伏見城

 伏見城といえば豊臣秀吉の隠居城

として造られました。

 

しかし、最初の伏見城は慶長伏見大地震で崩れ、

別の場所に再建されました。

 

豊臣秀吉の死後、関ヶ原の合戦が起こりましたが、

その前哨戦という形で徳川方が伏見城

籠りましたが、落城しました。

 

伏見城はその後徳川家の手で、再建されましたが

5年で廃城になり、その跡は一面の桃畑になりました。

 

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今現存する伏見城は、遊園地がまた別の場所に造ったものですが

その遊園地は解散して、公園になっています。

 

廃城になり桃畑になった伏見城は、

明治天皇の御陵の一部になって立ち入ることはできません。