京都市の南部にある伏見に
しかし、最初に建てた城は、
慶長伏見地震で倒壊して、
別の場所(木幡山)に建て直されました。
その後、太閤が死ぬと、
攻められ落城し、家康の家臣で、
城代の鳥居彦右衛門らは討ち死にしました。
建物は、二条城や福山城に移築されました。
その後伏見城の址は開墾されて一面の桃畑となりました。
伏見桃山城
今は遊園地が昭和39年に6億円で造った鉄筋コンクリート造の城が、
別の場所にあります。歴史は繰り返すのか、遊園地は解散しています。