がいいと思います。 有松の成り立ちは、尾張藩の慶長13年(1608年)のお触書によって、 東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に出来た茶屋町が起…