村田町~仙南地方

 宮城県仙南地方にある、村田町は、

江戸時代、水運を生かして

仙南地方で紅花の集散地として栄えました。

 

その村田町には、なまこ壁を多く使った店舗と

壮大な表門がセットになった店蔵が続きます。

 

右側はカネ正といって創業 天保12年の

かねしょう時の資料館です。

 

隣が「かくしょう」の麹ダイニング藍で

レストランとして使われています。

 

肥前浜町~長崎街道

 旧長崎街道脇街道は、有明海の西側を通り

長崎を結んでいました。

 

その宿場町の、肥前浜宿が、有明海の西奥

にありました。

 

     

 

江戸時代ここでは、酒や醤油の醸造が行われ

栄えた所でした。

望闕楼~建仁寺

鎌倉幕府の二代将軍源頼家が創建した建仁寺

建仁2年(1202年)臨済宗開祖栄西の開山です。

 

その三門は、大正時代に静岡のお寺から移されたもので

望闕楼を書かれた額があります。

望闕楼とは御所を望む楼閣と云う意味です。

 

    

 

この楼上には、釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と

十六羅漢が安置されています。

丹波篠山河原町

 今は兵庫県になっている丹波篠山城は、

徳川家康関ヶ原後に、西国大名と豊臣家

お押さえとして築城した城で、天下普請で

六か月の工期で造られました。

 

そんな城下町に、古い商人町の河原町がありました。

 

    

 

ここの商家は、間口はそう広くなく、奥行きが深い

ウナギの寝床みたいになっており、表は妻入り屋根の

千本格子に、二階の窓は虫籠窓になっていました。

 

今井町~橿原市

 戦国時代の寺内町が原型の橿原市今井町は、

堀を巡らし門を上げ、兵力を蓄え、他からの介入を拒みました。

 

そんな今井町は、本願寺の大坂退去で、武装解除して

その後は自治都市として発展しました。

 

  

 

「大和の金は今井に七分」と謳われれ程に、栄えました