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長野県の南木曾町にある旧中山道の宿場町、 妻籠宿は、馬籠宿から馬籠峠を通り、2里の山道 を登り到着します。 木曽路11宿のひとつです。 妻籠宿 宿場は、2町30間の中に、問屋2軒、本陣1軒、脇本陣1軒、 旅籠31軒がありました。
中山道の脇街道の北国街道は、 中山道を追分で分かれて、 善光寺を経て、直江津で北陸道と結ばれていました。 善光寺への参拝の道、または佐渡の金を江戸に運ぶ道 として使われました。 海野宿 北国街道の宿場町海野宿は、明治以降鉄道網の発達で 交通の表舞…
奈良井宿は、中山道69次の宿場町で、 木曽路11宿の江戸から2番目の宿場町です。 標高が11宿の中で最も高く、 浮世絵「木曽街道六十九次奈良井」では、 山の崖に出来た宿場みたいに書かれています。 難所の鳥居峠を控え、ここ奈良井宿で、一泊します。…
妻籠宿は、旧中山道の江戸日本橋から数えて、 42番目の宿場です。 場所は長野県木曽郡南木曽町にあります。 今は、旅籠の立ち並ぶ古い町並みは、保存されています。 妻籠宿 妻籠宿をたち、次の宿場の馬籠宿に向かっています。 馬籠峠を越えた石畳の坂道は、…
島崎藤村にうたわれた 信州小諸城は、石垣と城門を残して 失われています。 残っているのは、三之門と大手門です。 小諸城大手門 今は市街地に飲み込まれているので、 大手門は三之門之を出て、 しなの鉄道の小諸駅を渡って、 家屋の間を抜けて、少し開けた…
長野県東部にある上田は、 戦国の昔、徳川の大軍を、 上田城の籠城戦で破った、上田合戦の舞台です。 上田合戦は、第1次と第2次がありますが、 徳川軍と真田氏との戦いです。 第一次は、天正13年(1585年)徳川家康が、大軍を差し向け、 真田氏は籠城により…
旧中山道は、江戸から京都まで 69次で結んでいました。 そのうち11宿が木曽路にあります。 妻籠宿寺下 次の宿場は、馬籠峠を越えて馬籠宿に降りて行きます。
長野県の諏訪湖の北側に 諏訪大社下社秋宮のそばに、 諏訪大社の神話に出てくる 綿の湯と名付けられた下諏訪温泉がありました。 この地は、江戸時代、甲州街道と中山道の合流点で 温泉が湧き出る下諏訪宿がありました。 下諏訪温泉まるやさん
木曽郡南木曽町にある旧中仙道の宿場町、 妻籠宿は木曽路11宿の一つです。 岐阜県中津川市にある 馬籠宿から2里の山道を歩いて到着します。 妻籠宿 寺下の街並み 江戸時代の宿場の街並みが保存されています。
松本城を出て、南に下る大通りを歩いて行くと、 田川に出ました。 その手前に四柱神社という社がありました。 「しちゅうじんじゃ」と読んでいましたが 「よはしらじんじゃ」でした。 4柱の神様を祀る神社でした。 その先を、善光寺西街道と地図にある中町…
天守が国宝に指定されているのは姫路城、 松江城、彦根城、犬山城 そして、信州松本の松本城です。 戦国時代の永正年間に築城され、 豊臣秀吉の家臣になった 石川数正によって天守、城郭の整備が行われました。 松本城 国宝になるかなれないかの関門は、維新…
もう2年前になりますが、中央道を中津川インターで降り、 岐阜の馬籠宿から旧中仙道の山道に入りこんで、 お隣の長野県の妻籠宿まで、車で辿りました。 江戸時代の旅人は、自分の足だけを頼りに、 峠を越えて行ったのだなと思うと 山道の途中にある茶屋が有…
関ケ原合戦の前哨戦の上田合戦で、真田は 徳川秀忠率いる徳川の別働隊を 上田城に籠って撃破しました。 しかし、真田昌幸、信繁親子は、関ヶ原の敗戦によって、 城は没収廃棄され、親子は捕らわれの身になり、 切腹は免れたものの、九度山に幽閉されました。…
今は諏訪湖から少し離れた場所にある 高島城は、日根野高吉によって、諏訪湖に 張り出した水城として築かれました。 江戸以降の埋め立てにより、諏訪湖から 遠くなり、水城としての面影はありません。 明治以降、堀と石垣を残して取り壊されて、 公園となり…
旧中仙道の宿場町の奈良井宿は、 浮世絵の木曽街道六十九次奈良井宿では、 かなりの山道の途中の宿場みたいに描かれています。 木曽路11宿の中で標高が一番高く、 難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で賑わい、 奈良井千軒と呼ばれていました。 奈良井宿 現在…
長野県の諏訪湖の周辺に 4か所の境内を持つ諏訪大社は、 信濃国一之宮で、神位正一位の神社 です。 御祭神の諏訪明神は、古くは風水の守護神で、五穀豊穣を祈る神、また武勇の神として、広く信仰されて、東国第一の軍神として、坂上田村麻呂や源頼朝、武田信…
長野県塩尻市にある旧中仙道の奈良井宿は、 木曽路11宿の中で北から2番目の宿場です。 およそ1キロに渡り、江戸から明治にかけての建物が、 往時のままに立ち並んでいます。 宿場の古い家屋は、今も、信州そばやおやき、 五平餅などのお店として使われて…
岐阜県中津川市の馬籠宿から、 長野県南木曽町の妻籠宿までは、 人の足で、9キロ3時間の距離です。 馬籠宿から馬籠峠までかなりの上り坂ですが、 馬籠峠からは下り坂で 旧中山道の石畳が残って居ました。 妻籠宿 お宿辰巳屋
長野県塩尻市にある奈良井宿には、 旧中山道の宿場が残っていました。 もちろん宿場ですので、泊まるための施設 旅籠や木賃宿は言うに及ばず、信州そば、おやきの飲食店 お土産屋さん、木曽の木を使った、木工細工や、器やお椀 漆器を商う店が軒を並べていま…
江戸時代、江戸から京都を結んでいた 中仙道の江戸から数えて42番目の宿場、 妻籠宿は、山深い木曽路にありました。 訪れた時は、雪が降る前の温かい日でした。 到着があまり早かったので、 観光地の宿場の営業時間前で 、マップを貰えませんでした。 一通…
日本列島に居座っている、寒波の影響で、 信州の諏訪湖で、5年ぶりの御神渡りが 見られました。 御神渡りとは、諏訪湖の湖面に張った氷の亀裂が 数キロに渡って盛り上がる自然現象です。 伝説では、諏訪大社の上社の男神タケミナカタノカミが、 下社の女神ヤ…
長野県東御市(とうみし)にある旧北国街道は、 中山道の脇街道で中山道と追分で分かれ、 善光寺を通り、直江津で北陸道に合流します。 北国街道の宿場町、海野宿(うんのじゅく)は、千曲川の流れが 街道沿いに流れています。 街道沿いに、うだつの上がる古…
長野県松本市にある松本城は、 天守が国宝に指定されている (姫路、犬山、松江、彦根、松本)の一つです。 もともと永正年間に深志城が建てられ、 天正18年に石川数正公が 松本に入り天守を初め城下の整備を行い、 松本城と呼ばれました。 松本城 この城…
長野県の南木曽にある妻籠宿は、 旧中山道の宿場町です。 馬籠の宿から山道を進むと、途中元の 旧街道が顔を見せます。 峠茶屋の近くの杉林の中に、石畳の中山道 が消えて行き、後は下り道となり、妻籠宿にたどり着きました。 妻籠宿 もう妻籠では、冬の準備…
昨年の10月に車を使って、岐阜の中津川から入り、 木曽川沿いに長野の名所を訪ねる旅をしました。 信州松本から山を越えて、上田に入りました。 ここ上田は、関ヶ原の前哨戦の2次上田合戦が、 真田家と徳川秀忠公率いる東軍の間で行われました。 結果は真田…
旧中山道の宿場町、奈良井宿は、69宿の中の、木曽路11宿で、 北から2番目の宿場でした。難所の鳥居峠を控える宿場で、 奈良井千軒と呼ばれ賑わっていました。 10月に広島の福山に行き、県立歴史博物館で、 今は無き、「草戸千軒」の展示がありました…
下諏訪の諏訪大社の下社秋宮をでると、美術館や資料館が立ち並ぶ 横に、路地があり、周りは古い蔵が壁になっていました。 この路地は鍵の形に曲がっていました。 下諏訪町は、中山道と甲州街道の合流点であり、諏訪大社の下車の 門前町、宿場としてにぎわい…
長野県塩尻市にある、奈良井宿を 去年の今頃、訪ねました。 空は、もう秋の雲が浮かんでいました。 もう一度、画の中の旅人になり、奈良井宿を歩きたいです。
旧中仙道にあった妻籠宿は、 長野県南木曾町にあります。 広重の木曾街道六十九次でも、 妻籠宿は山中の登り道として 描かれています。 上嵯峨屋前 昔は、山道の峠を、足だけを頼りに、 ひとつひとつ 越えて 次の宿場まで辿り着いのでしょう。
長野県東御市にある旧北国街道の宿場町、 海野宿に昨年の10月に車で旅をしました。 夕日に急かされて、短い滞在でしたが、この宿場の柳を揺らす風が 心地良く思い起こされます。 北国街道は、幕府が整備した、脇街道で、中山道から追分で分かれ、 善光寺を通…