伏見桃山城(3)

 京都南部にある伏見桃山城は、4回築かれています。

最初の城(指月)は、太閤秀吉の隠居の城として築かれました。

その後に起こった慶長伏見大地震で崩れて、
別の場所(木幡山)に再建されました。

太閤が亡くなり、関ケ原の合戦の前に、
徳川方の城となっていた伏見城は、
大坂方に攻められ落城しました。

合戦の後、家康が再建しましたが、
17年程で廃城になりました。

伏見城の建物は、二条城や、福山城、淀城などに移築され、
土地は開墾されて、桃畑となりまりました。

最後の城は、昭和39年、遊園地が、洛中洛外図を基に、
天守と小天守と楼門を造りました。

ちなみに、豊臣、徳川が再建した伏見城跡は、
明治天皇の陵墓となり、立ち入りは出来ません。