相倉集落~南砺市五箇山

 富山県の南西部にある南砺市五箇山

庄川の流域に、相倉集落がありました。

 

ここは、冬場豪雪地帯で、合掌造りの集落です。

 

そんな相倉集落の売店の奥に、神社がありました。

 

ここは、地主神社という神社で、春祭りには

獅子舞が奉納されるそうです。

文殊仙寺~国東半島

 大分県の国東半島のほぼ中央にある文珠山の中腹に、

天台宗文殊仙寺があります。

 

ここは、「三人寄れば文殊の知恵」

で知られる寺で、役行者が創建したといわれます。

 

そのお寺の奥の山際の石段に、

羅漢像が、並んでいました。

 

下から覗くと、考え深そうな

お顔をされていました。

 

東寺五重塔と南大門

 京都の京阪国道九条通りにある東寺は、

平安京鎮護の官寺として造られ、

嵯峨天皇から空海に下賜されて、

真言密教の根本道場として栄えました。

 

 

五重塔は木造で日本一54.8メートルの高さがあります。

この塔は4回焼失していて、今の塔は徳川家光の再建です。

鳥辺野~京都

 鳥辺野は、北の蓮台野、西の化野、

東の鳥辺野で京都三大風葬地でした。

 

平安時代多くの庶民は、亡ると、ここに運ばれ

ざらしにされる風葬で、死体累々の野山でした。

人の世の儚さをしみじみと考えさせる場所でした。

 

場所は、清水寺から大谷本廟に通じる辺りでした。

 

   

 

今は供養され、この場所は一面の墓地となっています。

右側は少し高くなっていますが、すぐ谷になっていて

数えきれないほどのお墓が、谷を埋めていました。

五箇山相倉集落~南砺市

 富山県の南西部、南砺市庄川の流域にある

相倉集落は、合掌造りの農家の郷でした。

 

 

冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされる相倉集落には20軒ほどの

茅葺の合掌造りの家屋が残されていました。

北國街道~海野宿

 北國街道は中山道を追分で別れ、

小諸、海野、上田と進み、

善光寺を通り、中津江で北陸道に合流していました。

 

 

袖うだつのある家屋がありました。

海野宿は、明治以降鉄道網の発達で、寂びれていき

養蚕に活路を見出しました。

今でも、その当時の養蚕場に使われた大型家屋が残ります。