九州を代表する大河の筑後川を遡ると
大分県の西部の、山々が折り重なる盆地に出ます。
ここは、日田と言って、江戸時代は幕府の天領だった所です。
この地はものなりもよく、租税がそう高くなかった為
蔵のある富農が目立ちます。
そんな日田に、江戸末期 広瀬淡窓が生まれ
儒学を治め,私塾を設立しました。
この私塾が咸宜園と言って、日本全国からおよそ五千人の門下生を集め
日本最大の私塾となりました。
江戸時代は、身分制度が厳しい時代ですが、ここでは
学費を払えば、身分に関わりなく、実力(成績順)で
評価されました。
そんな咸宜園は全国六十ヵ国から門下生が集まりました。
遠く飛騨高山から山を越え川を渡って門人になられた方も
いました。