2022-05-21 旅籠~妻籠宿 旧中山道の42番目の宿場町妻籠は、 木曽郡南木曾町にあります。 妻籠宿は中山道と飯田街道の追分のある 交通の要衝で、宿場内には 本陣脇本陣各一軒、旅籠三十一軒ありました。
2022-05-21 相倉集落~南砺市五箇山 富山県の南西部にある南砺市の五箇山の 庄川の流域に、相倉集落がありました。 ここは、冬場豪雪地帯で、合掌造りの集落です。 そんな相倉集落の売店の奥に、神社がありました。 ここは、地主神社という神社で、春祭りには 獅子舞が奉納されるそうです。
2022-05-20 文殊仙寺~国東半島 大分県の国東半島のほぼ中央にある文珠山の中腹に、 天台宗の文殊仙寺があります。 ここは、「三人寄れば文殊の知恵」 で知られる寺で、役行者が創建したといわれます。 そのお寺の奥の山際の石段に、 羅漢像が、並んでいました。 下から覗くと、考え深そうな お顔をされていました。
2022-05-19 東寺五重塔と南大門 京都の京阪国道の九条通りにある東寺は、 平安京鎮護の官寺として造られ、 嵯峨天皇から空海に下賜されて、 真言密教の根本道場として栄えました。 五重塔は木造で日本一54.8メートルの高さがあります。 この塔は4回焼失していて、今の塔は徳川家光の再建です。
2022-05-18 鳥辺野~京都 鳥辺野は、北の蓮台野、西の化野、 東の鳥辺野で京都三大風葬地でした。 平安時代多くの庶民は、亡ると、ここに運ばれ 野ざらしにされる風葬で、死体累々の野山でした。 人の世の儚さをしみじみと考えさせる場所でした。 場所は、清水寺から大谷本廟に通じる辺りでした。 今は供養され、この場所は一面の墓地となっています。 右側は少し高くなっていますが、すぐ谷になっていて 数えきれないほどのお墓が、谷を埋めていました。
2022-05-17 五箇山相倉集落~南砺市 富山県の南西部、南砺市の庄川の流域にある 相倉集落は、合掌造りの農家の郷でした。 冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされる相倉集落には20軒ほどの 茅葺の合掌造りの家屋が残されていました。
2022-05-16 北國街道~海野宿 北國街道は中山道を追分で別れ、 小諸、海野、上田と進み、 善光寺を通り、中津江で北陸道に合流していました。 袖うだつのある家屋がありました。 海野宿は、明治以降鉄道網の発達で、寂びれていき 養蚕に活路を見出しました。 今でも、その当時の養蚕場に使われた大型家屋が残ります。