広島城(鯉城)

 広島太田川の三角州に、広島城はあります。

 

この城は、安土桃山時代毛利輝元

よって築かれた城で、関ケ原後の

毛利家の減封により、福島氏から

浅野氏に城主が変わりました。

築かれた当時は、大坂城に次ぐ規模の城でした。

 

   

 

この城は戦前の国宝になった城でしたが、昭和20年の原爆で

倒壊して、昭和33年に再建された城です。

 

 

大玄関門~西本願寺

 京都の堀川通に面する西本願寺は、

浄土真宗本願寺派大本山です。

 

南の北小路から入ると唐門がありその先に

大玄関門がありました。

 

     

 

この大玄関門は、大法要の時しか開けない門で、

この門の先は、龍谷大学のキャンパスになっていました。

和歌山城~紀伊の国

 大阪から南に下ると、紀ノ川を越えると

紀伊の国和歌山に入ります。

 

ここは徳川御三家の一つ紀州徳川家の城下町で

虎伏山の頂上に築かれた和歌山城(虎伏城)を根拠に

五十五万五千石の領地がありました。

 

    

            天守曲輪と楠門

 

戦前の国宝になりましたが、昭和20年の和歌山大空襲で焼失して

昭和33年に鉄筋コンクリート造りで再建された城です。

海野宿~北國街道

 中山道を追分で別れ、小諸、海野、上田と進み

善光寺を経由して、直江津北陸道と合流していた

北國街道は、参勤交代の大名や役人または、善光善光寺参り

佐渡の金の江戸までの輸送に使われていました。

 

    

 

街道の脇に水路があり、その脇に柳が植えられていました。

大内宿~下郷

 下野街道(会津西街道)の宿場町の大内宿は、

下郷町の山の中にある宿場で、半宿半農の宿場でした。

 

  

 

街道の両脇に茅葺屋根の旅籠が並びます。

今は宿をやっている所は僅かで、飲食店か土産物屋をしていました。

 

 

高梁商家資料館~岡山

 高梁川が南北に流れる、高梁の本町通りには

大きな商家が建っていました。

 

ここは池上邸と言って、享保年間に小間物屋から始め

両替商や高瀬舟の船主から醤油の醸造で財を成した

豪商でした。

 

 

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醤油の醸造道具が展示されていました。

鶴ヶ城~会津若松

 戊辰戦争の激戦地となった会津若松鶴ヶ城は、

元は蘆名氏の黒川城で、その城を伊達政宗が攻め滅ぼし

居城を米沢城から移しました。しかし、政宗豊臣秀吉に臣従し

たことで、この城は召し上げられ、米沢に戻りました。

 

そのあとは、蒲生氏郷が入り、城下を若松に改め、

城を改築して鶴ヶ城に改めました。

 

 

戊辰戦争で痛みが激しく、城は取り壊され

昭和40年鉄筋コンクリート造りで再建されました。