2024-04-11 村田町~仙南地方 宮城県の仙南地方にある、村田町は、 江戸時代、水運を生かして 仙南地方で紅花の集散地として栄えました。 その村田町には、なまこ壁を多く使った店舗と 壮大な表門がセットになった店蔵が続きます。 右側はカネ正といって創業 天保12年の かねしょう時の資料館です。 隣が「かくしょう」の麹ダイニング藍で レストランとして使われています。
2024-04-09 星巌寺~小城 小城鍋島家の菩提寺の星巌寺があります。 その楼門は柵がしてあり、入れませんでした. この奥に五百羅漢の像があり、 200体ほど数えることが出来ました。 その奥が小城鍋島家の墓所になっていました。
2024-04-07 肥前浜町~長崎街道 旧長崎街道の脇街道は、有明海の西側を通り 長崎を結んでいました。 その宿場町の、肥前浜宿が、有明海の西奥 にありました。 江戸時代ここでは、酒や醤油の醸造が行われ 栄えた所でした。
2024-04-07 望闕楼~建仁寺 鎌倉幕府の二代将軍源頼家が創建した建仁寺は 建仁2年(1202年)臨済宗開祖栄西の開山です。 その三門は、大正時代に静岡のお寺から移されたもので 望闕楼を書かれた額があります。 望闕楼とは御所を望む楼閣と云う意味です。 この楼上には、釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と 十六羅漢が安置されています。
2024-04-06 丹波篠山河原町 今は兵庫県になっている丹波の篠山城は、 徳川家康が関ヶ原後に、西国大名と豊臣家 お押さえとして築城した城で、天下普請で 六か月の工期で造られました。 そんな城下町に、古い商人町の河原町がありました。 ここの商家は、間口はそう広くなく、奥行きが深い ウナギの寝床みたいになっており、表は妻入り屋根の 千本格子に、二階の窓は虫籠窓になっていました。
2024-04-05 今井町~橿原市 戦国時代の寺内町が原型の橿原市の今井町は、 堀を巡らし門を上げ、兵力を蓄え、他からの介入を拒みました。 そんな今井町は、本願寺の大坂退去で、武装解除して その後は自治都市として発展しました。 「大和の金は今井に七分」と謳われれ程に、栄えました