伏見桃山城(2)

 京都市の南部にある伏見に
豊臣秀吉が建てた伏見城がありました。

しかし、最初に建てた城は、
慶長伏見地震で倒壊して、
別の場所(木幡山)に建て直されました。

その後、太閤が死ぬと、
徳川家康は、ここから大坂城に移りました。

関ケ原合戦の前に、徳川方の伏見城は、
攻められ落城し、家康の家臣で、
城代の鳥居彦右衛門らは討ち死にしました。

関ケ原合戦後、伏見城は、建て直されましたが、20年程で廃城となり、
建物は、二条城や福山城に移築されました。

その後伏見城の址は開墾されて一面の桃畑となりました。

今は遊園地が昭和39年に6億円で造った鉄筋コンクリート造の城が、
別の場所にあります。歴史は繰り返すのか、遊園地は解散しています。