2024-01-01から1年間の記事一覧
鎌倉幕府の二代将軍源頼家が創建した建仁寺は 建仁2年(1202年)臨済宗開祖栄西の開山です。 その三門は、大正時代に静岡のお寺から移されたもので 望闕楼を書かれた額があります。 望闕楼とは御所を望む楼閣と云う意味です。 この楼上には、釈迦如来、…
今は兵庫県になっている丹波の篠山城は、 徳川家康が関ヶ原後に、西国大名と豊臣家 お押さえとして築城した城で、天下普請で 六か月の工期で造られました。 そんな城下町に、古い商人町の河原町がありました。 ここの商家は、間口はそう広くなく、奥行きが深…
戦国時代の寺内町が原型の橿原市の今井町は、 堀を巡らし門を上げ、兵力を蓄え、他からの介入を拒みました。 そんな今井町は、本願寺の大坂退去で、武装解除して その後は自治都市として発展しました。 「大和の金は今井に七分」と謳われれ程に、栄えました
吉野川が東西に流れる五條は、 江戸時代の初め、二見に城のある 城下町で、五條村と二見の間に新町が企画され 出来たのが五條新町でした。 この先は城のあった二見に向かいます。 この道の先は、紀州に行きつきます。
新勝寺の表参道に大野屋旅館が建っていました。 初めは江戸中期に蝋燭屋として創業し、その後旅籠となり 三階建ての楼閣のある旅館として知られていました。 最近はうなぎ屋や漬物となっていました。 令和3年に取り壊されて、今はもうありません。
由良川の源流が山々を縫って流れる 美山は、かやぶきの里と呼ばれる 茅葺屋根の農家の里でした。 鯖街道が集落を通る美山は、 ほとんどの人が林業に携わっています。
千葉県の北部の利根川沿いに水郷で 知られる佐原がありました。 ここは、江戸時代東北の物資が利根川経由で入る場合 小野川沿いの商人が仲立ちをしました。 そんな訳で、小野川沿いには古い商家の街並みが残ります。 ここは正上醤油という古い商家で、 小野…
坂越は江戸時代前期に、北前船の西回り航路の拠点として、 豪商たちが回船業を営み、坂越浦には西回り航路の大型廻船 31隻や内海用の小型廻船15隻が犇めいていました。 廻船はブランド塩の「赤穂の塩」 を積み込みました。 そんな坂越浦から陸に向かう坂…
高梁川が南北に流れる岡山県高梁市は、 備中松山城の城下町で、石火矢町に武家屋敷が建っていました。 旧折井家は、家禄百六十石の馬回り役を務める武士でした。
旧中山道の45番目の宿場町の中津川宿は、 美濃国恵那郡中津川村にありました。 ここは、木曾の入り口にあたり、東美濃随一の商業の町で あり、尾張藩重臣山村甚兵衛の知行地でした。 この造り酒屋を過ぎると、街道は鍵の手状に直角に曲がります。
津山は、岡山県北部の美作国の国府が置かれていた所で 江戸時代は、城下町で栄えました。 お城の備中櫓が正面に見える石段の脇に 時計台のある石造りの建物がありました。 ここは旧津山基督教図書館で、 その後歴史民族館や森山慶三記念館として使われていま…
揖保川が南北に流れる播州龍野は、 脇坂家の城下町でした。 その播州龍野藩の「ゐ」の蔵を譲り受けて 明治2年に創業したのが、カネヰ醤油でした。 その会社も事業譲渡され、工場跡は再利用されるそうです。
清水寺から清水坂に下る途中に、 北に降りる石段があります。 その石段を下りると、 京銘菓や京漬物を商う店や土産物屋が続きます。 ここは、三年坂美術館の少し手前の場所で 三年坂美術館は、幕末から明治時代にかけて 作られた漆工、金工、陶磁器、七宝焼…
阿蘇の小国町にある鉾納社は 山門の前に樹齢七百年の夫婦杉が 二本たっています。 この社には、黒牟田という地から2本の銅鉾が出土して それを祀っています。 その隣には坂本善三美術館が建っていました。
石見銀山は、最盛期には世界産出の三分の一を占め その大部分が,ここの産出とされました。 石見銀山の鉱山町の大森の町には、ここを管理する 武家と産出に当たる商人が住んでいました。 今は住人は400人位の町ですが、世界遺産登録されています。
日光の今市と会津若松を結ぶ、下野街道(会津西街道)の 宿場町大内宿は、南会津の下郷の山の中にある宿場で 半農半宿の宿場でした。 今でも茅葺屋根の宿が立ち並んでいますが 宿として営業している所は僅かで 土産物屋や飲食店として営業しています。
長良川が南北に流れる、美濃市の うだつの上がる街並みを歩いていると 四つ角に、古い町屋が建ていました。 ここは、旧武藤家住宅と言って、城主の金森長近が 刀匠を呼び寄せ、ここに住まわせた伝えられ、 初めは刀匠で、その後は金物刃物を扱ったという 家…
四国徳島県の吉野川を遡り、 その中域北岸に、かって阿波九城の一つ 脇城の城下町の脇町がありました。 ここは、撫養街道と讃岐街道の交差する 交通の要衝で、阿波藍の集散地として 藍に沸き繭に栄えた当時の沸騰を商家の 建物に見ることが出来ます。 各種の…
川越の蔵造りの街並み一番街を歩いていると 暖簾に大根のマークのあるお店がありました。 ここは、創作漬物の河村という店舗で 両隣が箸屋さんと鰹節屋さんでした。 河村屋の初代・八郎衛門(1755〜1826)が、 酒屋としての酒粕を使い粕漬のようなものを作り始…
九州と山口の間にある関門海峡の門司港は 明治の初めに開港して、商船会社や銀行が支店を置き 当時の輸出額は日本三位の港でした。 ここは明治45年に造られた旧門司税関の赤レンガの建物です。
岐阜県の南東部にある恵那市に 岩村城下がありました。 ここは戦国時代、織田信長の叔母に当たる おつやの方が城主を務めていました。 お城の方は、今は石垣だけのお城になっていますが 城下町は、城主が変わっても、繁栄を続けています。 おつやの方は、信…
琵琶湖の北東にある長浜は、太閤秀吉が 初めて城を建てた所で、元は今浜と呼ばれていました。 そんな長浜城下の北國街道と大手門交差する 札の辻と呼ばれ高札の建つ場所は、一番賑やかな場所でした。 今はガラス工房またはギャラリーが入っている 元は旧国立…
岡山市の旭川河畔に佇む、烏城(岡山城)は 安土桃山時代、豊臣政権の五大老の一人 宇喜多秀家によって築城された不等辺五角形の 四重六階の天守を持つ城です。 関ケ原で敗れた秀家は、八丈島に流刑になり この城に戻ることは二度とありませんでした。
岡崎城下町の西に八丁離れる、矢作川の河原の近くに 八丁蔵通りがあります。 ここは、八丁味噌でおなじみのカクキューの 味噌蔵が立ち並ぶ裏通りです。 八丁味噌は、大豆と塩を原料に、大樽に仕込み 矢作川の丸石を山程積み上げて、2年間の長期熟成で 出来…
宮城県南部にある仙南地方に 江戸時代水運を活かして、紅花の 集散地として栄えた村田町がありました。 当時の繁栄を物語る、古い町並みには、なまこ壁を 多く使った「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの店舗と 隣には壮大な表門が付きます。
旧中山道の34番目の宿場町の奈良井宿は 木曽路11宿の中でも一番標高の高い宿場とされています。 宿場には下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間には鍵の手があります。 ここは宿場のはずれの鎮神社の石灯篭です。
千葉県の北部にある佐原は、水郷で 小野川沿いに古い商家の街並みを残します。 この小野川の対岸には、伊能忠敬の旧宅が残っていました。
川越の蔵造りの街並みの仲町交差点の角にある 亀屋本店は、蔵造りの店舗です。 天明3年創業で、川越藩御用達の老舗の和菓子店でした。 ここは明治27年、5代目の山崎嘉七が建てた店蔵と袖蔵です。 屋号は亀屋で、裏にある土蔵は美術館として使われていま…
富山県の南西に南砺市の五箇山があります。 その山奥の庄川が流れる河岸段丘に 菅沼集落があります。 ここは冬場は豪雪地帯で、背丈を越える 雪が降る、合掌造りの郷です。 をしていました。 冬場は、外に出られないため、養蚕や和紙作り、 煙硝造りをしてい…
大分県の東海岸に臼杵の町があります。 ここは大友宗麟が島であった臼杵城に籠り 薩軍の猛攻をかろうじ凌いだ所で、 江戸時代は美濃から入った稲葉家の城下町でした。 ここの城下町は、阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩の丘を削って 細くて曲がりくねった路地が武…