本芳我邸~内子町

 愛媛県南予にある内子町は、江戸時代から

明治時代まで間、木蝋と和紙にの生産が盛んで、

木蝋の最盛期には、国内生産の30

パーセントを占めていました。

 

 

木蝋の生産で財を築いた、芳我家の本家の本芳賀邸は、

明治22年に建てられたもので、

漆喰の鏝絵は凝ったものです。

 

関宿~旧東海道

 三重県の北西部の鈴鹿山脈の山裾に、旧東海道

47番目の宿場の関宿がありました。

 

ここは、古代三関の一つの鈴鹿の関が置かれていました。

そんな関宿からは、伊勢別街道、大和街道が分岐する栄えた宿場でした。

 

この宿場内には、昔からある古い町屋が

二百軒以上残っています

 

竹原古い町並み

 広島県の東部の瀬戸内海沿いに、竹原はありました。

 

竹原は古くから瀬戸内海の要衝として発展して来ました。

 

そんな竹原は江戸後期からは、塩田の塩の生産が盛んとなり

江戸大坂まで北前船で運ばれました。

 

狭い路地を進むと、どっしりとした民家の

街並みが残っていました。

 

 

犬山城~尾張国

 美濃の国と尾張の国の境にある

木曽川の南岸に建つ犬山城は、

天文6年(1537年)織田信長の叔父

信康によって建てられました。

 

 

天守が現存する12の城の一つで、

天守が国宝に指定された5つの城の一つです。

 

一昔前は、尾張藩の家老の成瀬氏の個人所有の城でしたが、

現在は財団所有の城になったようです。

 

川越蔵造り資料館

 蔵造り資料館は、明治26年(1893)の川越大火直後、

類焼を免れた数軒の蔵造り建物や東京の日本橋界隈の商家を参考に、

当時煙草卸商を営んでいた小山文造(屋号「万文」)が建てた建物を

資料館として使っています。

 

今は耐震工事中のため、入ることは出来ません。