三州街道足助宿

  三州街道は、三河岡崎から信州塩尻を結ぶ道で、

塩の道と呼ばれていました。

 

三河湾で採れた塩は、矢作川を舟で運ばれ、

足助宿では、その荷を馬の背に乗せ換えて

塩尻まで運んでいました。

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宋恩寺に続く参道は、白壁の家と家の間をすり抜ける 

路地にありました。

 

 

日田

 九州を代表する大河の筑後川を遡ると、

大分県の日田に行き着きます。

 

日田は幾筋かの川が合流する盆地にあり

春から秋にかけて朝夕に発生する底霧に覆われます。

 

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江戸時代は天領で、豆田町に当時の雰囲気を残します。

平戸

 平戸は、九州本島の北西に位置する島で、

今では平戸大橋で九州と結ばれています。

 

今でこそ、何でもない島ですが、鎖国前は

中国、オランダ、ポルトガル、イギリスの船が

出入りする国際貿易港でした。

 

当時は、南蛮貿易に沸いた港でしたが、

その後の鎖国で、一変して松浦氏の城下町となりました。

 

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このお城は鎖国の後に建てられた城です。

伏見城

 伏見城は、豊臣秀吉の隠居城として造られました。

場所は京都の東山の丘陵が南に続く南端で、

最初に造られたのは指月山でしたが、慶長伏見大地震により

崩壊して、木幡山に再建されました。

 

その後、秀吉は亡くなり、関ヶ原の前哨戦で、この城は落城しました。

落城した伏見城徳川家康の手で再建されましたが、結局廃城になりました。

 

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今あるのは、また別の場所に、

遊園地が造った城ですが、遊園地は解散しています。

安藤家住宅~長浜

 長浜の城下を通る北国街道に、

古い屋敷が残っていました。

 

ここは安藤家住宅と言って、豊臣秀吉が城主であった頃

長浜町の十人衆筆頭の三年寄りを務めた安藤家は、

幕末から東北に進出して、百貨店中合創業家となりました。

 

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