2024-01-01から1年間の記事一覧
岡山市の旭川河畔に佇む、烏城(岡山城)は 安土桃山時代、豊臣政権の五大老の一人 宇喜多秀家によって築城された不等辺五角形の 四重六階の天守を持つ城です。 関ケ原で敗れた秀家は、八丈島に流刑になり この城に戻ることは二度とありませんでした。
岡崎城下町の西に八丁離れる、矢作川の河原の近くに 八丁蔵通りがあります。 ここは、八丁味噌でおなじみのカクキューの 味噌蔵が立ち並ぶ裏通りです。 八丁味噌は、大豆と塩を原料に、大樽に仕込み 矢作川の丸石を山程積み上げて、2年間の長期熟成で 出来…
宮城県南部にある仙南地方に 江戸時代水運を活かして、紅花の 集散地として栄えた村田町がありました。 当時の繁栄を物語る、古い町並みには、なまこ壁を 多く使った「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの店舗と 隣には壮大な表門が付きます。
旧中山道の34番目の宿場町の奈良井宿は 木曽路11宿の中でも一番標高の高い宿場とされています。 宿場には下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間には鍵の手があります。 ここは宿場のはずれの鎮神社の石灯篭です。
千葉県の北部にある佐原は、水郷で 小野川沿いに古い商家の街並みを残します。 この小野川の対岸には、伊能忠敬の旧宅が残っていました。
川越の蔵造りの街並みの仲町交差点の角にある 亀屋本店は、蔵造りの店舗です。 天明3年創業で、川越藩御用達の老舗の和菓子店でした。 ここは明治27年、5代目の山崎嘉七が建てた店蔵と袖蔵です。 屋号は亀屋で、裏にある土蔵は美術館として使われていま…
富山県の南西に南砺市の五箇山があります。 その山奥の庄川が流れる河岸段丘に 菅沼集落があります。 ここは冬場は豪雪地帯で、背丈を越える 雪が降る、合掌造りの郷です。 をしていました。 冬場は、外に出られないため、養蚕や和紙作り、 煙硝造りをしてい…
大分県の東海岸に臼杵の町があります。 ここは大友宗麟が島であった臼杵城に籠り 薩軍の猛攻をかろうじ凌いだ所で、 江戸時代は美濃から入った稲葉家の城下町でした。 ここの城下町は、阿蘇山の噴火で出来た凝灰岩の丘を削って 細くて曲がりくねった路地が武…
福島の会津若松の中町に、今は野口英雄青春通りになっている 赤煉瓦通りに黒漆喰の店蔵の商家が建っていました。 ここは、明治から大正にかけて、醸造業から幅広く手掛け 鉄道や電力業の起業に携わった銀行家の福西本店があります。
島根県の西部の山の中の盆地にある津和野は、 江戸時代亀井家の城下町で、本町通りには、 大店の商家が軒を並べていました。 両脇に蔵のあるのは華泉酒造でした。 この本町通りには三軒の造り酒屋があるようです。
兵庫県の中東部にある丹波篠山は 関ヶ原後の徳川家康の西国大名と豊臣家に対する 押さえとして天下普請で、城が築づかれました。 そんな丹波篠山には、商人町の河原町が残っていました。 妻入りの商家が並ぶ600メートルの通りで 間口が4~5メートルで奥…
富山県の南西部にある五箇山の相倉集落は、 庄川の流域にある合掌造りの民家の郷でした。 ここは冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざされる 厳しい自然環境の中、和紙作りや養蚕、鉄砲の火薬 の原料である煙硝造りで、日々の糧を得ていました。 背丈を越える雪が降る…
平安京鎮護の官寺として建立され、嵯峨天皇が 空海に下賜された東寺は、真言密教の根本道場 として栄えました。 そんな東寺の金堂は、一番先に建設され、 空海に下賜された頃には完成していたとされます。 金堂は他の建物とともに、1486年の土一揆で焼失し、…
岡山県の北東部に美作国があり、 国府は津山にありました。 津山は県北の最大の都市で、出雲街道が通る 城下町でした。 津山の町中に、古い洋館が建っていました。 ここは元は隣に建っている中島病院の旧本館で 今は城西浪漫館なっていました。
平城遷都の下京として、寺社が建てられた 奈良町は、中世以降、元興寺の境内に様々な手工業者が住み 商工都市となりました。 そんな奈良町は、今度の大戦で空襲の 被害を受けなかったので、狭い路地に古い町屋が残りました。
今の大分県臼杵市の八町大路の本町商店街に 慶長4年創業の鑰屋があります。 ここは創業420年を迎えるという カニ醤油カニ味噌のカニ醬油合資会社というお店です。 このお店の御先祖は、美濃から来た武士で、主君の稲葉家とともに 美濃から移り、その後味…
今は京都文化博物館の別館なっているいる 旧日本銀行の京都支店が、地下鉄東西線の走る御池通り から南に下る高倉通りにありました。 ここは、建築家の辰野金吾が手掛けた 明治39年築の赤煉瓦の建物です。 京都文化博物館は、京都の歴史や文化を紹介するた…
豊後の国の国府は、今の大分市にありました。 そんな大分市には、府内城がありますが、 築城は安土桃山時代後期で、完成は関ヶ原の後でした。 四重の天守があった様ですが、寛保3年の大火で焼失し 昭和20年の大分空襲で、ほとんどの建物を焼失し その後、…
旧中山道の34番目の宿場町奈良井宿は、 木曾路11宿の中でも、一番標高の高い所で 難所の鳥居峠を控えるため、ここで一泊する旅人が多く 奈良井千軒と呼ばれ栄えた宿場でした。 木曽の木材を使った漆器や曲げ物、櫛といった 木工製品の土産物屋や信州そば…
広島県の東部の瀬戸内海沿いに、 海上交通の要衝として栄えた 竹原の町がありました。 ここは江戸後期からは塩田の塩の生産が盛んとなり 遠く江戸大坂まで運ばれていました。 そんな竹原の古い町並みには、明治時代の郵便局や 醤油工場などの古い建物が残っ…
JR栃木駅から続く蔵の街大通りには、 蔵造りの店舗が点在します。 ここは看板には肥料店ですが、裏まで建物が続き, 中はとっても広いようです
花見小路は京都の南北の通りで、北は三条通から 南は安井北門通りまでの 祇園の中心を通る通りで、 四条通の北と南で趣が異なります。 北はバーやクラブがテナントで入るビル街で、 南は元々は建仁寺の敷地で、由緒ある料理屋や茶屋が 建っています。
奈良県の南西部に五條があります。 ここは紀伊街道と大和街道の交差する 交通の要所で、江戸の初め、二見に城を建てた 松倉重政がもともとあった五條村との間に 新町を企画して出来た町が、五條新町でした。 今は商餅一ツ橋の店は、看板はそのままで チョコ…
河崎は伊勢参りの参拝客が、伊勢湾を 渡って初めて辿り着く勢田川の河岸でした。 江戸時代、日本各地から集まる物資を売りさばく 問屋とその蔵が、勢田川沿いに立ち並んでいました。 今は営業していないのか、 大きなな商家の戸や窓は閉じられていました。
近江商人のもう一つの故郷の五箇荘金堂は、 琵琶湖の東側にあり、安土城の山一つ越えた所にありました。 ここの近江商人は、行商から始め、江戸後期になると 呉服や綿絹製品を扱い、商圏を日本全国に拡大し 江戸京都大坂に店を持ち、明治以降は、大陸に進出…
竹原は、古くからの瀬戸内海交通の拠点として発展し 港町として知られていました。 そんな竹原は、江戸後期から塩田の塩の生産が盛んとなり 遠く江戸大坂まで船で運ばれました。 古い町並みの本町通りには、浜だんなの笠井邸があります。 浜旦那とは、塩田経…
松下村塾は、江戸末期の山口県萩にあった私塾で、 吉田松陰の叔父の玉木文之進が始めました。 その私塾を松陰が引き継ぎ、塾生は五十人ほどで その塾生が倒幕の志士となっていき、 そのほとんどが路頭に倒れ、 明治維新を見る事は出来ませんでした。 わずか…
岐阜県の南東部にある恵那郡に 女城主で知られる岩村城下があります。 ここの女城主は、織田信長の叔母のおつやの方で 最後は悲劇的な処刑で終わりました。 お城は、山城で。今は石垣のみが残っています。 だけど、城下町は、生き残り商家の街並みが残ってい…
三州街道は信州塩尻から、三河の国 岡崎を結んでいました。 三河湾で採れた塩を、矢作川の川舟で 足助まで運び、そこで、馬の背に乗せ換えて 中馬で、塩尻まで運んでいました。 足助宿には、塩を扱う問屋があり、 人馬の手配から、塩の保管なども 行っていま…
飛騨地方にある白川郷は、庄川の流域にある 合掌造りの民家の里でした。 冬場は豪雪地帯で、雪に閉ざさるこの里は 今でも人々が生活の場として住み続けています。 昔は、合掌造り3~4階部分で養蚕が冬場の農作業でした。