鶴ヶ城~会津若松

 戊辰戦争の激戦地となった会津若松鶴ヶ城は、

元は蘆名氏の黒川城で、その城を伊達政宗が攻め滅ぼし

居城を米沢城から移しました。しかし、政宗豊臣秀吉に臣従し

たことで、この城は召し上げられ、米沢に戻りました。

 

そのあとは、蒲生氏郷が入り、城下を若松に改め、

城を改築して鶴ヶ城に改めました。

 

 

戊辰戦争で痛みが激しく、城は取り壊され

昭和40年鉄筋コンクリート造りで再建されました。

村田町~仙南地方

 宮城県仙南地方にある、村田町は、

江戸時代、水運を生かして

仙南地方で紅花の集散地として栄えました。

 

その村田町には、なまこ壁を多く使った店舗と

壮大な表門がセットになった店蔵が続きます。

 

右側はカネ正といって創業 天保12年の

かねしょう時の資料館です。

 

隣が「かくしょう」の麹ダイニング藍で

レストランとして使われています。

 

星巌寺~小城

 小城鍋島家の菩提寺の星巌寺があります。

その楼門は柵がしてあり、入れませんでした.

この奥に五百羅漢の像があり、

200体ほど数えることが出来ました。

 

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その奥が小城鍋島家の墓所になっていました。

肥前浜町~長崎街道

 旧長崎街道脇街道は、有明海の西側を通り

長崎を結んでいました。

 

その宿場町の、肥前浜宿が、有明海の西奥

にありました。

 

     

 

江戸時代ここでは、酒や醤油の醸造が行われ

栄えた所でした。

望闕楼~建仁寺

鎌倉幕府の二代将軍源頼家が創建した建仁寺

建仁2年(1202年)臨済宗開祖栄西の開山です。

 

その三門は、大正時代に静岡のお寺から移されたもので

望闕楼を書かれた額があります。

望闕楼とは御所を望む楼閣と云う意味です。

 

    

 

この楼上には、釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と

十六羅漢が安置されています。

丹波篠山河原町

 今は兵庫県になっている丹波篠山城は、

徳川家康関ヶ原後に、西国大名と豊臣家

お押さえとして築城した城で、天下普請で

六か月の工期で造られました。

 

そんな城下町に、古い商人町の河原町がありました。

 

    

 

ここの商家は、間口はそう広くなく、奥行きが深い

ウナギの寝床みたいになっており、表は妻入り屋根の

千本格子に、二階の窓は虫籠窓になっていました。