鳥部野~京都風葬地

 京都の五条坂を下っていくと

左手に大きな墓地が続きます。

 

ここは、平安時代、京都の三大風葬地で知られた

鳥辺野で、当時庶民は死んだら、ここに運ばれ、野ざらしにされ

鳥葬にされました。

 

今は、この道の右側はすぐ谷になっていて

墓地が限りなく広がっていました。

 

岐阜高山古い町並み

 岐阜県の北部にある高山は、飛騨山脈と白山山地に

囲まれた盆地にあり、冬場はかなりの積雪があります。

 

そんな高山は江戸時代城下町で、古い商家の街並みを残します。

 

 

この筋には2軒の造り酒屋がありました。

奈良井宿~旧中山道

 旧中山道の34番目の宿場、

奈良井宿は、木曽路11宿の中でも

一番標高が高く、難所の鳥居峠を控える

宿場で奈良井千軒と讃えられたところです。

 

  

 

今も南北一キロにわたり街並みが続き、木曽の特産品の

漆器や木工品や、信州そば、おやきの飲食店が軒を並べます。

荻町合掌造りの集落~白川郷

 岐阜県の北部にある白川郷は、庄川の流域にある

合掌造り集落で知られています。

 

ここは冬場豪雪地帯で、雪に閉ざされます。

 

 

そんな荻町では、昔の冬場は合掌造りの屋根の2層3層で、

養蚕の農作業をしていました。

眼鏡橋~長崎

 長崎の寺町に行く途中に、石橋を渡りました。

 

ここは、港から寺町に行く途中にある中島川を渡る所で

二重のアーチ橋の石橋です。

 

 

寛永11年(1634年)興福寺の住職の黙子如定は、

中島川の氾濫の度に流される橋を見かね、中国から石工を呼び寄せ

二連のアーチ橋を石造で作りました。