#岡山県
岡山県の中西部にある高梁市は、 備中松山藩のお城があり、城下町でした。 その街中を南北に流れる高梁川を遡り、 西に車を走らせると、吹屋の集落があり その先に、山の中腹に、高い石垣と中央に楼門がある 広兼邸がありました。 広兼邸 ここは、江戸時代、…
江戸の昔、幕府の天領として、 備中の物資の集積地となり、 豊かな商人の邸宅や蔵が 建ち並んでいました。 特に倉敷川の畔には、白壁なまこ塀の邸宅や土蔵の立ち並び 天領時代の面影を残しています。 旅館鶴形 倉敷川の河畔にある旅館鶴形は、倉敷の最も古い…
倉敷の美観地区から北上すると、 道の途中、五重の塔が姿を現しました。 ここは、聖武天皇が全国に建立した国分寺で 廃寺になっていたのを、太閤の水攻めで有名な備中高松城で、 切腹した清水宗治が再興しました。 備中国分寺 今は真言宗御室派の寺院になっ…
岡山県南西部にある矢掛町は、 旧山陽道の尼崎から数えて18番目の宿場町でした。 矢掛の中心部には往事の街並みが残っていました。 宿場町には、本陣や脇本陣が備わっています。 本陣には大名や幕府の役人が宿泊しました。 矢掛本陣旧石井家 石井家は酒造業…
岡山県の笠岡市の北に、幕府の直轄領の銅山で開発され、 赤色の着色料として重宝されたベンガラを産出した吹屋鉱山は、 日本唯一の産地として江戸明治期に繁栄を極めました。 今は高梁市に属しており、高梁川を遡り山中に分け入ると、 忽然と、古い町並みが…
倉敷は、江戸幕府が江戸初期に 天領として治めた土地です。 白壁なまこ塀の屋敷や蔵が 天領時代のまま残っています。 美観地区の北側に、 小高い山(鶴形山)があり、 倉敷の総鎮守阿智神社が鎮座します。 ここは、海上交通の守護神です。 倉敷阿智神社参道…
岡山県中西部にある高梁市は、広島県と接する 中山間地にあります。市内を成羽川と高梁川が流れています。 備中松山藩の城下町で、石火矢町には 武家屋敷が残っていました。 旧埴原家住宅 石火矢町には、2軒の武家屋敷を見ることが出来ます。 旧埴原家住宅…
今、天空の城と言って、雲海に浮かぶ、 山城が持て囃されていますが、 岡山県高梁市にある備中松山城に行った頃は、 自然現象として、その情景は知られていましたが、 現在の様なブームではありませんでした。 備中松山城五平櫓と天守 明治以降、この城は、…
岡山県高梁市の山間に、古い吹屋の街並みが残っています。 ここには、もともと銅の鉱山があり、その産物の加工集散で この町が出来たのではないでしょうか。 ここに来たのは、もう少しで夕暮れ時で、 家々の壁を夕日が染めていましたと書く前に、すでに、 弁…
岡山県に、西国街道(山陽道)の宿場町矢掛がありました。 その本陣を、江戸初期から務めた石井家です。間口36メートル敷地千坪の 地元の大庄屋で、酒蔵業も営んでいました。 旧矢掛本陣石井家です。 右側の木陰にあるのが御成門で、その当時は、限られた…
倉敷の阿智神社参道横、くらしき高田屋の土蔵の白壁に、 朝日の影が出来、しばらく見ていました。 ここ倉敷は、幕府の天領の地で、物の集散の関係で、豊かな富が 蓄えられて、古い商家の家並みが残っています。
岡山県高梁市の頼久寺に、小堀遠州の築庭と伝えられる、 禅院式枯山水蓬萃庭園があります。 頼久寺 頼久寺は、臨済宗のお寺です。 小堀家とこの地の縁は、関ヶ原の功で、備中高梁で、 一万四千石で封じられたことに因ります。